1394年
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1394年(せんさんびゃくきゅうじゅうよねん)は、1300年代の94年目のことであり、日本の元号では明徳5年であったが7月5日に改元が行なわれて応永元年となる。日本の天皇は後小松天皇である。室町幕府の征夷大将軍は第3代将軍・足利義満であったが、12月17日に嫡子の足利義持に将軍職を譲った。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 薩摩・大隅・日向3か国の乱に相良前頼に一揆を助けて日向都城にて戦死する。
- 2月 - 後亀山上皇の尊号が決定する。上皇が足利義満と天竜寺で引見する。
- 6月 - 武田信成が死去(80歳)。
- 7月 - 竺芳祖裔が死去(82歳)。
- 8月 - 長慶上皇が崩御する(52歳)。足利義満が九州探題の今川貞世に島津伊久・元久の追討を命じる。
- 9月 - 相国寺が焼失する。
- 10月 - 東常顕が死去。
- 12月 - 足利義持が元服する。足利義満が将軍を辞職し、太政大臣に任命され、将軍職には義持が就任する。
- 月不明 - 九州探題・今川貞世が使者を李氏朝鮮に派遣し、捕虜600名を返還する代わりに大蔵経を求める。上杉憲定が足利学校を修理する。