ウィキペディア
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開設 | 2001年 |
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ウィキシステム | MediaWiki |
分野 | 百科事典 |
言語 | 多言語 |
サーバー所在国 | アメリカ合衆国 |
使用時刻 | 世界協定時(UTC) |
現状 | 記事増加中 |
所属 | ウィキメディア・プロジェクト |
ウィキペディア(Wikipedia)とは、百科事典を自称する世界最大[要出典]のオンライン百科事典もどきである。「ウィキペディア」という名前は、ウィキ(Wiki)と百科事典の意味を持つEncyclopedia(エンサイクロペディア)を合わせた造語。世界最高クラスの知名度を持つが、記事の内容には誤りや偏りなどの、百科事典としては大きな問題が多くかつ絶えないなど、当初の目標とはほど遠いのが現実である。当サイト・エンペディアとは似て非なるものなので気をつけられたい。しかし当サイトが存在するのはウィキペディアが信頼できないことの証左の1つともいえる。
WEBニュースメディアのWIREDによれば、ソース不明ながら2016年3月21日時点で「英語版だけで500万以上の記事があり、およそ2,800万の登録利用者がいる」という[1]。
概要[編集]
2001年1月に英語版のウィキペディアがジミー・ウェールズとラリー・サンガーによって設立[2]。以来、英語版だけに止まらずに規模を拡大して200言語以上(試験的な運用をしている言語や活動が少ない言語を入れるかどうかによって数は変わってくる)の運用がなされている百科事典へと成長した。現在はアメリカ合衆国カリフォルニア州にサーバーを置く、アメリカ合衆国NPO法人のウィキメディア財団という団体によって全てのウィキペディアサイト群および関連するウィキメディアプロジェクト群が運営されている。
「内容編集は大胆に」と謳っているが、その実は膨大な規則の網が張り巡らされており、例え不正確な内容を正す・古い記述を更新するような寄稿であっても、迷路のような規則に違反していれば、それを根拠に削除される。また執拗な個人攻撃も日常茶飯事で、記事修正の妨害手段として使われる。規則を熟知した・自分に都合よく解釈する一部の常連が新参者を陥れて楽しむ場面であり、最上位方針である5本の柱のひとつ「ウィキペディアには行動規範があります」に反する下位規則の準用ながら咎められることはない。さらには、個人攻撃や常連者による新人の編集者排除のためウィキペディアの行動規範やガイドラインに反する行為も日常的に見られる。これが、寄稿者の定着しない最大理由の一つである[要出典]。英語版ではこれが問題視され、熟練者が挙げ足取りに終始することを戒めることで、一定の効果をあげているが、日本語版では良識に基づく自浄効果はほとんど機能していない。さらに、常連は特権者として正しくない記事を書いても検証なしに受け入れるのに対し、新参が誤りを指摘すると人格攻撃によってやる気を失わせる、合理的な理由がないにもかかわらずブロックの対象として編集(ノート含む)から一方的に排除する、という暴挙が常態化している。日本の管理人もWikipediaのルールやガイドラインを尊重しているとはとても言いがたい事例が非常に多い。より上位の権限を持つスチュワードでも、そのほとんどが外国人であり、まともに役割を果たしているとは言えないどころか、むしろWikipediaにとって役立たずであることも普通に存在する。たとえば、百害あって一利なしという場面も多い日本人管理者に丸投げをしたり、日本の管理人と連絡が取れない状態であるにもかかわらず日本の管理者と連絡を取るよう指示したり、日本語がわからないと逃げたりしているのが現状である。これらに限らず種々の理由により、Wikipediaの記事の信頼性には常に疑問がつきまとっており、本当に正しい記述かどうか十分な検証をせずに信用するのは大変危険である。
ウィキ(Wiki)という略称で呼ばれることもあるがこれは公式なものではない。そもそもウィキとはシステムの名前であり、当サイトであるエンペディアもウィキである。こうしたことから、ウィキペディアをウィキという呼び方をするのは混乱を招く可能性もあり、あまり推奨はされない。産経新聞社のTwitter公式アカウントがウィキリークスとすべき所をウィキペディアと記載してしまうこともあったが、もちろんウィキリークスとウィキペディアは関係ない[3]。
様々な問題を抱えている本サイトであるが、世間的な知名度は意外と高い。しかしそれ故に普段Wikipediaとのかかわりがほとんどない者から、ベテラン編集者や頻繁に編集する者、さらには管理者をはじめとするWikipediaとの関係が深い者に至るまでウィキペディアを悪用しようと企む人間がいなくなることはまずあり得ない。悪用のレベルも、個人的なものから、巨大組織や国家間の陰謀に至るまでさまざまである。
ウィキペディアは、信頼されるフリーなオンライン百科事典、それも質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とする。しかし、その理想と現実との間にはギャップが大きく、国による違い(例えば日本語版と英語版)などもある。各国により様々な諸事情や制約がある中、ウィキペディア日本語版に関しても、例外ではない。例えば多くの海外版では記事の内容などに関して調停委員会があるが、日本にはなく、権限の少ないスタッフ(管理者。2023年05月現在40人しかいない)に負担がかかってしまったりする(その管理者陣にしても、自分の興味のある事象を扱った項目にしか関わらない)などの問題が挙げられる。このため、日本語版は百科事典に対する客観性や、信頼性などに関して他の先進的な国より大きく遅れているという傾向は、個々の記事による差はおおきなものの、一般的な傾向としては歴然と存在している。
善意に取る方針の実態[編集]
日本語では一般的に2つの意味で「善意」という単語は使われる。日常会話では『他人や物事に対して持つ良い感情や見方。好意。』であり、法律上では『法律関係の発生・消滅・効力に影響するようなある事実を知らないこと。』である。
ウィキペディアでは「善意に取る」と謳っているが、日常会話で使用する善意の意味と解釈してはいけない。また法律上の「善意」とも異なっている。敢えて解釈すれば『常連者にとって都合の悪いことを知らないこと、無かったことにする。無視する。都合の悪いことを指摘した者を非難する。』という意味で使われている場合が非常に多い。
中立的な観点?[編集]
詳細は「NPOV」を参照
ウィキペディアでは「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです」との記載があるが具体性に欠ける。 ウィキペディアの参考文献をみればわかるとおり、査読付きの権威ある学術雑誌に掲載された論文に基づく記述は少数しかない。 例えば一般的には定評があるといわれている岩波書店の刊行物も特定の保守層からは左翼出版社と非難されることもある。事実として共産党講座派の講座の語源は岩波書店が発行している『講座シリーズ』であり保守層からの指摘も当たらずとも遠からずである。逆に文藝春秋は保守層向けの、社名をそのまま冠した雑誌を刊行しているが、「右翼偏向出版社」といったレッテルは貼られていないものの「右寄り」という指摘がある。
ウィキペディア日本語版における「信用出来る第三者情報源」[4]とは、一般的な書店に陳列販売されていて一定の発行部数を発行している出版社や、法律によって許可されている放送局(但しラジオ局の放送記録は存在しない)、発行部数の多い新聞等を「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源」と理解すべきである。
「中立的な観点」は「第三者情報源」の基本的な主義主張が背景にある事、つまり岩波書店・朝日新聞・毎日新聞なら左寄り、文藝春秋・産経新聞・読売新聞だったら右寄りの主義主張を社が持っている事を、記事の「書き手」も記事の「読み手」も出典や引用の出版元・作者の主義主張を確認して、どの程度偏向されているかを認識しなければ本当の意味での中立的な観点は成立しない。しかし、少なくとも日本語版ウィキペディアでは中立的な観点についても前述の「善意に取る」にもとづいて処理されている。
本来、Wikipediaのガイドラインでは「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。」[5]とある[6]が、それはイコール「中立的な観点」では無い事は自明である。その時々によってニセ者の善意に取られることがあるので注意が必要である。また、「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。」と主張している人もいるがその中には、信用できる第三者情報とは一体どういうものかがきちんと理解できていない者も決して少なくない。
また、フェイクニュースの流布や、国家の情報機関やその影響を受けた集団が、自国の利益のために都合のいい情報(ニセ情報を含む)を流すツールとして使われた事例もある。
独自研究を掲載しないという建前と現実[編集]
Wikipediaでは、編集者個人の見解を記載しないというガイドラインがある。査読付き論文を筆頭として、公に公表された文献に基づいた記述がなされることになっている。しかし、常連の編集者は、このようなことにはお構いなしの編集をしているのが実態である。「独自研究」とは、彼ら常連の編集者の記述に反するものを指すと言っても過言ではない。そのような場では、地理的、科学リテラシーは脇に追いやられていることが当然のように見られる。
独自研究は、ウィキペディアの編集方針に合致しない言葉とみなされ、常連編集者や、管理人が作り上げてきた既存の記述に、新たな視点を加える新人の編集者を排除する目的で使われる事例が後を絶たない。新たな視点というだけで“荒らし”と見なし(これ自体がWikipediaガイドライン違反である)、既存の勢力にとって都合の悪い編集者をwikipediaの編集から永久的に排除する事が日常的に行われている。質の高い百科事典を追求するのではなく、自分たちの既得権を守ることが遙かに重視されているといえる場面が非常によく見られる。
参考するときの注意点[編集]
現在の日本語版Wikipediaでは、中立的な視点や善意にとるといったことは有名無実化している事例が多い。従ってWikipediaの文章をそのまま百科事典の記述として載せるにはリスクがあることを認識する必要がある。また、記事の元になった原典が信頼性という点で著しく低いという事例も散見される。Wikipediaの記事を直接参考文献として使用するのは比較的簡単(ネット上の情報が多いのですでにHPが閉鎖されている場合もあり得る)ではあるが、記事の正確性という観点からは単純に記事だけでなく、その根拠になった出典を調べるいわば子引き(さらにはひ孫引きなど)が重要になってくる場合もある。Wikipediaは不十分な百科事典であるとのコンセンサスは得られており、原典にあたることはより重要な意味を持ってくることを忘れてはいけない。
安易にWikipediaの記述を引用している記事を見たときは、それ(Wikipediaの記述)が正しいのか十分に吟味することが求められる。特にWikipediaの記述を第三者の目に触れるよう提供するような場合注意を要する。
多くの分野でWikipediaには出鱈目な部分が多いが、それを史料から直すなどの努力はなされていないので注意しないと恥をかくことになる。
多数決[編集]
wikipediaにおいて、問題解決の手段として多数決が用いられることがあるが、票決に参加する者は、飽く迄ボランティアであり、法令や良心に従う義務がある裁判官とは大きく異なる。しかも全ウィキペディアンが賛否いずれかの意思を示すわけでもない。規定上wikipediaのルールに束縛される義務もなく、良心に基づく義務も生じない。この結果、多数決では倫理的であることや、wikipediaのルールより、評決に参加した者の心証を反映した結果になりやすい。心理的に評決者は往々にして所謂上から目線になりやすく、評決者は冷静になることが求められるが、現実的には冷静に正しく判断することは難しい。またwkikiのルールに基づき、自己の正当性を主張することは、本来当然の権利であるが、現実には評決者の心証を悪くすることにつながりやすく逆効果になるという問題もある。 結果として多数決の評決が倫理的に問題があったり、wikipedaの基本的ルールや考え方と明らかに反するものとなることが日常的に生じている。日本語版では一部の言語であるような調停制度がないため、いわば数の暴力が生じた場合でも、これをコントロールする手段は特に無いのが現状である。
他のウィキサイトとの関係[編集]
- アンサイクロペディアとの関係
- ウィキペディアとアンサイクロペディアに直接的な関係はない。アンサイクロペディアはウィキペディアのパロディサイトのようなところがあるため、文章形式などは似通っているが、方針はかなり違うものである。またライセンス上記事を移入することはできない。
- エンペディアとの関係
- エンペディアとの直接的な関係はない。CCライセンスに従えば、エンペディアの記事を移入することは可能に見える。……が、ウィキペディアはGFDLライセンスでも提供されているので、本当に移入できるかどうかはよくわからない(Wikipedia:井戸端/subj/Enpediaから記事の移入はどうあるべきか)。なお、仮にエンペディアにある記事をウィキペディアに持ち込んでも特筆性や出典の有無などで削除される可能性が高い。だからといってWikipediaの出典が信頼に足るものとは限らない。ネットの情報を出典としている事例も多く、信用するには決して十分といえないものや、出典のリンク先がすでに削除されたサイトであることも決して珍しいことではなくむしろ一般的なことである。エンペディアの方針として、独自研究や特筆性に関する縛りが緩いことからきている。逆にウィキペディアからエンペディアへの記事の移入は、一定の用件を満たせば可能である(Enpedia:方針#移入の方針)。ウィキペディアの出典がエンペディアより厳しいと言っても、学術論文等に比べれば非常に緩やかであり、むしろエンペディアに近い。
- ユアペディアとの関係
- ユアペディアはウィキペディアの方針に反発したBeyondによって設立されたものであるが、両サイトに直接的な関係はない。Yourpediaの記事を参考にウィキペディアで記事を書いても削除される可能性が非常に高い。過去にYourpediaという記事名がウィキペディアに作られたことがあったが、転送ページに差し替えられている。
- Yourpedia側では、ウィキペディアを追放されたユーザーがいついていることもあって、ウィキペディアを批判するユーザーも見受けられる。ただし、ウィキペディアを批判すれば、その世界から排除される可能性が高く、内部批判は困難であるという事情を考慮する必要がある。ウィキペディアを出て初めて健全な批判ができるという側面は無視できない。
- チャクウィキとの関係
- 直接的な関係は無い。ウィキペディアにはチャクウィキの記事は存在するので、一応特筆性は認められている模様[7]。
- チャクウィキでは「ウィキペディアの問題点」なんかが真面目に議論されていたりする。真面目か[8]。
- ウィキペディアよりもハイレベルな計画もあった。現状のWikipediaでは、百科事典としては決して信頼性が高いとはいえない状況にあり、創設者もそれは認めているところ。しかし、その計画は試みられたものの、上手くいかなかった。
脚注[編集]
- ↑ “Wikipedia編集者たちの「真実」をめぐる戦い”. WIRED (2016年3月21日). 2018年3月7日確認。 / 【編注】なお、ここで言う「登録利用者」とは恐らく「登録アカウント数」のことを指し、「中の人の実数」は数えていないと考えられる。
- ↑ 二人は英語版ウィキペディアの前身であるNupediaも前年3月に設立している(2003年閉鎖)。
- ↑ @Sankei_news 2017年1月17日 18:57 (JST)のツイート
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ 英語版においては、ニューヨークタイムズ記事を情報源とした場合、その内容は疑ってはならないのだという
- ↑ jawp:チャクウィキ - Wikipedia. 2021年2月1日閲覧.
- ↑ Wikipediaの問題点 - chakuwiki. 2021年2月1日閲覧.
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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