1399年
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1399年(せんさんびゃくきゅうじゅうきゅう(く)ねん)は、1300年代の99年目のことであり、日本の元号では応永6年である。日本の天皇は後小松天皇であり、室町幕府の征夷大将軍は第4代将軍・足利義持である。応永の乱が起こった年である。
日本の出来事[編集]
- 3月 - 第3代鎌倉公方の足利満兼が弟の足利満直らを送って陸奥・出羽を鎮定する。興福寺金堂供養が行なわれ、足利義満が出席する。
- 4月 - 一源会統が死去(71歳)。
- 5月 - 足利義満が京極高詮の要請を受けて三河六名堤に伏樋を通じ、額田郡河下諸給人の異議を抑える。賀茂競馬後、数年中絶の勝負舞を行なう。
- 6月 - 洞院公定が死去(60歳)。
- 7月 - 月山周枢が死去(95歳)。
- 9月 - 相国寺大塔供養が行なわれ、足利義満も臨席するが、その際の儀礼は上皇御幸並に准じられる。
- 10月 - 足利義満が周防守護・大内義弘討伐を計画する。大内義弘は和泉堺に滞留し、鎌倉公方の足利満兼との呼応を画策する。
- 12月 - 足利義満率いる幕府軍の火攻めにより堺が陥落し、大内義弘が敗死する(45歳。応永の乱)。