徳川綱吉

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徳川 綱吉(とくがわ つなよし、正保3年1月8日1646年2月23日) - 宝永6年1月10日1709年2月19日))は、江戸時代前期から中期にかけての武士政治家

概要[編集]

第3代将軍・徳川家光の四男。館林徳川家初代。上野館林藩の初代藩主
長兄家綱が嗣子無く逝去し、鎌倉幕府以来の宮将軍も検討されたが、老中堀田正俊の推薦で江戸幕府の第5代征夷大将軍(在職:延宝8年(1680年) - 宝永6年(1709年))に就任した。

出自[編集]

黒川道祐は自らの著書「塩碧軒記」(上之三)に「堀河の八百屋太郎右衛門という者の女房に高麗人あり、二女を産み妹が京の六条有済娘(於万の方)の縁にて桂昌院となる」[1]と記す。

評価[編集]

三上参次は自らの著書「五代将軍綱吉の晩年」(明治末期から大正初期に成立)において、元禄時代における綱吉の施政や人物論を行ない、「かくの如く毀誉褒貶、種々なりと雖も、要するに綱吉は善き方にも悪しき方にも狂的なりしなり」(綱吉のやることは何事も極端であり、褒めることもけなすことも多かったが、狂的であった)と評している。
綱吉治世下で来日謁見したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルも綱吉の英邁さを評価している。生類憐みの令赤穂事件(創作では忠臣蔵)事件における対応(「内匠頭は乱心」と判断した老中たちを無視して浅野長矩を切腹させる。被害者で何ら落ち度のない吉良義周を流罪にする)などから、余り評判は芳しくない人物である。発令した生類憐みの令は、綱吉晩年に犬の保護に偏重したことから、一般的に「公方」と評された。
とはいえ、近年では武断政治下では普通だった死体遺棄の禁止や孤児の保護の施策で世界的に先進的な法令として再評価されつつある。また、文治政治で朝幕関係が良好だったことも好評価とされる。当時は法律というものが「禁令」であったため、「武士でないものは、病人や老人以外は駕籠に乗ってはならない」という法令を出し、「病人や老人は駕籠に乗ってもいいよ」と公布したという。また、当時は野犬による人的被害は少なからずあったため、犬による人的な被害を減らしたという点では評価できる。

系譜[編集]

正室
側室
子女
養子
世嗣

偏諱を受けた人物[編集]

公家[編集]

親藩[編集]

譜代大名[編集]

外様大名[編集]

関連作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

徳川綱吉が主人公のテレビドラマ
その他のテレビドラマ

漫画[編集]

小説[編集]

同時代の権力者[編集]

国内[編集]

海外の帝王[編集]

脚注[編集]

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  1. 綱吉生前に世嗣に決めたが、綱吉は逝去まで将軍職を手放さなかった。

出典[編集]

  1. 「塩碧軒記」日本随筆大成10(吉川弘文館)

関連項目[編集]


日本史における歴代将軍一覧
(幕府なし)(坂上家) 1坂上田村麻呂
鎌倉幕府(源氏→摂家→皇族) 1源頼朝 / 2源頼家 / 3源実朝 / 4九条頼経 / 5九条頼嗣 / 6宗尊親王 / 7惟康親王 / 8久明親王 / 9守邦親王
室町幕府(足利家) 1足利尊氏 / 2足利義詮 / 3足利義満 / 4足利義持 / 5足利義量 / 6足利義教 / 7足利義勝 / 8足利義政 / 9足利義尚 / 10足利義稙(足利義材) / 11足利義澄 / 12足利義晴 / 13足利義輝 / 14足利義栄 / 15足利義昭
江戸幕府(徳川家) 1徳川家康 / 2徳川秀忠 / 3徳川家光 / 4徳川家綱 / 5徳川綱吉 / 6徳川家宣 / 7徳川家継 / 8徳川吉宗 / 9徳川家重 / 10徳川家治 / 11徳川家斉 / 12徳川家慶 / 13徳川家定 / 14徳川家茂 / 15徳川慶喜