元中
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元中(げんちゅう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。弘和の後。1384年から1392年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が南朝第4代で第99代天皇の後亀山天皇、北朝方が北朝第6代天皇で第100代天皇の後小松天皇。室町幕府の征夷大将軍は第3代将軍・足利義満である。
概要[編集]
弘和4年(1384年)に元中元年と改元されたとしている。「された」というのは、この頃の南朝が衰退しきっていて史料を欠くところが多いためで、その年の何月何日に改元が行なわれたのかが判明していないためである。最も元中の使用が見える現存史料は『栄山寺文書』元中元年11月5日の後亀山天皇の綸旨である。なお、改元の理由に関しては前年に後亀山天皇が即位したので、御代の交替に基づくものと推測されている。
元中9年(1392年)閏10月に南北朝が合一されたことにより、元号は北朝の明徳に統一されることにより、元中は廃止されることになった。
ただし公的には南北朝の合一をもって廃止とされているが、実際はその後も南朝残党やその武士の間で使用されていたことが確認されている。元中9年(1392年)11月1日の北畠顕泰御教書や(『古和文書』)、元中10年(1393年)2月9日の良成親王令旨(『阿蘇文書』)、元中11年(1394年)12月19日の良成親王名字宛行状、同年月日の良成親王の令旨、元中12年(1395年)10月20日の良成親王書状奥書(『五条文書』)などで元中の元号が廃止後も使用されている。