明徳 (日本)
ナビゲーションに移動
検索に移動
明徳(めいとく)は、日本の元号の一つ。元中・康応の後、応永の前。1390年から1394年までの期間を指す。この時代の天皇は北朝方が北朝第6代にして第100代天皇の後小松天皇。南朝方が南朝第4代にして第99代天皇の後亀山天皇。室町幕府の征夷大将軍は第3代将軍・足利義満である。
概要[編集]
康応2年3月26日(ユリウス暦1390年4月12日)に明徳元年と改元される。改元の理由は天変・兵革による。勘申者は前権大納言の藤原資康で、明徳の出典は『礼記』(大学、第42)の「大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善」からである。
明徳5年7月5日(ユリウス暦1394年8月2日)に応永元年に改元された。
なお、明徳3年(1392年)に南北朝時代の合一が成った結果、それまで二つに分かれていた天皇・元号(元中)がそれぞれ北朝の下で合一された。
この時代は室町幕府の覇権が足利義満の下で徐々に固まっていった時代である。有力守護大名である山名氏清は義満に反発して挙兵し、明徳の乱と称される反乱を起こしたが鎮圧されて殺され、義満と室町幕府の権力はさらに強大化した。