よみもの:低品質なゴミ記事

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内容[編集]

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各ページ[編集]

名称[編集]

既に江戸時代には対外的に用いられ、明治時代に入り、大日本帝国憲法が発布されて日本の国号が「大日本帝国」となった後も「日本国」は大日本帝国の略称として用いられた。

国土[編集]

日本列島のうち、与那国島から択捉島までの約3,300kmを国土としている。ただし、北千島列島や樺太島南部の領有権を主張する勢力もある一方で、北方領土は同じく領有権を主張するロシアが実効支配している。

周辺の国は以下の通り。

日本国に隣接する国
北朝鮮
韓国
ロシア
中国
台湾
日本国 太平洋
フィリピン 北マリアナ諸島
(アメリカ領)

政体[編集]

立憲君主制で、日本国憲法により天皇は国の象徴とされ、内閣総理大臣の任命といった国事行為を行う。実際に政治を行うのは国会議員の選挙によって選ばれた内閣総理大臣国務大臣である (議院内閣制)。

行政[編集]

国会議員によって選ばれた内閣総理大臣を頂点とし、各省庁が国会の議決によって定められた法律によって執行する。 国の行政機関は1府12省庁からなり、多くの省庁が立地する場所の地名を取って霞ヶ関の通称で呼ばれる。省庁の長は大臣と呼ばれ、内閣総理大臣が、主に国会議員の中から任命する。省庁の一般職員は試験によって選ばれ、多くの省庁で、事務次官まで出世することができる。

立法[編集]

日本国民の普通選挙によって選ばれた議員によって法律の制定を行う。立法機関は国会といい、唯一の立法機関である。 国会は二院制を取っており、貴族院を引き継いだ上院相当の参議院と、下院相当の衆議院がある。衆議院の議決が優先される。国会議事堂の他、議員会館などの立法事務のための施設が立地する場所の地名を取って永田町の通称で呼ばれる。

司法[編集]

最高裁判所終審裁判所であり、下級裁判所として高等裁判所地方裁判所家庭裁判所簡易裁判所がある。内閣によって任命された裁判官が法に従って裁きを行う。時には法が憲法に違反しないかという違憲立法審査権を持つ。 下級裁判所、特に地方裁判所、家庭裁判所が47都道府県、及び、旭川市釧路市函館市に設置されているのに対し、最高裁判所は東京の三宅坂に1ヶ所あるのみである。最高裁判所の判事は、裁判官としてのキャリアを積んだ人以外に、法学者等からも登用される。また、最高裁判所判事に限り、定期的に信任・不信任かの国民審査を受けることになっているが、マスコミ報道が消極的なこともあり不信任となった判事はいない。

地方分権[編集]

47の都道府県があり、それぞれの首長は住民の直接投票で選ばれる。しかし、都道府県の総務部長は自治省からの出向が多く、警察本部長も中央からの出向であり、教育に至っては中央からの上意下達で、地方の意見は全く通らない、実質的な中央集権体制である。市町村は人口減少が激しいところもあり、合併が相次いでいる。

教育[編集]

教育基本法制定以前の日本の教育は複線系で、男女別学であった。教育基本法制定後は公立学校の義務教育は男女共学となり、6年制の小学校、3年制の中学校が授業料が無償の義務教育となった。その後は能力に応じて3年制の高等学校、4年制の[1]大学に進学する。これとは別に5年制の高等専門学校がある。

詳細は「昭和時代戦前の教育」を参照

国防[編集]

日本国憲法によって軍隊の所持を禁止され、それに代わる機関として自衛隊がある。軍隊に類似の行政機関であるが、歴代の日本国の政権は自衛隊を軍隊と見做していない。核兵器の保有は唯一の被爆国として世論の動向もあり、認められる方向にはなっていない。海上保安庁の装備、人員も不足し、対策が迫られている。

産業[編集]

農業人口は減少し続け、食糧自給率は40%まで減少した。稲作が盛んで都市近郊農業として野菜栽培がある。工業は以前は大いに奮ったが、周辺諸国の影響受けつつある。それでも、自動車産業、造船、鉄鋼は盛んである。商業も外資系の大型店舗が国内各地に流通網が開かれ、いずれも国内産業は衰退に向かっている。

交通[編集]

鉄道[編集]

かつては日本国有鉄道が国内各地に鉄道路線を張り巡らせていたが、昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正赤字83線廃止が頓挫した後、1987年4月1日国鉄分割民営化前後からの特定地方交通線の廃止が始まり、列車本数も減少した。昭和39年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正により運転が始まった東海道新幹線に始まった新幹線鉄道は、世界の高速鉄道のパイオニアで、現在は主要都市相互間に運転されている。

東京・大阪といった大都市周辺では、鉄道を利用して不動産業で利益を上げるビジネススタイルを大手私鉄が確立し、自前で敷いた鉄道路線に通勤通学のために高頻度で列車の運転を行っている。旅客への案内も、国鉄の流れを組むJRと、それぞれの私鉄で個別に行っており、都市全体の交通デザインはあまりなされていない。

詳細は「日本の鉄道史」を参照

道路[編集]

鉄道の衰退と前後して道路網は全国各地に広がっている。高速道路の延伸も活発で、主要都市のほとんどにインターチェンジが設けられている。一般道路も整備が進められ、橋梁トンネルの開通で狭隘な道路が徐々に姿を消しているが、その反面、保守管理の費用が膨大な額となっている。自動車の普及は1960年代に急速に進み、これによって馬車大八車は引退していった。

港湾[編集]

四面海なる海洋国家であるため内航海運は古くから活発で、現在は外国貿易のために広いが整備されている。特定重要港には大型貨物船が据え付けられるようになっている。一方、旅客輸送は、陸上交通の整備や飛行機の発達によって輸送量が減少気味だが、離島には欠かせない存在となっている。

空港[編集]

大都市周辺では大型機の発着できる空港が設けられている。国際線のみならず、国内線の飛行機の大型化で地方空港も拡張が進んでいる。ただし、国内線は、新幹線の開通や地域の人口減少で利用者が減少したところもある。

宗教[編集]

土着の神道、古くから伝来した仏教大乗仏教)が浸透しているが、大半の日本人は宗教に無関心。キリスト教は5%以下。

人々の暮らし[編集]

発電所が各地に整備されて暮らしは電化の恩恵を受け、国内の交通、通信は近代化された。勤勉な国民性もあり、貯蓄に励んで子弟に高等教育を受けさせ、耐久消費財の購入によって家事の負担が減少した。一方、山間部や離島は交通が不便で進学先や就職先がなく、集団離村により集落が消滅した地域が多い。これを受け入れる大都市は人口が急増して住宅不足になったり、学校の定員が超過して教室不足になることが多くなった。地方の過疎化、都会の過密化が問題となっている。

歴史[編集]

第二次世界大戦 (太平洋戦争)に敗れた大日本帝国は連合国の占領下に入り、1945年10月31日には大日本帝国陸軍大日本帝国海軍が解体された。軍国主義のもととなった政策を次々と廃止していった。戦前から議論のあった婦人参政権が認められ、大学令等以前の勅令が廃止され、学校教育法の制定によって学制改革 (1947年)が行われ、新制度の学校が誕生した。大日本帝国憲法を改正して日本国憲法を制定し、財閥解体農地解放、政治犯の釈放を行った。1950年に始まった朝鮮戦争によって日本国内の連合軍が減少し、代わって警察予備隊が創設された。冷戦が始まり、海上保安庁からは警備隊が独立して保安隊となり、自衛隊となった。サンフランシスコ平和条約によって独立を回復し、1956年日ソ共同宣言によって国際連合への加盟が認められた。朝鮮戦争によって日本国内の景気が上向き、経済力が上昇した。1960年代に始まった高度経済成長は農村から多くの労働力が都会に流れ込み、人口が急増して住宅不足に陥った。一方、生活の豊かさが向上したのに伴い、各地で公害が発生した。1970年代初頭に原因企業の責任を問う損害賠償が認められ、環境に関する理解が深まった。1973年石油危機によって日本国内の経済の伸びが鈍化し、エネルギー革命によって石炭の需要が下がり、景気が一時的に下向きとなった。

詳細は「日本の歴史」を参照

参考文献[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

沿線状況(1996年)[編集]

東京駅 - 高尾駅[編集]

大都会東京を快走する。周りには高度経済成長期のときに建てられたビルが並び、総武緩行線などとも並走。現在で言う「快速線」の区間である。西荻窪駅吉祥寺駅の間の高架区間は1969年に完成したが、未成道路が眠っている。(外部サイト)参照。

高尾駅 - 甲府駅[編集]

高尾駅を過ぎると沿線は山岳地帯となる。駅間は長くなり、上り勾配が急になる。スイッチバックの跡が所々見られる。右手には富士山が見えるところも多々。初鹿野駅(現甲斐大和)〜勝沼駅(現勝沼ぶどう郷)などの一部区間では中央高速道路が見られる区間もある。

甲府駅 - 塩尻駅[編集]

釜無川に沿って国道20号中央自動車道と並行する。韮崎から小淵沢へも上り勾配が続く。小淵沢駅小海線岡谷駅で旧線、塩尻駅篠ノ井線に接続する。かつては東京駅方面から名古屋駅方面へは塩尻駅構内を真っ直ぐ通過し、名古屋駅方面から松本駅方面へはスイッチバックすることになり、昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正によって設定された特別急行列車も停車することになった。、1983年に塩尻駅は移転し、構内はΔ線となり、東京駅方面、名古屋駅方面いずれも松本駅方面へスイッチバックすることなく通過できるようになった。旧駅は旅客設備は廃止されたが、貨物輸送の拠点として残されている。この駅を境に北西に進路を取っていた路線は南西に進路を変更する。

岡谷駅-辰野駅-塩尻駅[編集]

旧線となり特急なども設定がなくなってしまったが、飯田線が乗り入れたり地元民の足として使われるため1時間に1本、123系(通称:ミニエコー)での運行がある。周りには日本の原風景が広がっており、中央線の中でも珍しい全線単線区間となる。

塩尻駅 - 中津川駅[編集]

しばらくは沿線も平坦地で住宅地となっているが、やがて山間部に入り、まだ若い渓谷地帯となる、河川の上流域にあたり、水流に削られた僅かな平地を縫うように進む。景勝地も多く、ダムも多い。ほぼ中山道(現国道19号)が並行しているほか、奈良井駅までは奈良井川が、薮原駅からは木曽川に沿っている。沿線は中山道宿場町が点在し、駅が近接していて、木曽福島駅周辺のように現在も宿泊できる旅籠が多い。


十二兼駅以北は単線区間が多く、複線区間の南木曽駅以西は多少列車本数が増え、名古屋方面への直通普通列車も運行されている。

中津川駅 - 金山駅[編集]

平坦地となり、住宅地や商業地が広がる。中津川駅付近から中央自動車道が、瑞浪駅付近から庄内川(土岐川)が並行する。

恵那駅明知鉄道と連絡する。多治見駅太多線が北上して分かれると、山地に入り、周辺は渓谷となる。トンネルに挟まれた古虎渓駅を過ぎると愛知県に入る。定光寺駅を過ぎると再び平坦地となり住宅地が広がり、高蔵寺駅愛知環状鉄道と、大曽根駅名古屋鉄道瀬戸線名古屋市営地下鉄名城線鶴舞駅名古屋市営地下鉄鶴舞線金山駅東海道本線名古屋市営地下鉄名古屋鉄道名古屋本線と連絡する。高蔵寺駅で連絡する愛知環状鉄道勝川駅で連絡する東海交通事業城北線は元々国鉄瀬戸線として建設していたもので、貨物バイパス目的で高蔵寺〜勝川間で複々線用地も確保されていた。

  1. 医学部、薬学部は6年制、短期大学は2年制。