第二次世界大戦

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第二次世界大戦
戦争: 第二次世界大戦
年月日: 1944年6月6日
場所: 欧州,アジア,太平洋,北アフリカ
結果: 連合軍側の勝利 米ソを両極とする冷戦が開始。従来の欧米列強の植民地の独立が相次ぐ。
交戦勢力
参戦国を参照 参戦国を参照
指揮官
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戦力
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損害
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第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)とは、20世紀前半に大日本帝国ナチス・ドイツイタリア王国を中心とする枢軸国と、アメリカ合衆国グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国フランス共和国ソビエト連邦を中心とする連合国との間で起きた戦争である。

背景[編集]

大きな被害を出した第一次世界大戦の後、各国は国際協調に努め、国際連盟を中心とした世界を作ろうと努力した。海軍軍縮条約も締結して軍備の制限も行うなど、平和な世界のなるよう努めた。しかし世界恐慌により、世界の経済は混乱し、多くの失業者が路頭に迷い、社会不安が増大した。アメリカ合衆国ニューディール政策、イギリス、フランスはブロック経済、ソ連は計画経済を行ったが、領土が小さく、海外領土を持たない民主主義の乏しい国では全体主義が蔓延し、対外強硬路線を打ち出した。

概要[編集]

第一次世界大戦よりも規模が大きくなった。機甲兵器、軍用機、電波兵器の役割が決定的となり、国民の政治、経済を完全に巻き込む総力戦となった。国民を戦争に動員するための法律が整備され、思想の引き締めも行われた国が多く存在した。非戦闘員が巻き込まれることが多くなり、多数の犠牲者が出た。

ヨーロッパとアジア、両方が戦場となった。アジア戦線は太平洋戦争(当時の日本での呼称は大東亜戦争)とも呼ばれる。単に第二次世界大戦と言った場合にヨーロッパ戦線のみを指し、太平洋戦争は別の戦争として扱うこともある。

周辺諸国の併合[編集]

日本は満州事変を起こして、満州国を建国し、国際連盟から非難されると国際連盟から脱退した。ドイツはベルサイユ条約を破棄して再軍備を始め、オーストリア併合、次いでチェコスロバキア分割を行い、これも併合した。イタリアは第二次エチオピア戦争によって国際連盟の反対と経済制裁をも押し切ってエチオピアを併合した。1937年には日中戦争が始まった。スペインでは、スペイン内戦が始まった。

戦争の推移[編集]

独ソ不可侵条約を結んだドイツとソ連は1939年9月1日にナチス・ドイツがポーランドに侵攻したことイギリスフランスがドイツに宣戦布告を行った。戦闘はしばらく始まらず、「奇妙な戦争」や「まやかし戦争」と呼ばれた。

フランスの降伏とイタリアの参戦[編集]

やがてドイツ軍はベネルクス経由でフランスに侵攻した。ダンケルクで連合軍の主兵力を追い落として命からがらイギリスに逃げ帰ったあと軍用機戦車を用いた電撃戦により主要都市を次々占領した。この頃、パリのフランス軍司令部では即時降伏か徹底交戦かで意見が分かれたが、スペイン内戦で戦歴のあるドイツ軍フランス軍は総崩れとなったためにパリは無防備都市宣言をしてドイツ軍を受けいれることになった。凱旋門にハーケン・クロイツが翻り、ドイツ軍の騎馬隊が入場したあと、軍楽隊が行進曲の演奏を開始した。パリ市民はこの信じがたい光景を悲しみと屈辱で眺めるしかなかった。結局、開戦からわずか6週間でフランスはドイツに降伏して世界を驚かせた。降伏文書の署名は第一次世界大戦で使用された食堂車で行われた。ドイツはフランス全土を占領することによる経済の混乱を恐れて北半分のみを軍政下に置き、南部はヴィシー・フランスを設立してドイツ軍に協力させることにし、これによってフランスは枢軸国の一員となった。ドイツ軍の破竹の進撃を目の当たりにしたイタリアは1940年6月10日、イギリス、フランスに宣戦布告し、ギリシャに侵攻したが、苦戦し、一時はアルバニアに逆侵攻されていたが、ドイツ軍の参戦により、なんとか勝利した。

イギリス本土空襲[編集]

ドイツが次の攻撃先に選んだのはイギリスだった。連日のイギリス本土空襲によってイギリスは降伏すると思われたが、ドイツの降伏勧告の返答はドイツ本土に対する空襲だった。これに対し、フランスを一撃で降伏させ、ヨーロッパを支配した人物に対する無礼な行為であると憤慨し、ドイツ軍は空襲の標的に都市を加え、大量虐殺を始めた。これによって多くの市民が命や財産を失った。それでも、防空戦闘機が活躍できる余地は残っていたため、英国はなんとかバトル・オブ・ブリテンに勝利した。

独ソ戦の開始[編集]

独ソ不可侵条約によってドイツソ連互いにポーランドに攻め込み分割した。しかし、1941年6月にドイツは「バルバロッサ作戦」を発動し、ソ連に攻め込んだ。不意を突かれたことや、大粛清により優秀な将校がほとんど処刑されていたソ連軍はドイツ軍に粉砕されてしまった。これに慌てたソ連の指導者スターリンは領土保全を計るために督戦隊の設置や死守命令を連発するもそれにより各地でドイツ軍に包囲殲滅されてしまい、ソ連軍は大損害を被った。レニングラード攻防戦のような一般市民を巻き込んだ悲惨な戦いとなった。

真珠湾攻撃[編集]

1937年に始まった日中戦争は連合国が中国に軍事支援を行ったことや中国がゲリラ戦を行ったことによって、泥沼の域に達し、戦線が膠着したままとなった。米国英国中国オランダ大日本帝国経済制裁を加えた。なお、この経済制裁の包囲網ABCD包囲網と呼ばれている。ヨーロッパでのドイツ軍の破竹の進撃を目の当たりにした大日本帝国軍はアメリカ合衆国との戦端を開くこととなった。1941年12月8日真珠湾攻撃マレー作戦を行い、アメリカ合衆国イギリス、後にオランダ宣戦布告を行い、戦争は世界規模に広がった。

連合軍の反撃[編集]

一時期は枢軸側が優勢だったが、やがてアメリカの物量や経済力によって情勢が激変し、1943年イタリア王国でのクーデターによってベニート・ムッソリーニは失脚して、後任のバドリオ政権が降伏、後にドイツの傀儡国家であるイタリア社会主義共和国が連合国と戦闘を始めるも国家は瓦解、1945年5月9日にはヒトラーが自殺してドイツが降伏、最終的には1945年8月14日に大日本帝国がポツダム宣言を受諾して無条件降伏するまで継続した。また、太平洋戦争末期には日本各地で戦闘機と爆弾を用いた大量虐殺である都市爆撃が大量に行われたほか、原子爆弾も2つ落とされた。

この戦争により国際連盟は機能不全に陥り、1945年10月に連合国主導で国際連合が組織されたあと、国際連盟は1946年に解散した。

参戦国[編集]

主に枢軸国と連合国の2つに分かれている。

連合国[編集]

1939年[編集]

ポーランド侵攻

1940年[編集]

北欧侵攻
フランス・ベネルクス侵攻
ギリシャ・イタリア戦争

1941年[編集]

ユーゴスラビア侵攻
ソビエト連邦侵攻
日本軍の攻撃開始

1942年[編集]

1943年[編集]

1944年[編集]

1945年[編集]

枢軸国から離脱した国家[編集]

枢軸国[編集]

枢軸国の傀儡政権とみなされ、講和せず消滅した国家[編集]

戦争の余波[編集]

  • 第二次世界大戦は未曾有の大戦争となり、多くの被害が発生。2022年現在も癒えていない。
  • ヨーロッパの宗主国の力が弱まり、ポルトガル海外領以外で、東南アジア諸国の独立が相次いだ。
  • 中国では国共内戦が再開され、中華人民共和国が成立。中華民国は日本支配から解放された台湾に逃れた。
  • 朝鮮半島大日本帝国の敗北により連合国が占領し、後に朝鮮戦争が起きた。
  • 戦後、諸国でインフレが進行。特にハンガリーでは世界史上最高額の紙幣とされる1ペンゲー紙幣が発行された[注 1]

関連項目[編集]

関連する政治家[編集]

外部リンク[編集]

[編集]

  1. 10垓ペンゲー紙幣も準備されたが、発行はされなかった。

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