中学校
中学校(ちゅうがっこう)とは、小学校の課程を終えた者が進学する日本の教育機関。12歳から15歳までの3年間の教育を行う学校。外国にも類似の教育機関がある。学校教育法施行以前の旧制中学校と以後の現行の新制中学校とがある。
概要[編集]
現在の中学校は学校教育法に定められている。
児童期を終え、思春期に入った者が入学する。一部の中学校には、自転車通学の所もある。
部活動は中学校より本格化し、所属する部によっては市区町村大会・都道府県大会・地方大会・全国大会へと出場する。
沿革[編集]
旧制中学校[編集]
学制で定められ、中学校令が施行されて設立された。小学校の課程を終えた男子が普通教育を受ける学校である。当初は尋常中学校とこれを卒業した後に進学する高等中学校が設けられたが、高等中学校は高等学校令により旧制高等学校として独立した。修学期間は5年で、4年修了時点で高等学校への飛び入学も可能だった。成績が悪ければ、留年、退学もあり、卒業延期もあった一方、現在の学制ではない2年級の飛び級での挽回も可能だった。
科目は国漢、代数、幾何、外国語、地理、歴史、修身等。職業教育も存在したが、実業学校と競合し、1943年に廃止された。軍縮によって配属先のなくなった将校の活用として軍事教練も行われた。体育活動も活発で、全国中等学校優勝野球大会を実業学校と師範学校とともに行った[注釈 1]。卒業後の進路は、就職は少数で、高等学校、大学予科、専門学校、高等師範学校だった。
1943年の学制改革まで他の中等教育機関として実業学校と高等女学校があり、全く別体系の学校であったが、同年の中学校令廃止で制度が大きく変わった。中学校は、新たに昭和18年勅令36号中等学校令により、実業学校や高等女学校と共に中等学校の枠組となった。修学期間が4年に短縮され、夜間課程は正規の課程となった。4年への短縮は戦時措置ではなく、制度としてである。
終戦後の1946年に修学期間が再び5年間に戻されたが、学校教育法の施行により中等学校令が廃止され、1947年に更なる学制改革が実施された。旧制中学校は高等女学校と共に新制高等学校の普通科に移行し、公立高校は原則共学となった。なお、1949年3月まで旧制中等学校で入学した生徒のための付設中学校が設けられた。
都庁府県立の旧制中学校は、教員は判任官もしくは判任官待遇、校長は奏任官もしくは奏任官待遇の官吏で、現在の高校とは違い異動は全国単位だった。
新制中学校[編集]
学校教育法の施行によって誕生した。戦時措置で実施が延期された義務教育が9年間に延長され、義務教育の後期3年間を担う学校で、公立中学校では男女共学とされている。
戦後間もなくの設置のため、校舎不足で問題が起きた。午前・午後の二部授業を行う学校もあったが、校舎の建設が急がれて収束した。また、街に溢れる浮浪児のために、暫定措置として大阪で最初の夜間中学が設置された。
市町村は中学校の設置を義務づけられたが、予算がなく、隣接する市町村との間で組合立中学校を設置することもあったが、市町村合併や生徒急増による独立で解消したところもある。校舎の捻出も様々で、一から建設したところも多かったが、国民学校高等科、青年学校普通科、中等学校に併設したもの、新制高等学校の統廃合により余った校舎を活用したものと様々である。今でも、小学校や高等学校に隣接した中学校があるのはこの名残である。
教職員[編集]
- 公立中学校では、常勤の教諭でほぼ構成され、教科指導や学級指導など表に見える業務の他、総務、生活指導等の分掌を分担している。
- 校長、教頭(副校長)の管理職以外に、教務主任、校務主任の中間監督職が置かれており、特に教務主任は準教頭的なポジションとなっている。
- 昨今、教諭の過重労働も指摘される中、中学校の事務職員は1名から2名程度が殆どで少ない。
- 教員になるためには教員免許状が必要である。取得には大学の教育学部のほか、各教科に対応する学部で単位を取得し、教育実習をする必要がある。その後、公立中学校の場合は各地方自治体での採用試験を受ける必要がある。
教科・科目[編集]
- 現行
- 国語、数学、理科、社会、英語、美術、音楽、技術・家庭、保健体育、道徳、総合的な学習の時間、学級活動、クラブ活動
- 過去に存在
- 書写(国語科の一単元となる)、職業(技術科に変更)、保健(保健体育科の一単元となる)、外国語(英語必修でなかった)、必修クラブ活動(授業数削減で廃止)、選択教科
現状[編集]
- もともと学校数が小学校ほど多くないが、戦後進められた町村合併で中山間部で学校の統廃合やそれに伴う寄宿舎生活が行われていた。近年は少子化により、小学校と同様に都市部でも生徒数が減少し、小学校のような急激な減少はないものの、学校の統廃合が進んでいる。なお、少人数学級実現を主張する識者から、統廃合に関する疑問の声が出ている。
- 学力低下が指摘されている。ゆとり教育などが原因とされ、対応策がとられている。但し、不満の解消には至っていない。
- いじめによるネグレクトや不登校など、教諭は、様々な問題に立ち向かわされている。このため、少子化対応も兼ねて小学校と統合し、義務教育学校になって教職員組織を強化する事例もある。
- 都市部での中学受験の問題もある。ゆとり教育など公教育に対する不信感や「荒れた」校風を回避するために私立中学校への入学のために小学生への過度な受験準備をさせてしまうことがある。
その他[編集]
- 高等学校でほぼ常置されている通信制課程は、東京と大阪しか設置されていない。また、家庭など、5教科以外の科目はないため、正規の教育課程とされていない。なお、八洲学園が不登校対策の通信制中学校を教育特区で申請する(但し、文部科学省は児童労働を助長するといった理由から消極的である。)など、新型コロナ禍での映像授業の推進も相俟って、中学校通信課程への潜在ニーズは大きいと思われる。
年齢[編集]
- 法規の年齢を超えての在学は事実上許されおらず[注釈 2]、義務教育終了年齢の15歳を超えると出席時数不足でも「形式卒業」の形で事実上放校される。
- 特別支援学級のような形態で、満16歳を超える年齢で生徒を受け入れる昼間学級組織は整っていない。
- 救済策として、戦後直後からの「夜間中学校」が活用されている。「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」制定前は暫定的なものとされ、設置されない県がある地域格差が生じていた。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 百瀬孝『事典昭和戦前期の日本』吉川弘文館
脚注[編集]
- 注釈
- ↑ 師範学校は1943年の改革で官立専門学校相当の学校となるまで中等学校野球大会に参加した。
- ↑ 保護者と生徒自身が原級留置に同意すれば、満16歳以上の在学も可能だが、1993年の神戸市立小学校強制進級事件の影響もあって、原級留置を希望しても殆ど受け入れられていない。
- 出典