日本の鉄道史

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日本の鉄道史 (にほんのてつどうし) は日本鉄道歴史について述べる。

明治時代以前[編集]

帰国した海外漂流者やオランダの文献によって徳川幕府中枢や知識人によって鉄道の存在は江戸時代後期には知られていたが、それはごく一部に過ぎなかった。1853年黒船が来航したことによって幕府中枢は大騒ぎとなり、マシュー・ペリーが翌年に鉄道模型徳川幕府に献上し、1855年肥前国ロシアから贈られたアルコール燃料で動く鉄道模型を複製するなど、鉄道の知識が少しずつ広まった。福沢諭吉が記した西洋事情によって鉄道の知識が一般にも広まり、徳川幕府もアメリカ合衆国と連携して鉄道の建設を行おうとした。

明治時代[編集]

明治政府はイギリスの手を借りて1872年に新橋駅と横浜駅との間に鉄道を建設した。1874年に大阪駅と神戸駅、1876年には京都駅まで延長された。その後いくつかの路線が建設されたが、西南戦争など、士族の反乱によって鉄道建設の資金が不足し、以後の鉄道建設は民間の手によって行われた。しかし、全国の鉄道を一元的に管理した方が好都合なため、有力な私鉄は鉄道国有化によって官営化された。国有化されなかった中小私鉄は直流電化を行って速度向上を行い、地元密着の鉄道として力を蓄えていった。

大正時代[編集]

官営鉄道の建設は全国に行き渡り鉄道網が形成された。東海道本線の複線化、蒸気機関車の性能向上、客車の大型化など、輸送力の向上も行われた。ただし国防上の理由により鉄道の電化は進まず、都市部と長大トンネル周辺を除き、非電化のままであった。地方民鉄は、長大路線を建設し、高速電車の運行を始めた鉄道事業者も登場した。(阪和線の歴史)。

鉄道は、その高速性から、長距離の通勤を可能にした。大阪では、阪神急行電鉄が、土地の広い郊外の住宅開発と通勤輸送をセットで進めた他、沿線のレジャー業も充実させ、都市開発で鉄道を支えるスタイルを確立した。この方式は東急西武にも輸入され、平成以降は流山市守谷市など自治体にも受け継がれている。

昭和戦前[編集]

官営鉄道は幹線はほぼ完成し、地方ローカル線の建設が始まった。路線バスの充実と不況により廃止された地方民鉄も出てきた。一部の地方民鉄は会社統合を行い、大手私鉄に成長していった。

太平洋戦争[編集]

企業統制によって大手私鉄地方民鉄いずれも核となる企業を中心に統合が進み、鉄道国有化以来の国家買収が行われた。輸送力の小さい鉄道は廃止されて、不要となった資材は重要な路線の複線化などに使用された。連合軍通商破壊と南方への船腹の転用により内航海運が壊滅したため、貨物列車の増発が行われたが、それでも輸送力は不足した。やがて日本本土空襲が始まり、車両や施設の被害が相次いだ。青函連絡船は多くが沈められた。

戦後[編集]

独立採算制日本国有鉄道が発足した。木造客車の鋼体化 (国鉄オハ61系客車の登場)、直流電化の延伸を行った。地方民鉄では石炭の価格高騰の影響で直流電化を行った。

高度経済成長[編集]

50,60Hzの商用交流を用いた交流電化が実用化されたこともあり、全国規模で主要幹線の電化・複線化が急速に進められた。
昭和39年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正によって東海道新幹線が開通し、世界の高速鉄道のさきがけとなった。またこの時導入したパターンダイヤも世界中に広まり、長距離列車を1〜2時間の間隔で運行するスタイルが世界各国で導入された。民鉄の近鉄特急や日本の在来線のエル特急もこのスタイルの下で生まれたものである。一方、道路の整備によるバスの増発、自家用車の普及、飛行機の大型化による航空運賃の低額化によって鉄道の肩身は狭くなった。輸送力増強と高速化のため、曲線半径、勾配の緩和、複線化、電化が行われた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 堀孝正『パワーエレクトロニクス』オーム社出版局2002年2月25日第1版第7刷発行
  • 酒井善雄『電気電子工学概論』丸善株式会社
  • 矢野隆、大石隼人『発変電工学入門』森北出版株式会社2000年9月13日第1版第4刷発行
  • 西巻正郎・森武昭・荒井俊彦『電気回路の基礎』森北出版株式会社1998年3月18日第1版第12刷発行
  • 電気学会「電気学会大学講座電気機器工学Ⅰ」社団法人電気学会2002年1月31日14刷発行
  • 電気学会『電気施設管理と電気法規解説9版改訂』電気学会
  • 天野光三・前田泰敬・三輪利英『第2版図説鉄道工学』丸善株式会社2001年3月25日発行。
  • 椹木亨、柴田徹、中川博次『土木へのアプローチ』技報堂出版1999年1月25日3版1刷発行。