平尾昌晃

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平尾 昌晃(ひらお まさあき、昭和12年(1937年12月24日 - 平成29年(2017年7月21日)は、日本作曲家歌手社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会JASRAC)理事。

生涯[編集]

東京都出身。

アメリカの歌手・エルビス・プレスリーに影響を受けてロックンロールに傾倒し、昭和33年(1958年)に歌手デビューする。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加してミッキー・カーチス山下敬二郎ロカビリー旋風を巻き起こした。カナダ出身の歌手であるポール・アンカダイアナのカバーや星はなんでも知っているミヨちゃんなどで和製プレスリーとして人気を集める。

1960年代からは作曲家としても活動を開始し、布施明霧の摩周湖日本レコード大賞作曲賞を受賞し、小柳ルミ子瀬戸の花嫁日本歌謡大賞を、五木ひろし夜空日本レコード大賞を受賞する。その他にもわたしの城下町よこはま・たそがれ二人でお酒を恋のしずくなどポップスから演歌まで幅広い楽曲を手掛けてヒットメーカーとして不動の地位と一時代を築き上げた。歌手としては畑中葉子デュエットしたカナダからの手紙などが代表的である。

平成18年(2006年)からはNHK紅白歌合戦エンディング曲である蛍の光指揮者を務めた。また、平尾昌晃ミュージックスクールを設立して新人歌手の育成、少年院福祉施設で慰問ライブを行なったり、チャリティーゴルフ大会を開いたりするなど、ボランティアにも大きく貢献している。そのため、平成15年(2003年)に紫綬褒章を授与されている。

平成29年(2017年)7月21日午前11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。享年79。

作曲家としての提供曲[編集]

サウンドトラック[編集]

あ行[編集]

か行[編集]

さ行[編集]

た行[編集]

  • ザ・ドリフターズ
    • 「ミヨちゃん」(平尾が初めて作詞作曲歌唱してヒットさせたナンバーのカバー。渥美清も歌っている)

な行[編集]

は行[編集]

ま行[編集]

や行以降[編集]

その他[編集]

など多数。

また、高等学校の校歌や、企業社歌を作曲したこともある。

歌手としての作品[編集]

シングル[編集]

A面曲はポール・アンカのカバー。山下敬二郎と競作になった。
  • 好きなんだ! (I Love You)/ロック黒田節(1959年)
A面曲は作詞・作曲:ポール・アンカ
  • [[恋の片道切符/黒のブルース(メンフィス・ブルース)(1960年)
A面曲はニール・セダカのカバー。B面曲はアラン・ゴラゲール楽団のカバー
  • ランニング・ベア(悲しきインディアン)/レッド・リヴァー・ロック(1960年)
A面曲はジョニー・プレストンのカバー。B面曲はジョニーとハリケーンズのカバー
  • ミヨチャン/あの日から(1960年)
  • 都の灯りにあこがれて/リカちゃん(1960年)
  • あの娘16,おさげ髪/木曽の仲のりさん(1960年)
  • ワゴン・トレイン(幌馬車隊)/アイ・ラヴ・パリス(1960年)
A面曲はテレビ西部劇『幌馬車隊』主題歌のカバー、B面曲はミュージカル『CAN-CAN』挿入歌のカバー
A面曲はペギー・リーのカバー、B面曲はジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスのカバー
  • ムームー・ソング/夏の日の想い出(1961年)
  • ギラギラロック/今夜はひとりかい? (song):恋の片道切符 (ニール・セダカの曲)|恋の片道切符 (ニール・セダカの曲)]](1961年)
B面曲はアル・ジョルソンエルヴィス・プレスリーらが歌った曲のカバー
A面曲はチェイス・ウェブスターパット・ブーンらが歌った曲のカバー。B面曲はリッキー・ネルソンのカバー
  • いとしのルチア道中伊勢音頭(1961年)
  • 思い出の歌/雨の日だって楽しいさ(1961年)
  • 嫌じゃありませんか/水車がガッタンコ(1961年)
  • 夢の恋人/星の降るよな晩だった(1961年)
  • クレイジー・ラヴ/ジザベル
A面曲はジーン・ヴィンセントのカバー
東京オリンピック記念歌。伊藤アイコとデュエット。B面は伊藤のソロ曲「想い出の泉」
  • スピード野郎(1964年)
ミュージカル「ラップ3分2秒8」主題歌。B面は亀井信夫とスペイスメンの「祈らずにいられない」
畑中葉子とデュエット
畑中葉子とデュエット
畑中葉子とデュエット
  • ヨーロッパでさよなら/東京ラブ・ストーリー(1978年)
畑中葉子とデュエット
  • 遠い町/シンガーソングライター(1979年)
NHK『レッツゴーヤング』エンディングテーマ曲
  • 香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)/夕焼け(2002年7月21日)
アグネス・チャンとデュエット
  • 星空デート/恋ふたたび(2012年4月4日)
木の実ナナとデュエット

アルバム[編集]

  • 平尾とロック
  • マーチャン大いに歌う(1959年)
  • 平尾昌章とオールスターズ・ワゴン
  • 京都ベラミ平尾昌晃オン・ステージ(1972年) ※京都のナイトクラブ「ベラミ」で収録されたライヴアルバム
  • disco train(1976年)
  • 遠い町(1979年)
  • 夢に向かって…(1998年5月22日)
音楽生活40周年記念盤。提供作品のセルフカバー
  • メロディー〜ベストオブ平尾昌晃〜(2011年12月7日)
提供作品のセルフカバーに加え、書き下ろしの新曲を収録
  • 必殺仕事人 新録劇伴集((必殺仕事人2007〜)(2016年11月30日)

ベストアルバム[編集]

  • Nippon Rock'n'Roll - The Birth Of Japanese Rokabirii(2013年6月24日、イギリス盤)
  • 決定版 2016 平尾昌晃(2015年11月11日)

ラジオ出演[編集]

テレビ出演[編集]

映画出演[編集]

  • 嵐を呼ぶ男(1957年)
  • 愛河(1958年)
  • 星は何でも知っている(1958年)
  • 赤いランプの終列車(1958年)
  • 単車で飛ばそう(1959年)
  • 東京ロマンス・ウェイ(1959年)
  • 待っていた花嫁(1959年)
  • 可愛い花(1959年)
  • 女は抵抗する(1960年)
  • 恋の片道切符(1960年)
  • 不良少女(1960年)
  • 俺の故郷は大西部(1960年)
  • 夕陽に赤い俺の顔(1961年)
  • 引っ越しやつれ(1961年)
  • 幽霊五十三次(1961年)
  • 二階の他人(1961年)
  • 若者たちの夜と昼(1962年)
  • 大暴れ五十三次(1963年)
  • 七人の刑事(1963年)
  • 嵐を呼ぶ十八人(1963年)
  • 東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦(1963年)
  • 若い港(1964年)
  • やればやるぜ全員集合(1968年)

紅白歌合戦出場歴[編集]

  • 1960年 第11回「ミヨチャン」
  • 1961年 第12回「タック・ロック」 
  • 1962年 第13回「ツイストNo.1」
  • 1978年 第29回「カナダからの手紙」(畑中葉子とデュエット)

蛍の光・担当指揮[編集]

※「蛍の光」の三代目指揮者として藤山一郎宮川泰の後を引き継ぎ、2006年(第57回)から死去前年の2016年(第67回)まで担当した。

著書[編集]

  • 『不死鳥のメロディー』潮出版社 1972
  • 『これが、プロフェッショナルだ』泰流社 1977
  • 『平尾昌晃のカラオケ100点満点―カラオケなんて恐くない!! (1983年)
  • 『平尾昌晃の歌上手になる本』山口洋子講談社文庫(1986年)
  • 『気まま人生歌の旅』広済堂出版(1994年)-自伝
  • 『昭和歌謡1945~1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂新書 2013

関連項目[編集]

外部リンク[編集]