元治
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元治(げんじ)とは、日本の元号の一つ。文久の後で慶応の前。西暦1864年から1865年までの1年余の期間。この時代の天皇は孝明天皇。将軍は徳川家茂。
歴史[編集]
概要[編集]
元治への改元の議論は1863年11月頃から始まっており、元治の次の元号に令徳、元治を提案した。令徳とは徳川に令するという意味であり、あまりいい意味ではなかったため、元治という案が採用された。
由来[編集]
周易の「乾元用九、天下治也」および三国志の「天地以四時成功、元首以輔弼興治」より。
出来事[編集]
()は西暦。
- 元治元年(1864年)
- 2月20日 (3月20日) - 元号を文久から元治に改元。
- 3月 - 天狗党の乱。筑波山で挙兵。
- 3月21日 (4月26日) - 堀田正睦死亡。
- 6月5日 (7月8日) - 池田屋事件発生。新選組が京都三条小屋町の池田屋を襲撃した。宮部鼎蔵、吉田稔麿らを急襲
- 6月20日 (7月25日) - 田中義一(第26代内閣総理大臣)誕生。
- 7月19日 (8月20日) - 禁門の変起こる、久坂玄瑞死亡。
- 7月21日 (8月22日) - 真木保臣死亡。
- 8月5日 (9月5日) - 四国連合艦隊下関砲撃事件発表。
- 11月11日 (12月9日) - 長州藩の三家老、自刃・恭順する
- 11月12日 (12月10日) - 宍戸真澂死亡。
- 12月15日(1865年1月12日)- 功山寺挙兵
- 元治2年(1865年)
その他[編集]
明治以降、慶應義塾、明治、大正と元号の付いた高等教育機関が創立されるが、験を担いで、最も難関の慶應義塾を超えようと元治を付ける心意気のある学校法人は未だ現れていない。