足利学校

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足利学校(あしかががっこう)は、下野足利荘(現在の栃木県足利市)にあった、平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であった。

概要[編集]

現在の栃木県足利市にあった中世の学塾で、足利氏菩提寺である鑁阿寺に隣接して設置されていた。江戸時代の学校が跡地に復元されている。

15世紀前半である永享年間に関東管領上杉憲実円覚寺住職快元1469年没)を校長として招聘し、学校の蔵書として宋版の経学書などを寄進した。戦国時代になると兵学・占術などが盛んになり、関東の覇者となった後北条氏の庇護を受けるようになる。また医学者としてこの時代に著名な曲直瀬道三田代三喜などを輩出している。

江戸時代になると江戸幕府によって特別な保護が加えられ、歴代の校長には禅僧が迎えられるようになった。明治時代になり、廃藩置県とほぼ同時に廃校とされ、高等教育の伝統は近代教育機関に承継されなかった。明治後期には足利学校遺跡図書館が設置され、孔子廟を中心とする国史跡となった。