富山市
富山市(とやまし)は、富山県の中央部にある地方公共団体である。富山県の県庁所在地である。
概要[編集]
東に射水郡、西に滑川市、中新川郡上市町、立山町、舟橋村、長野県大町市南に岐阜県高山市、飛騨市、北に日本海がある。
また、富山県沿岸に広がる富山湾でとれる深海魚も有名。[1] 総面積に対し、可住地面積比率は38.2%で、市域の約6割が林野地となっているなど、自然豊かな都市である。また、環境未来都市、国際会議観光都市、国連エネルギー効率改善都市、レジデント・シティに選定されている。市内の多くは立山黒部ジオパークに、南東部は中部山岳国立公園に指定されている。同市は2011年よりインドネシア・バリ島で小水力発電施設の設置事業を推進するなど、国際的な環境事業に力を入れており、2017年2月2日には日本の中核都市としては初めて国際協力機JICAと人材交流や技術協力などの協定を結んでいるなど滋賀県を上回る環境先進県としても過言ではない。同市は県のプライメイトシティとして機能している。
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地理[編集]
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立山・黒部への玄関口として知られている富山市で、「越中富山の薬売り」でも有名な町である。富山県の中央部、神通川下流域の平野部一帯を占め、東には立山連峰、西には呉羽丘陵を臨み、北は日本海に面して開いており、富山県の中心地であると同時に、北陸地方における海陸交通の重要な拠点にもなっている。
東をいたち川、南をあざみ道り、西を神通川、北を松川に囲まれたエリアが元の富山市旧市街である。
沿革[編集]
富山の名に関しては、記録を見る限りでは奈良時代に国衙が置かれていた古国府(高岡市伏木)から見て呉羽丘陵の外にあったことから外山(とやま)と言いだしたことに始まると言う説と、その昔にこの地に富山寺(ふぜんじ)という隆盛を極めた真言宗の古刹があったことから、その寺号をとって富山と呼ばれるようになったとする説がある。
富山自体は、元の名を藤井村と呼ばれていたようで、記録によるとただの寒村に過ぎなかった。それが戦国時代の天文12年(1543年)に当時の越中国守護代であった神保長職の家臣・水越勝重によって築城されたことから、都市化が始まることになる。
- 1889年4月1日:市制施行される。
- 1899年:北陸本線富山駅開業。神通川の河川改修の直前だったため仮駅で開業。
- 1945年:上海にあった東亜同文書院大学(現愛知大学)が呉羽に疎開]
- 1945年8月2日:アメリカ陸軍航空軍による爆撃を受け、市内は焦土と化す。
行政[編集]
教育[編集]
大学[編集]
短期大学[編集]
交通[編集]
鉄道[編集]
道路[編集]
- 北陸自動車道
- 国道8号
- 国道41号
- 国道359号
- 国道360号
- 国道415号
- 国道471号
- 国道472号
- 富山県道1号富山魚津線
- 富山県道3号富山立山魚津線
- 富山県道4号富山上市線
- 富山県道6号富山立山公園線
- 富山県道7号富山八尾線
- 富山県道9号富山戸出小矢部線
- 富山県道30号富山港線
- 富山県道44号富山高岡線
文化[編集]
出版社[編集]
- 桂書房、北代に所在。富山県道208号小竹諏訪川原線沿線
観光地[編集]
有名寺社[編集]
史跡[編集]
博物館[編集]
出身著名人[編集]
脚注[編集]
- ↑ 例として、ホタルイカなど。