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笑っていいとも!レギュラー出演者一覧
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『笑っていいとも!レギュラー出演者一覧』(わらっていいとも!レギュラーしゅつえんしゃいちらん)では、『森田一義アワー 笑っていいとも!』『笑っていいとも!増刊号』『笑っていいとも!特大号』『笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル』『夜の笑っていいとも!春・秋のドラマ特大号』『笑っていいとも!新春祭』といった『笑っていいとも!スペシャル』など(全てフジテレビ系列)に出演していた人物についての一覧である。
全曜日出演者[編集]
総合司会[編集]
森田一義(タモリ)(1982.10.4 - 2014.3.31)
アシスタント[編集]
- 歴代のいいとも青年隊・少女隊・AD隊については「いいとも青年隊」の項を参照。
期間 | 青年隊・少女隊・AD隊 | |
---|---|---|
1982.10.4 | 1985.3.29 | いいとも青年隊 |
1985.4.1 | 1985.9.27 | 新いいとも青年隊 |
1985.9.30 | 1986.3.28 | いいともスタッフ隊 |
1986.3.31 | 1987.10.2 | 半熟隊 |
1987.10.5 | 1989.3.31 | チャイルズ |
1989.4.3 | 1990.12.28 | K・Chaps! |
1991.1.7 | 1992.3.27 | World Boys |
1992.3.30 | 1994.9.30 | 工藤兄弟 |
1994.10.3 | 1997.3.28 | あさりど |
1997.3.31 | 2000.3.31 | With T |
2000.4.3 | 2003.3.28 | T3 |
2003.3.31 | 2006.3.31 | イワン&ジョン |
2006.4.3 | 2008.3.28 | まこと&かずき |
2008.3.31 | 2010.4.2 | リン・ナオミ |
2010.4.5 | 2011.9.30 | クルット&ハリー |
2011.10.3 | 2014.3.31 | noon boyz |
番組最末期の出演者[編集]
月曜日[編集]
- 香取慎吾(SMAP)(1994.4 - 2014.3)(水曜日 → 木曜日 → 火曜日 → 月曜日 → 金曜日 → 火曜日 → 月曜日)[注 1]
- 三村マサカズ(さまぁ〜ず)(2004.04 - 2014.3)(木曜日 → 金曜日 → 火曜日 → 月曜日)
- 千原ジュニア(千原兄弟)(2008.4 - 2014.3)(水曜日 → 木曜日 → 水曜日 → 月曜日)
- 渡辺直美(2011.10 - 2014.3)[注 2]
- 指原莉乃(HKT48)(2011.10 - 2014.3)(水曜日 → 月曜日)
- 武井壮(2012.10 - 2014.3)
- 生野陽子★(2010.10 - 2014.3)(日替わり制 → 月曜日)
火曜日[編集]
- 中居正広(SMAP)(1994.4 - 2014.3)(水曜日 → 木曜日 → 金曜日 → 火曜日 → 金曜日 → 火曜日)
- 大竹一樹(さまぁ〜ず)(2004.04 - 2014.3)(木曜日 → 金曜日 → 火曜日)
- バナナマン(設楽統・日村勇紀)(2012.4 - 2014.3)(金曜日 → 火曜日)
- ローラ(2012.4 - 2014.03)[注 3]
- 澤部佑(ハライチ)(2012.10 - 2014.3)
- 久代萌美★(2013.4 - 2014.3)
水曜日[編集]
- 太田光(爆笑問題)(2000.4 - 2014.3)[注 4]
- タカアンドトシ(タカ、トシ)(2007.10 - 2014.3)(火曜日 → 水曜日)
- 柳原可奈子(2007.10 - 2014.3)(火曜日 → 月曜日 → 水曜日)[注 5]
- 栗原類(2012.10 - 2014.3)[注 6][注 7]
- アルコ&ピース(酒井健太・平子祐希)(2013.4 - 2014.3)(週替わり → 月1回)
- ウエストランド(井口浩之・河本太)(2013.4 - 2014.3)(週替わり → 月1回)
- パンサー(向井慧・尾形貴弘・菅良太郎)(2013.4 - 2014.3)(週替わり → 隔週)
- 三田友梨佳★(2011.10 - 2014.3)(水曜日 → 木曜日 → 金曜日 → 水曜日)
木曜日[編集]
- 笑福亭鶴瓶(1987.4 - 2014.3)[注 8][注 9]
- 山崎弘也(アンタッチャブル)(2011.10 - 2014.3)
- ベッキー(2009.10 - 2014.3)(月曜日 → 金曜日 → 木曜日)
- ピース(又吉直樹・綾部祐二)(2011.4 - 2014.3)
- 倉田大誠★(2012.4 - 2014.3)[注 10](日替わり制 → 増刊号 → 木曜日)[注 11]
金曜日[編集]
- 関根勤(1985.10 - 2014.3)(金曜日 → 増刊号[注 12] → 月曜日 → 木曜日 → 水曜日 → 月曜日 → 金曜日)[注 13]
- 草彅剛(SMAP)(1995.10 - 2014.3)(火曜日 → 月曜日 → 金曜日)
- 田中裕二(爆笑問題)(2000.4 - 2014.3)(水曜日 → 月曜日 → 金曜日)
- 劇団ひとり(2006.10 - 2014.3)(月曜日 → 金曜日)
- 木下優樹菜(2012.10 - 2014.3)
- 鈴木浩介(2012.4 -2014.3)(月1回)(水曜日 → 火曜日 → 金曜日)
- 内田嶺衣奈★(2013.10 - 2014.3)[注 14]
特別レギュラー(曜日不定)[編集]
Holidayレギュラー[編集]
増刊号[編集]
コーナーレギュラー[編集]
常連ゲスト[編集]
- 林修(東進ハイスクール・東進衛星予備校現代文講師)〈2013.3.11 - 2014.3.24 コーナー「ワケあり人間カジノ どっちベガス」「林先生の名作授業 20文字で要約王」他:月曜日〉[注 20][注 21]
- ふなっしー〈2013.8.5 - 2014.3.24 コーナー「正直言う太郎」、「林先生の名作授業 20文字で要約王」他:月曜日〉[注 21]
- 久保ミツロウ(漫画家)〈2014.3.10 - 3.24 コーナー「しんご×ミツロウの妄想マンガ描いていいとも!」:月曜日〉[注 21][注 22]
歴代レギュラー出演者[編集]
開く歴代のレギュラー出演者 |
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特別レギュラー出演者[編集]
開く歴代のレギュラー出演者 |
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歴代コーナーレギュラー出演者[編集]
開く歴代のコーナーレギュラー陣 |
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記録[編集]
出演期間[編集]
- 最長期間(男性)
- 関根勤 - 金曜日 → 増刊号 → 月曜日 → 木曜日 → 水曜日 → 月曜日 → 金曜日(1985年10月 - 2014年3月、28年半)
- 最長期間(女性)
- 久本雅美 - 水曜日 → 火曜日 → 金曜日(1993年4月 - 2010年9月、17年半)
- 最長期間(お笑いコンビ)
- 爆笑問題 - 水曜日(2000年4月 - 2012年3月、12年)※2012年4月 - 2014年3月までは太田、田中個別で別曜日に出演。
- 最長期間(同一曜日)
- 笑福亭鶴瓶 - 木曜日(1987年4月 - 2014年3月、27年)
年齢[編集]
- 就任時最年長
- 福井敏雄(74歳8か月)
- 就任時最年少
- 鈴木福(7歳10か月)
番組から誕生したユニット[編集]
これまでに当番組レギュラー出演者から企画ユニットが誕生している。以下はその例。
- よめきんトリオ
【松金よね子・渡辺めぐみ・KINYA)】 - 川上さんと長島さん
【ドン川上・チョー長島】 - 志茂田チョウ倶楽部
【志茂田景樹・ダチョウ倶楽部(肥後克広・寺門ジモン・上島竜兵)】 - モッコリーズ
【タモリ・笑福亭鶴瓶・ROLLY】
- 1993年末、ROLLYのコーナーから誕生。デビューライブをした後、即解散という速さだった。
- 1996年、毎週火曜日に出演していた女優2名からなるユニット。MY LITTLE LOVERと熟女の「ババア」を捩ったとされる。
- 1996年結成。当時の金曜レギュラーの3人で結成。ユニット名の由来は、99(ナインティナイン)+1(中居)で100(ワンハンドレッド)[2]。1997年3月にナインティナインはレギュラー出演を卒業したが、その後も『めちゃ×2イケてるッ!』(主に中居&ナイナイの日本一周の旅)で共演し続けてきた。2004年と2011年と2015年の『FNS27時間テレビ』では総合司会を務めた。また、2021年・2022年の『FNS27時間テレビ』の休止に伴う大型特番『FNSラフ&ミュージック〜歌と笑いの祭典〜』にもサポーターとして全編出演。
- 2002年秋結成。3人の胸の大きさがAカップだったことから由来している。その年の『特大号』で一夜限りのライブを行った。その楽曲のタイトル名は「Aカップメドレー」。作詞・作曲は森田一義(タモリ)が本名名義で担当をした。
- チポリン【坂下千里子】
- お盆限定アイドルとして歌手デビュー、同日引退。
- 2011年11月2日、当時水曜日レギュラーの指原莉乃(AKB48、当時)の考案で「毎週水曜日にしか会えないアイドル」として結成された。メンバーは、タモリと当時の水曜日レギュラーによる7人(タモリと指原が2トップ)。また、メンバー全員が指原考案のアイドルキャッチフレーズを披露した。
- ストロベリーペアーズ
【千原ジュニア(千原兄弟)・田中裕二(爆笑問題)】
- 2011年11月23日、当時水曜日レギュラーの指原莉乃の考案で「毎週水曜日にしか会えないアイドル」として結成された。メンバーは、千原ジュニア(千原兄弟)、田中裕二(爆笑問題)の水曜日レギュラーによる2人。
- ONEP
【イサムちゃん・ユタカちゃん・HIDEKiSM・ナターシャ・足立祐季(あんずちゃん)】
- 2013年4月1日、月曜日のコーナー「オネメンコンテスト」から誕生した、イサムちゃんをリーダーとする「オネメン」5名からなるユニット。当初4人編成の「オネメン四天王」として結成されたが、足立祐季が加入し「オネメン5」に改名するも翌週「ONEP」に再改名された。ナターシャが欠席した2013年6月17日は、田中裕二(爆笑問題)が「タナーシャ」として参加。
ほか多数
テレフォンアナウンサー[編集]
- 1987年10月5日から導入されたテレフォンアナウンサーは、フジテレビ男性・女性アナウンサーが務めていた。いいとも!アナウンサーとは言わない[注 26]。
- 初代テレフォンアナウンサーは月曜日(1987年10月5日)が川端健嗣(1984年入社)、火曜日(1987年10月6日)が阿部知代(1986年入社)、水曜日(1987年10月7日)が寺田理恵子(1984年入社)、木曜日(1987年10月8日)が山中秀樹(1981年入社)、金曜日(1987年10月9日)が 中井美穂(1987年入社)であった。テレフォンアナウンサーが導入されて定着してから20年以上経過したこともあり、番組末期の時点はベテランメンバーとなった。[注 27]
- 1990年代後期頃から毎年夏に、その年の春に入社したアナウンサーがお披露目され、それぞれが自己紹介することが慣習となっていた(ただし、タモリはこれをあまり好んではいない)。
- 担当アナウンサーが他番組の収録ならびに休暇などがあるときは他曜日および『増刊号』のアナウンサーが登場する例もあり、稀にフジテレビ以外の系列局のアナウンサーが代役として参加することもあった。
- テレフォンアナウンサーは通常、『テレフォンショッキング』でのお友達紹介の電話業務、番組関連の告知、「いいとも!」をネットするフジテレビ系列テレビ局の開局[注 28]があったときは開局の告知、コーナーの景品紹介などが主であった。なお、1998年10月以降は、その他に『FNNスピーク』終了後の番組開始前にジャンクション(15秒間)に出演していた(日替わり制導入により現在はレギュラー出演者などが出演)。
- 2000年代中期頃から毎年8月に、恒例の「浴衣ウィーク」が設定され、テレフォンアナウンサーが1週間浴衣着用で出演していた。また、各曜日放送後、女子アナウンサーに限り浴衣の撮影が行われていた。
- 2001年頃から、20代・30代のアナウンサーによる担当がほとんどになった。それまでは若年層から中高年までのアナウンサーが担当だった。
- 2010年10月4日から2011年4月1日の放送まで、これまでの曜日担当シフト制から日替わり担当制が採用されていた。これにより、曜日担当シフト制末期の担当アナ以外にも、新たにテレフォンアナを担当するアナウンサーが登場することもあり、また過去にテレフォンアナを担当したアナウンサーが再登板する場合もあった。
- 1990年代末期からはその日のレギュラーやゲストの人数等に応じてテレフォンアナウンサーが他の各コーナーに参加することも増え、2000年以後は各曜日レギュラーの一員と見なされるようになり『特大号』のオープニングの歌唱や「ものまね歌合戦」への参加も常態化し、オープニングの出演者ロールにも曜日レギュラーと並んで記載されるようになった。2010年代に入ってからはレギュラーコーナーの進行も行う事が増えた。さらに過去には外国語が話せるアナウンサーがゲストで来た海外スターの通訳を担うケースもあった。
- 期間は不明だが、1988年以降、1990年代前半まではFNSの日翌週の7月中旬から8月いっぱいまでは新人アナウンサーと従来からの担当アナが2人で(つまり先輩・後輩で)テレフォンアナを担当していた。
歴代テレフォンアナウンサー[編集]
以下性別・入社年度順のリスト(増刊号アナウンサーも含む)。
男性アナウンサー[編集]
開く男性アナウンサー |
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女性アナウンサー[編集]
開く女性アナウンサー |
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増刊号アナウンサー[編集]
- 中井美穂(1987.10 - 1995.9)(最初の半年は金曜日と兼任)
- 西山喜久恵(1995.10 - 2001.7)(水曜日 → 金曜日 → 増刊号)[注 59]
- 中野美奈子(2004.10 - 2006.9)(火曜日 → 増刊号)
- 斉藤舞子(2006.10 - 2011.3)(木曜日 → 金曜日 → 増刊号)[注 60]
- 中村光宏(2011.4 - 2012.3)(日替わり → 水曜日 → 増刊号)[注 61]
- 倉田大誠(2012.4 - 2013.3)(増刊号 → 木曜日)
- 竹内友佳(2013.4 - 2014.3)(火曜日 → 増刊号)
系列局アナウンサー[編集]
- 1989.9.18、イムズ開業を記念して、イムズホールから生放送を行った際に出演した。
各曜日アナウンサーの変遷[編集]
開く各曜日アナウンサーの変遷 |
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日替わり制シフト時代の担当アナウンサー[編集]
- 2010年10月4日から2011年4月1日まで日替わり制シフトを導入しており、2011年3月31日(日替わり制最終日前日)までフジテレビに在籍しているアナウンサー全員に担当資格があった。担当するのはレギュラー時代同様女性アナが数人・男性アナが1〜数人(曜日は当然固定ではない)となっていた。
開く日替わり制シフト時代の担当アナウンサー |
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補足[編集]
- 西山が『FNNスーパーニュース』担当のため降板、それに伴って2001年8月から2004年9月まで、『増刊号』担当アナウンサーがいなかったため、曜日担当のテレフォンアナウンサーが増刊号担当アナウンサーとして、持ち回りで兼務していた時期がある。
- 2002年2月は梅津弥英子(当時木曜日担当)、大坪千夏(当時金曜日担当、退社)両アナウンサーがソルトレイクシティオリンピック取材等のため、その代理として、2001年入社の高島彩(木曜日担当)、福元英恵(金曜日担当)両アナウンサーがそれぞれ務めた。この二人は正式には抜擢されなかったが、同年入社の渡辺和洋が2003年10月から水曜日担当となり、2008年9月まで5年間担当した(なお、高島は渡辺とともに2003年12月3日(水曜日)の放送に出演した[注 63]ほか、退社2日前となる2010年最後の放送(12月29日(水曜日))でアナウンサー最終業務としてテレフォンアナウンサーを担当した。)。[注 68]
- 2004年4月期、2008年4月期、2010年4月期はテレフォンアナウンサーの異動はなかった。また、2007年10月期は宮瀬茉祐子(金曜日→月曜日)、平井理央(月曜日→金曜日)両アナウンサー、2009年10月期は椿原慶子(火曜日→月曜日)[注 69]、松尾翠(月曜日→火曜日)両アナウンサーの担当曜日交換のみにとどまった。
- 2010年10月に曜日担当シフト制がいったん廃止されるまで、2009年・2010年入社のアナウンサーは一人もテレフォンアナウンサーに抜擢されなかったが、それらのアナウンサーも日替わり制導入後は不定期で1名ずつ登板した[注 70]。なお、ニッポン放送から転籍のアナウンサーの担当は日替わり制廃止まで一人も出なかった[注 71]。
以下各アナウンサーについての(n曜日担当)はいずれも期日当時のもの。
- 2008年8月は渡辺和洋(当時水曜日担当)、平井理央(当時金曜日担当)両アナウンサーが北京オリンピック現地キャスター担当のため、その代理として、2008年入社の加藤綾子(水曜日担当)、椿原慶子(金曜日担当)両アナウンサーがそれぞれ務め、北京五輪閉幕後も8月いっぱい二人が担当した。10月より加藤が正式に水曜日担当に、翌年4月より椿原が正式に火曜日担当となる。
- 2009年6月29日(月曜日)は松尾翠アナウンサー(当時月曜日担当)が欠席[注 72]、中村光宏アナウンサー(当時水曜日担当)が代役を受け持った。
- 2010年2月12日より3週間、当時金曜日担当の平井理央アナウンサーがバンクーバーオリンピック現地キャスター担当[3]のため、その間は斉藤舞子アナウンサー(増刊号担当)が代理を務めた。
- 2010年6月14日(月曜日)は椿原慶子アナウンサー(当時月曜日担当)が欠席[注 73]。前年に引き続き、中村光宏アナウンサー(当時水曜日担当)が代役を受け持った。
- 2011年8月31日(水曜日)は水曜テレフォンアナウンサー担当の阿部知代が夏季休暇の為、欠席。代行は月曜日担当の生野陽子が務めた。
- 2011年10月4日(火曜日)は火曜テレフォンアナウンサー担当の本田朋子が夏季休暇の為、欠席。代行は10月から木曜テレフォン担当の高橋真麻が務めた。
- 2012年3月12日(月曜日)は月曜テレフォンアナウンサー担当の生野陽子が東日本大震災の被災地岩手県陸前高田市と大槌町の現地取材の為、欠席。代行は金曜日担当の生田竜聖アナウンサーが務めた。
- 2012年6月27日(水曜日)は水曜テレフォンアナウンサー担当の本田朋子が6月29日〜7月1日まで富山県富山市にて開催の日医工女子オープンゴルフトーナメントのイベント司会の為、欠席。代行は木曜担当の三田友梨佳アナウンサーが務めた[4]。
- 2012年7月25日(水曜日)より3週間、水曜テレフォンアナウンサー担当の本田朋子がロンドンオリンピック現地キャスター担当のため、その間は各曜日のテレフォンアナウンサーが代行を務めた。代行を務めたアナウンサーは以下の通り。
- 2012年12月17日(月曜日)は月曜テレフォンアナウンサー担当の生野陽子が選挙特別番組に出演の為、欠席。代行は新人の久代萌美が務めた。同様に2013年3月11日(月曜日)も生野が東日本大震災の被災地現地取材及び生放送[注 74]の為欠席し、久代が代行を務めた。
- 2012年12月20日(木曜日)は木曜テレフォンアナウンサー担当の三田友梨佳が札幌市の真駒内アイススケートアリーナで開催の『第81回全日本フィギュアスケート選手権』現地キャスター担当の為、欠席。代行は火曜担当の竹内友佳が担当した。
- 2013年3月14日(木曜日)は木曜テレフォンアナウンサー担当の三田友梨佳がカナダオンタリオ州ロンドンで開催の『世界フィギュアスケート選手権2013』のインタビュー・リポート担当の為、欠席。代行は月曜担当の生野陽子が担当した[注 75]。
- 2013年4月16日(火曜日)は火曜テレフォンアナウンサー担当の久代萌美が2012年10月から担当している『スーパーニュース』のフィールドリポーター取材の為、欠席。代行は元火曜レギュラーで、『増刊号』担当の竹内友佳が担当した。
- 2013年7月1日(月曜日)は月曜テレフォンアナウンサー担当の生野陽子が富士山登頂中継の為欠席、アナウンス担当局長の福井謙二が登板。この日は2013年度入社の新人アナウンサー3名のお披露目も併せて行われた。
- 2013年11月6日(水曜日)は水曜テレフォンアナウンサー担当の三田友梨佳が欠席、代わって遠藤玲子アナウンサーが登板した。
- 2014年2月5日(水曜日)より3週間、水曜テレフォンアナウンサー担当の三田友梨佳がソチオリンピック現地キャスター担当のため、その間は各アナウンサーが代行を務めた。代行を務めたアナウンサーは以下の通り。
テレフォンAD[編集]
テレフォンアナウンサーが導入される以前は、『テレフォンショッキング』の電話担当は原則としてADが担当していた。以下はその例。
- 番組開始当初 - テレフォンアナウンサー導入まで
- テレフォンアナウンサー導入後
- プリティ金子 (本名 金子剛)
- 1995年10月 - 1997年3月、金曜日担当
現NMB48劇場支配人
その他[編集]
- すべりインタ(テレフォンインタビュアー)
- 2007年3月2日、試験的に「テレフォンインタビュアー」というのを設け、当時金曜レギュラーの南海キャンディーズ・山里亮太が「すべりインタ」として部分的に登場した[注 77]。なお、この『すべりインタ』は山里本人のラジオ番組の「インタすべる」とリンクしていた。
- 2010年1月12日、前日のテレフォンゲストだった佐藤が特別にテレフォンアナウンサーを担当した。
番組スタッフ[編集]
- 試験的に月曜と木曜日、視聴者とスタジオアルタを端末で繋いでアンケートを取る機械“アンサちゃん”が登場したが、よく故障するのでスタッフが駆り出され、たびたびテレビに登場するので人気が出、アンサ中田と呼ばれた。
総合司会不在時の対応[編集]
- 当番組の総合司会を務める森田一義(タモリ)が当番組を欠席したのは、船舶免許を取得する時(1994年12月6日、1995年1月26日)、ゴルフのプレー中に起こった事故による時(2001年11月)などのほか、嘗てはタモリが司会を務めていたバラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系列)の海外ロケを兼ねてや、1983年〜1992年まで10年間は毎年、定期的に夏休みをとって海外に旅行へ行っていた。
- 1984年〜1989年まで5年間は正月休暇もとったこともある。この時は、各曜日レギュラー陣の代表(リーダー)が番組全体の司会・日替わりコーナーの司会・『テレフォンショッキング』の司会をしていた。当時、臨時司会を担当していたレギュラー陣は、笑福亭鶴瓶、明石家さんま、関根勤、片岡鶴太郎、所ジョージなどが担当していた。だが当時の当番組のプロデューサーであった山縣慎司の意向からか、1993年以降は夏休みは取らなくなった。
- タモリがゴルフのプレー中に起こした事故による時(2001年11月)には、緊急だったので各曜日レギュラー陣の全員が協力して当番組を進行していた。
- 2009年7月10日放送分のエンディングにて、平井理央アナウンサーからタモリが精密検査(人間ドック)を行うために次週の放送出演を丸々休養することが発表された。その中で検査とともに白内障の手術も行うことをタモリが自ら語った。タモリが休養の期間は代役の司会者を立てず、各曜日のリーダーが日替わりで番組全体の司会と「テレフォンショッキング」の司会を務めた。
レギュラー出演者の欠席[編集]
- SMAPのメンバーの欠席の例。
- 2007年5月21日は、月曜レギュラーの香取慎吾(以下、香取)が映画『西遊記』の撮影でカンヌに行ったため、金曜レギュラーである草彅剛(以下、草彅)が代理で出演した。
- 同様に2009年3月2日も、月曜レギュラーの香取が欠席のため、金曜レギュラーである草彅が出演した。
- 2009年4月24日から同年5月22日まで、草彅が不祥事を起こしたため芸能活動を自粛、いいとも!を一時休演した。その後、2009年5月29日生放送分でいいとも!に復帰した。
- 2009年11月にはそれぞれの都合により欠席したSMAPのメンバーの代役("助っ人SMAP")として、他のメンバーが『テレフォンショッキング』を除く全てのコーナーにレギュラー扱いで出演した。なお、2009年11月17日(火曜日)は中居が欠席したものの、SMAP全員がニューヨークに行っていたので助っ人が出演することは無かった。
- 2009年11月9日(月曜日)香取がニューヨークでの舞台公演のため欠席、稲垣吾郎(以下、稲垣)が出演。
- 2009年11月16日(月曜日)引き続き、香取が欠席し草彅(金曜レギュラー)が出演。
- 2009年11月20日(金曜日)草彅がニューヨークでのCM撮影のため欠席、中居(火曜レギュラー)が出演。
- 2009年11月23日(月曜日)引き続き、香取が欠席し木村拓哉が出演。なお、木村はテレフォンショッキングにも出演(木村佳乃からの紹介[注 78])したため、オープニングからエンディングまですべてのコーナーに出演。
- 2010年5月21日(金曜日)草彅がアメリカでのドラマ『99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜』撮影のため欠席、稲垣が出演。
- 2011年8月1日(月曜日)香取が欠席、稲垣が出演。
- 2012年12月24日(月曜日)は香取がSMAPの札幌ライブコンサートへ向かうため、放送中に途中退場となった。なお、この日行われた香取が進行を務める『ちょっと怪しい課外授業』は、時間の都合上により「テレフォンショッキング」開始前に行われた。当日のエンディングには、同じくSMAPの中居・草彅・木村・稲垣が中継先からゲスト出演した。
- 2013年1月21日(月曜日)は月曜レギュラーのリーダー香取が欠席、代行は金曜レギュラーの草彅が務めた。また2月1日(金曜日)は草彅が韓国での舞台公演のため欠席、香取が代行を務めた。
- 2013年3月19日(火曜日)は火曜レギュラーのリーダー中居が米国サンフランシスコで行われていたWBCの現地取材の為、欠席。
- レギュラーの病気・事故による欠席は、以下の例がある。
- 2006年6月13日(火曜日)は、久本が風邪で高熱のため欠席。また、6月20日は中居が流行性角結膜炎に感染したため欠席し、2週連続で火曜レギュラーが欠席する事態になった。
- 2008年12月2日、爆笑問題・太田が脱腸(ソケイヘルニア)の手術をした。そのため太田の出演日である12月3日(水曜日)は欠席した。その代役として、それ以前の「ニセメンパラダイス」で登場した太田のそっくりさんがオープニング、オープニングコーナー、エンディングに登場した。
- 2010年1月8日には、当時金曜レギュラーのオリエンタルラジオ・藤森慎吾がインフルエンザの為番組を欠席した[注 79]。
- 2010年1月22日の放送は、当時金曜レギュラーのオードリー・春日俊彰が骨折事故で入院のため欠席、代わりに春日の等身大パネルが設置された[注 80][5]。
- 2011年1月13日(木曜日)以降、当時木曜レギュラーだったチュートリアル・福田充徳が急性膵炎にかかり入院、出演休止に。続いて、1月14日(金曜日)より、当時アシスタントを務めていたクルット&ハリーのクルットもインフルエンザにかかり入院したため、21日まで出演を休止、オープニングダンスは各曜日レギュラーがハリーとともに披露した(→参照)。なお、クルットは1月24日放送より復帰。また福田も2月24日の放送より復帰したものの、3月31日の放送を最後にチュートリアル自体が卒業となった。
- 2012年2月20日(月曜日)は渡辺直美がインフルエンザのため番組を欠席した[6]。
- 2012年4月12日(木曜日)は青年隊「noon boyz」の野澤がインフルエンザに、更に木曜レギュラーでピースの又吉直樹が結膜炎に罹患し、それぞれ番組を欠席。野澤の代理は綾部祐二が担当した[注 81]。なお、野澤は翌13日(金曜日)も欠席し、代理を草彅剛が担当した。
- 2012年9月中、月曜準レギュラーのスギちゃんが負傷事故により欠席したが、10月1日より復帰。
- 2012年11月19日(月曜日)は爆笑問題・田中がウイルス性肝機能障害による緊急入院で欠席。代役として相方で水曜レギュラーの太田がオープニングコーナーの途中から出演した。なお12月18日に田中・太田がそろって手術(田中は扁桃腺除去、太田は声帯ポリープ除去)[7][8]を受けたため、翌12月19日(水曜日)は太田が東京都内某所から中継で出演、フリップによる筆談を披露した[9]。また、田中は術後1週間入院[7][8]の為、12月24日(月曜日)の放送は欠席予定だったが実際は出演した。
- 2014年2月4日(火曜日)は火曜レギュラー・大竹(さまぁ〜ず)が風邪の為欠席。代役として月曜レギュラーで相方の三村が二日連続で出演した。
- 2014年3月18日(火曜日)は火曜レギュラー・バナナマンの日村勇紀がインフルエンザの為欠席。日村が司会のコーナーは代役として不定期レギュラーのとんねるずの石橋貴明が担当した。
- 交通事情などによるレギュラーの欠席は、以下のものがある。
- 毎年7月の「FNSの日」における『増刊号生スペシャル』でも、レギュラー陣の一部がそろわない例があった。詳しくは当該項を参照のこと。
- 2009年1月8日、笑福亭鶴瓶(以下、鶴瓶)が休暇のため欠席、代役としてオープニングのレギュラー陣紹介の時にTKOが登場した。そして、同年8月13日、2011年8月11日でも、鶴瓶が恒例の夏休みのため欠席、この回もTKOの2人が登場した。
- 2010年11月18日(木曜日)は、鶴瓶が欠席し、元レギュラーで鶴瓶の事務所の後輩にあたるよゐこが代理出演した。
- 2011年3月4日(金曜日)には、オリエンタルラジオ・藤森が遅刻により番組を欠席(中田が一人で出演)した。理由は放送では語られなかったが、後に本人がTwitterで謝罪した。
- 2011年8月12日(金曜日)は萬田久子(当時金曜レギュラー)が欠席した[11]。3日前に萬田の内縁の夫だった人物が逝去したこともあり、萬田本人の強い意向によるものだが、同日の放送で萬田の欠席とその理由について触れられることはなかった。当日は代役として剛力彩芽が出演した。なお、萬田は同年9月30日放送分を以て卒業した。
- 2012年8月16日(木曜日)は木曜レギュラーの鶴瓶が夏季休暇の為欠席。代わって、鈴木福が出演した。
- 2013年10月21日(月曜日)は月曜レギュラーの武井壮がブラジルで開催の世界マスターズ陸上選手権に出場の為欠席。
その他[編集]
- いいとも!レギュラー陣は基本的には他の曜日には出演しない。ただし、番組や映画宣伝などで他の曜日に出演する場合もあった。
- 毎年4月と10月に新レギュラーが加入すると同時にレギュラー陣の一部が他の曜日に移動するが、1992年春と1995年春、2009年4月と2010年4月、2013年10月はテレフォンアナウンサーを除くレギュラー出演者の曜日移動がなかった(2009年4月は新セットに変更したが、レギュラー出演者はテレフォンアナウンサーの新加入・移動のみで、2010年4月はいいとも青年隊の入れ替え以外は、レギュラー陣の降板・新加入・移動が無かった)。ただし例外的に2013年7月には、爆笑問題の田中裕二が月曜から金曜に移動、火曜レギュラーのさまぁ〜ずが、三村マサカズが月曜日、大竹一樹は引き続き火曜レギュラーと別々に出演することになるなど、7月期としては異例となる大幅なレギュラー移動があった。なお7月期のレギュラー移動は1997年の猿岩石(隔週火曜→隔週木曜)以来16年ぶりとなった。
(※注 以下、出演曜日は当時のもの。)
- 過去に数度、テレフォンアナウンサーを除く全レギュラー出演者が男性のみになった曜日が存在する。
- 1992年4月から9月までの月曜レギュラー(関根勤、ウッチャンナンチャン)
- 1992年10月から1993年3月までの月曜レギュラー(ウッチャンナンチャン、志茂田景樹)
- 1993年4月から1994年3月までの火曜レギュラー(ウンナン、志茂田、ダチョウ倶楽部)
- 1992年10月から1993年3月までの水曜レギュラー(片岡鶴太郎、ヒロミ)
- 2003年4月から9月までの金曜レギュラー(関根、草彅剛、ココリコ、おすぎ)
- 2007年10月から2008年3月までの金曜レギュラー(関根、草彅、ピーコ、さまぁ〜ず、品川庄司)(テレフォンアナウンサーを除く)
- 2008年4月から2008年9月までの金曜レギュラー(関根、草彅、ピーコ、さまぁ~ず、オリエンタルラジオ)(テレフォンアナウンサーを除く)
- 2010年10月から2011年3月までの水曜レギュラー(爆笑問題、おすぎ&ピーコ、千原ジュニア、DAIGO)
- 2011年4月から2012年3月までの火曜レギュラー(中居正広、さまぁ〜ず、タカアンドトシ)(テレフォンアナウンサーを除く)[注 82]
- 2011年10月から2012年3月までの木曜レギュラー(笑福亭鶴瓶、ピース、山崎弘也)(テレフォンアナウンサー[注 83]を除く)
- 2012年4月から9月までの金曜レギュラー(関根、草彅、劇団ひとり、バナナマン)(このときはテレフォンアナウンサーも男性である生田竜聖アナであった)
- 2008年9月29日から月曜レギュラーとなった南明奈は、初の平成生まれのレギュラーであった。その後、平成生まれの女性レギュラーとしては、月曜最終レギュラーの指原莉乃(以下、指原)、火曜最終レギュラーのローラが含まれる。また指原は初の1990年代生まれ(1992年生まれ)のレギュラーとなった。なお、平成生まれの初の男性曜日レギュラーは、2012年10月3日から水曜レギュラーになった栗原類である。アシスタントでの平成生まれは、最後の青年隊であるnoon boyzの真田佑馬・野澤祐樹の2人が該当する。また、レギュラー最年少は、Holidayレギュラーとして出演する鈴木福で番組史上唯一の21世紀(2000年代)生まれのレギュラーである。なお、テレフォンアナウンサーでの最初の平成生まれの担当者は久代萌美(2013年4月から担当)で、平成生まれのテレフォンアナウンサーは後に(2013年10月から)就任した内田嶺衣奈と合わせ二人のみである(なお、内田は唯一の1990年代生まれのテレフォンアナウンサー)。
- 2006年5月1〜5日までの放送分では、いいとも!レギュラー陣の1組が『ゴールデンウィーク特別企画「いいとも! 相互乗り入れスペシャル」』として他の曜日に出演した。出演した全員がオープニングから登場。出演したレギュラーは以下の通り。
- 同様の企画として2009年6月29日 - 7月3日の放送で、他の曜日レギュラーが他の曜日に出演する『お楽しみウィーク』を実施した。中居のみ中盤のコーナーの『ドキドキアンケート だんだん減らしまSHOW』から登場、その他はオープニングから登場。出演したレギュラーは以下の通り。
- 2007年7月13日には、映画『西遊記』の宣伝のために、香取が金曜日に出演した。
- 2008年10月1日から水曜日にておすぎ&ピーコが兄弟で同番組のレギュラーとして共演することになり(2008年9月までは2人の出演曜日が異なっていた。なお2011年3月30日を以て降板)、タモリ、爆笑問題・太田光(以下、太田)曰く「恐れていた事態」「史上最悪の事態」。オープニングではまとめて紹介された。爆笑問題、おすぎ、ピーコがレギュラー番組で一緒に出演するのは2005年3月まで水曜日に放送されていた同局のバラエティ番組「爆笑おすピー大問題!!」以来3年半ぶりのことになった。
- 2009年3月20日には、フジテレビ開局50周年記念ドラマ『黒部の太陽』の宣伝のために、香取がゲストとして金曜日に出演した。
- 2011年5月2日(月曜日)は、前週(4月25日)の放送終了後のトークでオードリー(当時月曜レギュラー)の若林正恭が不意に「ミンミン」と言ってしまったため、若林がセミの着ぐるみを着た姿で登場[注 86]。さらにその日の放送終了後トークではまたもや若林が「おっかさん」と言ってしまい翌週の5月9日放送分ではセミの着ぐるみの上に割烹着を着た状態で登場した。なお、このセミの着ぐるみは後に同年8月3日(水曜日)放送分でロッチの中岡創一が着用した[注 87]。
- 2012年2月23日(木曜日)は木曜テレフォンアナウンサーの高橋真麻がコーナーゲストに出演していた父・英樹と共演。
- 2012年3月16日(金曜日)は金曜テレフォンアナウンサー担当の生田竜聖がコーナーゲストに出演していた兄・斗真と初共演した。[注 88]
- 2012年4月30日(月曜日)は4月から導入された『Holidayレギュラー』の鈴木福が出演を果たした。また、スギちゃんが正式に準レギュラー入り。
- 2012年4月11日(水曜日)から準レギュラーとして出演していた鈴木浩介(以下、鈴木浩)が、5月9日(水曜日)放送分から正式に水曜月1回のレギュラーに昇格した。
- 2012年10月12日(金曜日)は金曜レギュラーのバナナマン・設楽統が4月に加入後、初めてオープニングコーナーの最中に登場し、ロンドンオリンピック金メダリスト・吉田沙保里と手押し相撲対決を行った。
- 2013年3月27日(水曜日)は水曜隔週レギュラーだった三ツ矢雄二、翌3月28日(木曜日)は木曜レギュラーだった伊藤修子がそれぞれ卒業。なお、三ツ矢の卒業の模様は当日生放送に入りきらなかったが、3月31日放送の『増刊号』エンディングにて放送された。
- 2013年8月12日〜16日週は夏休み特別企画として、鈴木福が1週間通しで出演した。
- 2013年10月22日(火曜日)のエンディングにおいて、木曜レギュラーの鶴瓶が突如登場。鶴瓶が「『いいとも!』終わるってホンマ?」と聞くと、続けてタモリが「来年(2014年)の3月で『いいとも!』(の放送を)終わります」とコメントし、翌年3月末をもって番組終了することが発表された。
- 最終回(2014年3月31日、月曜日)では「曜日対抗いいともCUP FINAL」を開催、月曜レギュラーに加え他の各曜日レギュラー代表者1名ずつ(中居、太田、鶴瓶、関根)が出演。月曜からは香取がゲームに参加した。
備考[編集]
- 全曜日に出演経験があるレギュラーメンバーはルー大柴、森脇健児、香取慎吾の3人。
- 最終回時点で1980年代から出演していたレギュラーは関根勤(28年半)・笑福亭鶴瓶(27年)の2人、1990年代から出演していたレギュラーは中居正広と香取慎吾(共に20年)、草彅剛(18年半)の3人のみ、2000年代から出演しているレギュラーは爆笑問題、さまぁ〜ず、千原ジュニア、タカアンドトシ、劇団ひとり、柳原可奈子、ベッキーの7組である(つまり最終24組中約半数が2010年以降のレギュラー)。
- お笑いコンビでレギュラー出演期間が最も長かったのは、2000年4月から水曜レギュラーとして出演の爆笑問題(14年)、次いで長いのは、1999年10月 - 2009年9月までレギュラーであったガレッジセールと2004年4月から最終回までレギュラーだったさまぁ〜ず(ともに10年)となる。
- レギュラーを一度卒業した後に再加入した経験を持つのは上島竜兵(ダチョウ倶楽部)、片岡鶴太郎、吉沢秋絵、清水ミチコ、住友優子、キャイ〜ン(ウド鈴木・天野ひろゆき)、勝俣州和、大島美幸(森三中)、有吉弘行、そして番組末期の2014年2月に曜日不定レギュラーとなった岡村隆史(ナインティナイン)の計11人である。
- 番組アシスタントを卒業した後にレギュラーに加入した経験を持つのは神田利則(元いいとも青年隊・半熟隊)、岸田健作(元いいとも青年隊・With T)、渡辺直美(元いいとも少女隊・リン・ナオミ)の3人である。そのうち渡辺は、最終回まで出演している。
- 番組のレギュラーの中で卒業後改名したレギュラーは仁支川峰子、DON、プリティ長嶋、東国原英夫、9代目林家正蔵、井手らっきょの7人。
- 元レギュラーで後に政治家経験者はプリティ長嶋(千葉県市川市議会議員)、田中康夫(国会議員、新党日本代表)、山本太郎(れいわ新選組代表)、橋下徹(大阪府知事、大阪市長、維新の党共同代表)、東国原英夫(宮崎県知事)の4人。
- 元レギュラーで前番組『笑ってる場合ですよ!』から出演していたのは高田純次、松金よね子の2人のみ。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c d 全曜日へのレギュラー出演の経験がある。
- ↑ 2008年3月31日放送分から2010年4月2日放送分までは、いいとも少女隊として出演していた。
- ↑ 2011年4月から6月までは裏番組の「ヒルナンデス!」のレギュラーを務めていた。「いいとも」のレギュラー経験者が「ヒルナンデス」のレギュラーに抜擢されたメンバーは何人かいるものの、「ヒルナンデス」のレギュラーを務めてから「いいとも」のレギュラーに抜擢されたのはローラだけである。
- ↑ 2012年頃からは、タモリ、テレフォンアナウンサーを含む全水曜レギュラー陣を紹介するかのようなくだりを行っていた。しかし、週替わりレギュラー枠(パンサー・ウエストランド・アルコ&ピース)はちゃんと言ってもらえないことが多く、自身は何故か最後のnoon boysと一緒に一括りにしていた。
- ↑ 番組終了から2年後の2016年4月5日から『いいとも!』の後継番組『バイキング』の火曜日司会に就任した。『バイキング』レギュラーに旧『いいとも!』メンバーの起用は柳原が初めてである。
- ↑ 2012年7月からの日替わりコーナーでの初登場を皮切りに準レギュラーとなり、その後レギュラーへ正式に昇格した。
- ↑ 初の平成生まれの男性曜日レギュラーであった。また、18歳未満のレギュラーは香取慎吾(SMAP)の1994年4月以来18年半ぶり。
- ↑ 毎年1月最初の週の日・8月中旬は休暇のため出演しない。また、1999年から2011年までは『特大号』にも出演しなかった。
- ↑ レギュラー陣の中で、関根勤に次いでレギュラー出演期間が長い。また年長レギュラーでは珍しく、曜日の変動が一度も無い。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c 2013年9月19日放送分は、夏休みのため西山喜久恵アナウンサーが担当。
- ↑ 人数の都合上により「曜日対抗いいともCUP」の曜日対抗コーナーには必ず参戦。
- ↑ 嵐山光三郎に代わって「増刊号編集長」を担当。
- ↑ 全レギュラー陣の中で、最もレギュラー出演期間が長い。
- ↑ 「曜日対抗いいともCUP」にて鈴木浩介(月1回レギュラー)が出演しない日には代理で参戦。
- ↑ 2014年1月14日放送分での『テレフォンショッキング』に於いて2人がタモリへ直訴し了承した為就任が決定した。本来であれば番組の権限はプロデューサーにあるのでタモリの独断で決めることはできないが、番組終了が近いことから特別に認める形になった。同年1月20日放送から、曜日は固定せず正式にスペシャルレギュラーとして加入し、番組最末期に花を添えた。
- ↑ 2014年2月19日放送分での『テレフォンショッキング』に於いて岡村がタモリへ直訴し了承した為就任が決定した。ちなみに、相方矢部は 妻の青木裕子が出産目前で大事な時期なので断った。
- ↑ 1995年10月〜1997年3月までコンビでレギュラー出演していた。
- ↑ 祝日や学校が休みの日に出演
- ↑ BSフジの『beポンキッキーズ』と同時起用。
- ↑ 月曜日のジャンクションにも登場していた経験あり(笑っていいとも!のコーナー一覧#ジャンクションも参照)。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c 番組末期の月曜日にほぼ常態的にゲスト出演しており、最終出演(2014年3月24日放送分)時は氏名の上に「月曜 常連ゲスト」とテロップ表示された。
- ↑ 2012年のFNS27時間テレビや特大号などでのタモリイラストも担当。
- ↑ 氏名クレジット上は「渡辺信一」。
- ↑ 氏名クレジット上は「片岡馨」。
- ↑ 1989年10月から1990年3月いっぱいまでは特別な機会やレギュラー出演者不在時に代役として色々な曜日に出演。
- ↑ ただし『テレフォンショッキング』ではアシスタント格で出演しているため、「テレフォンアシスタント」と言う場合がある。
- ↑ なお、初代テレフォンアナのうち2014年現在在職中の者は川端と阿部の2人だけとなった。2010年10月の日替わり制シフト導入以降、阿部は同年10月6日(水曜日)に、川端は10月25日(月曜日)にそれぞれ出演している。
- ↑ 『いいとも!』開始以降のフジテレビ系列の開局は1991年4月の岩手めんこいテレビ、1997年4月のさくらんぼテレビ、高知さんさんテレビ。なおネット局変更は1993年10月の大分県(大分放送 → テレビ大分)。
- ↑ 榎並は慶応義塾大学時代、水泳部に所属しており、当時実際に着用していた水着で出演した。
- ↑ 実は2007年8月にもタモリが「来年から男子アナは海パン着用で」と言ったことがある(当時は水曜日を渡辺和洋、木曜日を田淵裕章がそれぞれ担当していた)
- ↑ 歴代テレフォンアナ最長期間担当。一時期、木〜日曜日(当初は金曜日のみ)の昼ニュース(『FNNスピーク』・『産経テレニュースFNN』)や週末の『FNNスーパータイム』キャスターも担当。
- ↑ 『ニュースJAPAN』のキャスター担当就任のため降板。
- ↑ 第1期月曜日時代は3年後輩にあたる塩原恒夫と交代で隔週で担当。
- ↑ 当初は3年先輩にあたる川端健嗣と交代で隔週で担当。
- ↑ 『FNN NEWSCOM』のキャスター担当就任のため降板。
- ↑ 不倫騒動の影響により降板。
- ↑ 降板して3か月後に『FNNスーパーニュース』メインキャスター(水〜金)担当(2009年10月からしばらくは、体調不良により出演しなかった)。その後、2010年10月19日に1年半ぶりにテレフォンアナを担当し、元気な姿を見せた(日替わり制導入期間中、3回担当した)。
- ↑ スポーツ中継及びVS嵐(天の声)の担当就任の為降板。
- ↑ 平日は『めざましテレビ』の情報キャスター、『ノンストップ!』金曜プレゼンターを担当。
- ↑ 『FNNモーニングコール』のキャスター専念の為降板。1988年4月から6月までは、モーニングコールと兼任。
- ↑ 『FNN World Uplink』の海外キャスター担当就任の為降板、その後19年半ぶりに復帰。現在、『FNNニュース』関連の報道番組でのメインキャスターとして活躍。
- ↑ 『アンテナホット7』の月・火・水曜日MCと、『FNNスーパータイム』の週末版キャスター担当就任の為降板。
- ↑ 『FNNスピーク』のキャスター担当就任の為降板。
- ↑ 『おはよう!ナイスディ』(放送終了)のMC就任の為降板。ちなみに水曜日の後任アナウンサーは同期入社の後述の西山喜久恵であった。また、水曜日は「タモリのボキャブラ天国」の放送日のため番組を宣伝していた。(「タモリのSuperボキャブラ天国」放送開始日の1994年4月13日も担当。「タモリのボキャブラ天国」、「タモリのSuperボキャブラ天国」は放送終了)
- ↑ (女子アナの中では最長期間担当)
- ↑ 『FNNスーパーニュース』サブキャスター担当就任の為降板。
- ↑ 最終回特番『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にも出演(進行担当)
- ↑ 『FNNスピーク・土曜日』のキャスター担当就任の為降板。
- ↑ 当時、共同テレビ所属アナウンサー。1996年3月をもってフジテレビとの専属契約期間が満了した。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c 退社のため降板。
- ↑ 当時、共同テレビ所属アナウンサー。2006年3月をもってフジテレビとの専属契約期間が満了した。
- ↑ ディレクターの出口敬生と結婚し、2005年8月に第1子となる男児出産の為降板。
- ↑ 『こたえてちょーだい!』のMC就任の為降板。
- ↑ 『わかってちょーだい!』(放送終了)のMC就任の為降板。
- ↑ それ以前の2008年8月のみ1か月間、水曜日担当の渡辺和洋アナウンサー(当時)の代理を務めた。
- ↑ それ以前の2008年8月のみ1か月間、当時金曜日担当の平井理央アナウンサーの代理を務めた。
- ↑ 『知りたがり!』(放送終了)のコーナー担当就任の為降板。
- ↑ 「曜日対抗いいともCUP」にて競技内容や三ツ矢と鈴木が不在の時は代理で出場することもあった。
- ↑ 改編ではない7月に降板しているのは、『FNNスーパーニュース』を担当していた木佐彩子が産休に入り、同番組を引き継ぐ事になったため。西山降板後の2001年(平成13年)7月から2004年(平成16年)9月までは固定担当はなく、各曜日テレフォンアナが持ち回りで担当していた。
- ↑ 2008年7月27日放送分の『FNS27時間テレビ』の『笑っていいとも!増刊号スペシャル』の『テレフォンショッキング』(テレフォンゲスト:明石家さんま)の時に斉藤がテレフォンアナウンサーを担当し、その翌年の2009年7月26日放送分の『FNS26時間テレビ』内の『笑っていいとも!増刊号スペシャル』の『テレフォンショッキング』(テレフォンゲスト:島田紳助)でも斉藤が2年連続テレフォンアナウンサーを担当した。
- ↑ 『増刊号』においては過去に、水曜日担当だった2009年5月から9月まで、DAIGO(当時水曜日レギュラー)とともに『DAIGO録(ロック)あしたのために』というコーナーを担当していた。『増刊号』の放送回・内容によっては出演しない場合もあった。また、月曜から金曜日の担当者の誰かが休暇などで出演しない場合などによっては、中村が担当することもあった。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 「クイズ!ヘキサゴンII」発のユニット「部長と部下」を組んでいたこともあり、2010年4月28日のテレフォンショッキングにそろって出演(ただしテレフォンショッキングでは牧原俊幸、中村仁美として。つるの剛士からの紹介)。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c 軽部真一と、高島彩(当時。2010年12月退社)は2003年12月3日に、当時出演していた『めざましテレビ』発のデュオ、K&TとしてリリースしたCD(『君の好きなヒト/約束の空』)発売の一環として単発で1回担当したことがある(2010年10月20日の軽部の発言より)。ちなみに2003年12月3日のゲストは益子直美だった。
- ↑ 2010年12月31日付でフジテレビを退職のため、これが局アナとして最後の業務となった。
- ↑ 5週目がある場合は振り出しに戻り、再び生野からとなる。
- ↑ 5週目が発生した場合、別の担当アナが登板する可能性もあった(翌月1週目より、再び西山から)。
- ↑ 2011年2月は石本が17日(木曜日)に出演したため、第4週目の25日は初めて他のアナウンサーの担当となり、中村光宏が担当した。制度期間中、金曜日を男性アナが担当したのはこの1回だけである。
- ↑ 同期入社でもう一人現在アナウンス部にいる森本さやかも2011年2月9日(水曜日)にテレフォンアナウンサーを担当した。もう一人同期である冨田憲子(ニッポン放送から転籍)の登板は実現しなかった。なお、渡辺は当時担当していた『知りたがり!』の放送時間の関係でテレフォンアナウンサーとしての再登板は実現しなかった。
- ↑ 正式には2009年10月5日より月曜日担当だが、前週の9月28日にも担当(松尾翠の夏季休暇に伴う)し、火曜日最後となった9月29日(翌週より松尾と担当曜日交換)と2日続けて担当した。
- ↑ 2010年度入社組で最初に担当したのは山﨑夕貴(2010年10月14日(木曜日))。以後、細貝沙羅、谷岡慎一もそれぞれ担当(図を参照)、2011年1月27日(木曜日)に木下康太郎が担当し、2010年度入社組全員がテレフォンアナウンサーを経験した。また2009年入社組で最初に担当したのは山中章子(2010年10月27日(水曜日))で、以後松村未央、立本信吾もそれぞれ担当(図を参照)。未経験者は福井慶仁のみとなった。
- ↑ 現状では鈴木芳彦が「増刊号」のナレーションを担当している程度。また、鈴木以外にも桜庭亮平も「増刊号」のナレーションを数回経験している。
- ↑ 2009年夏に開催されたフジテレビのイベント『めざせ!お台場合衆国2009〜フジがやらなきゃだれがやる!〜』に『合衆国エンジェル』としてフジテレビ女子アナウンサー10名が選抜され、その記者発表が行われたため。なお『合衆国エンジェル』はいいとも!担当の女子アナウンサー(当時)からは松尾、平井、加藤、椿原が担当した。
- ↑ 2010年夏に開催のフジテレビのイベント『お台場合衆国2010〜笑うBayには福きたる!!〜』に『合衆国エンジェル』としてフジテレビ女子アナウンサー11名が選抜され、その記者発表が行われたため。なお『合衆国エンジェル』はいいとも!担当の女子アナウンサー(当時)からは松尾、平井、加藤、椿原が前年に引き続き担当。なお、中村は当日番組で行われた「なりきり川柳」にて男性アナウンサーとしては初めて川柳を読み上げた。
- ↑ 2013年3月11日(月)のめざましテレビ
- ↑ この週、生野は本来担当の月曜日を欠席したが、後輩の三田に代わって木曜日を担当した。
- ↑ 現在は系列局であるテレビ静岡の代表取締役社長、グループ企業のフジアール代表取締役を務める。
- ↑ ちなみにこの日のゲストは渡辺美里だった。
- ↑ お友達紹介で木村は、GATSBYのCMで共演している岩尾望が所属しているお笑いコンビ、フットボールアワーを紹介した。
- ↑ この日行われた『いいとも劇場 白紙の演技』では、相方の中田敦彦が関根劇団・久本劇団の両方に参加した。
- ↑ ただし春日本人は電話で出演したほか「この気持ちあるある!なりきり川柳」にのみ参加(事前に作品を提出済み)した。
- ↑ いいともレギュラーの急病での欠席は2月20日、月曜レギュラーのナオミ以来。青年隊の欠席は2011年1月14日の当時AD隊だったクルット以来
- ↑ 番組内では『お昼のSMAP』としていた。
- ↑ 人数の都合により『曜日対抗いいともカップ』には必ず参戦していた。また、放送終了後のトークでは立ち位置が他の曜日と異なっていた。
- ↑ 自身が主演の同局の月9ドラマ『婚カツ!』の最終回の番宣も兼ねて、『婚カツ!』内での役『雨宮邦之』と同じ衣装で登場。
- ↑ この日行われたコーナー『ゲストは誰だ!?マス埋めヒンター』では本日限りのヒンター役、『司会者さんいらっしゃい!』ではかつて月曜日で演じていたウォンさんとなって司会をした。しかし、『マス埋めヒンター』ではヒントが悪く、この日ゲストのボビー・オロゴンが冒頭から登場出来ず、『司会者さんいらっしゃい!』では途中でゲストで来ていた野沢直子とバトンタッチをする形となってしまった。
- ↑ しかし、レギュラー陣は香取の着ていた衣装に注目してわざと気づかないふりをしたため説明さえも出来なかった。
- ↑ 同年7月27日の『来週水曜日の「いいとも!テレビ欄」を考える!』でタモリが考案したものが採用されたため。
- ↑ のちに、斗真と竜聖は、火曜9時ドラマ「遅咲きのヒマワリ〜ボクの人生、リニューアル〜」にて、兄弟役で共演を果たした。
出典[編集]
- ↑ 笑っていいとも!スペシャル フジテレビ公式サイトを参照
- ↑ 岡村隆史がSMAPと親交を深めた驚きの方法,exciteニュース,2019年5月28日
- ↑ 平井理央アナ北京に続き五輪キャスター - 日刊スポーツ、2010年1月14日
- ↑ 富山へ(2012年6月27日ゆりともみどり)
- ↑ 今日のいいともニュース2010年1月22日(金)
- ↑ “渡辺直美&シルク インフルエンザで番組を休演”. スポーツニッポン. (2012年2月21日)
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 爆笑問題が同じ日に同じ医師でのど手術 デイリースポーツ、2012年11月22日
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 爆問・田中&太田が12・18W手術 デイリースポーツ、2012年11月22日
- ↑ 暴走ぶり健在…爆問・太田“筆談”で「いいとも!」出演 スポーツニッポン、2012年12月20日
- ↑ “千原ジュニア、旅行から帰れず「いいとも」欠席”. デイリースポーツ. (2012年1月12日)
- ↑ “萬田久子、いいとも欠席”. スポーツ報知. (2011年8月13日)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ) - ウェイバックマシン(2001年1月19日アーカイブ分)