大乗仏教

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

大乗仏教とは、釈尊(お釈迦さん)を開祖とする佛教の一派である。

概要[編集]

もともとインダス河流域にはインダス文明があり、原住民であるドラヴィダ系の人々の間に、現在のヒンドゥー教の基礎となる信仰が定着していた。いわゆるヴェーダ文明である。
その後、アーリア人が侵入し、バラモン階級として君臨し、カースト制を敷いた。この体制が安定した。高校の世界史では、「インダス・アーリア・バラ・カスト、マガダ・コーサラ・マウリア・クシャナ、グプタにバルタナ混乱期」で憶えろとされたのがかれこれ半世紀前である。「ヴェーダ文化」がのちに認知され、当時「スペース・インベーダー」というコンピューター・ゲームが流行していたので「『インヴェーダー』でなんとかならないかと思っているのだが、うまくゆかない」と講師がボヤいていた。
マガダ国のシャーキャ族の族長の長男であったゴータマ・シッダッタ(パーリ語ではガウタマ・シッダールタ。大乗仏教においては「仏陀」とされるが、仏教全般においては「仏陀」のひとりという位置づけである)によって説かれたとされるのが仏教であり、そのうちの一派が大乗仏教である。主に、中国経由で中華文化圏に広がり、百済を通して日本にも伝えられ、日本の仏教の土台となった。このあたりまでは、高校の世界史や倫理社会の教科書・参考書を読めば書いてある。現在ではインターネットがあるので検証は簡単だが、「大人向けのコンパクトな、公式の資料」というものがとりあえず見当たらないため、誤解も多い。
大乗仏教の「民族宗教から世界宗教へ」という動きが中東方面にまで影響を及ぼし、いわゆるキリスト教(ユダヤ教とセム=ハム民族の宗教が習合したもの)を生んだという。これもまた常識の範囲内である。
ところが三位一体説をめぐってキリスト教の内部で対立があり、異端とされたネストリウス派が大乗仏教と習合し、景教が成立した。これを中国に留学した空海(のちの弘法大師)が日本に伝えたものが真言宗である。中国で漢字によって音写されたときに、「シャーキャ」が「釈迦」となった(以下、敬意を表して「お釈迦さん」とする)。ちなみにお釈迦さんの名前に揺れがあるのは、サンスクリット語とパーリ語の差による。サンスクリットは文語でパーリ語は口語という差があり、映画『マイ・フェア・レディ』で「口語サンスクリット」を研究しているというイギリスの言語学者が登場するのはこのあたりが読み筋となっている。
現代のインドではヒンドゥー教が定着しており、カースト制も残っているので大乗仏教はあまり一般的ではなく、中国では共産化によって「宗教は大衆のアヘンである」とされて抑圧されたため、大乗佛教は日本と台湾において信仰されているという不思議な状況になっている。なお、のちに日本の原始神道と習合して修験道となったという話もある。このあたりは諸星大二郎の『暗黒神話』『孔子暗黒伝』あたりを参考のこと。
景教は密教的な要素を含み、のような観想・瞑想のような修行も含まれるため、けっこう面倒臭い部分があって念佛とかお題目とかいったお手軽な感じで普及した(いわゆる鎌倉仏教。親鸞や日蓮が代表的)ため、下手をすると僧侶でも理解していなかったりする。お釈迦さんは「釈を垂れた」ため「釈」に「仏弟子」の意味があるので、これは漢語由来である。この意味からすると小乗仏教と大乗仏教はイスラム教のスンニとシーアのような関係にある。どっちが上でどっちが下とかいった議論にはあまり意味がない。「宗論は、どちら負けても釈迦の恥」と、日本では言われていたという。「苦行なんかしても苦しいだけ」「ハルマゲドンなんか来ない」「人類の末期はマイトレーヤ様(弥勒菩薩)が看取ってくれる」という割切りっぷりが潔い宗教である。

脚注[編集]


関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部サイト[編集]

その他[編集]