元禄
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元禄(げんろく)は、日本の元号の一つ。宝永の前、貞享の後。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府の征夷大将軍は第5代将軍・徳川綱吉。
概要[編集]
貞享5年9月30日(グレゴリオ暦1688年10月23日)に東山天皇の代始により元禄元年と改元される。出典は文章博士・菅原長量の勘文に「文選曰、建立元勳、以歷顯祿、福之上也」からである。元禄17年3月13日(グレゴリオ暦1704年4月16日)に宝永元年と改元された。
この時代は文化や経済が発展し、元禄文化と称される江戸時代の繁栄を象徴する時代である。また有名な江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩が高家肝煎・吉良義央に切りつけた罪で切腹に処せられた事件(松之廊下の刃傷)が元禄14年(1701年)に、浅野家臣の大石良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央を弑し、当夜に在邸の二十余人を殺害した咎により幕府に罰せられた元禄赤穂事件(赤穂浪士の討ち入り)が元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起きている。
また、元禄時代の日本の人口は約3000万人にまで増加したとされ、これは当時の世界の人口では20人に1人が日本人であったということになる。