キリスト教
キリスト教(キリストきょう)は、ナザレのイエスを救世主とする宗教。
概要[編集]
現在、広いくくりでみたキリスト教の信者の数は世界で一番多い。
宗派[編集]
西方教会[編集]
西ローマ帝国、フランク王国および後継国家の影響下の地域に主に広まった。
- カトリック教会 - 現在の最大の宗派。ローマ教皇を擁する。「ローマ・カトリック教会」「ローマ教会」「公教会」「天主公教会」などともいう。スペイン、フランス、イタリアやこれらの国の旧植民地などで多数派。
- イエズス会 - 布教活動に熱心で、16世紀には日本にもキリスト教をもたらした。
- プロテスタント - 宗教改革によってカトリックから分離。イギリス、ドイツ、スウェーデンやこれらの国の旧植民地などで多数派。なお、非キリスト教徒がキリスト教式の結婚式を挙げる場合、ほとんどがプロテスタント式である。
- アナバプテスト - 宗教改革によって分離。
東方教会[編集]
東ローマ帝国の影響が強い地域に主に広まった。
- 正教会 - 東方正教会とも呼ばれる。ルーマニア、ウクライナ、ロシアなどで多数派。
歴史[編集]
前史[編集]
マカバイ戦争を経て自らの独立国家をバビロン捕囚以来数百年ぶりに手に入れたユダヤ人であったが、教義の違いなどを巡りパリサイ派、サドカイ派、及びエッセネ派の3派に分裂してしまう。一方でこのような争いの結果ユダヤ教が民衆の心から徐々に離れて行き、そのことを批判する洗礼者ヨハネのような人物も現れる事になった。
原始教団の成立[編集]
そんな中ガラリア地方にイエス・キリストが現れる。彼は従来のユダヤ教を批判しつつ自らの教えを民衆に説いて行く[1]。彼はその影響を恐れたユダヤ人聖職者らにより有罪を宣告され、十字架に架けられ殺害される事になるが、彼の教えはやがて弟子たちによって広められて行く事になる。
ユダヤ教との分離[編集]
当初はあくまでユダヤ教の一派として出発したキリスト教であったが、教義の違いなどを巡り次第に対立して行く事になる。また当初からの(つまりユダヤ系の)信者が弾圧を受けて殉教するなどの結果、次第にユダヤ色が薄れて行く事になる。やがてエルサレム神殿の破壊以降ユダヤ教の主流派となったパリサイ派がキリスト教の聖典である七十人訳聖書を外典と認定した結果、キリスト教はユダヤ教と完全に袂をわかつ事になった。
拡大と弾圧[編集]
その後聖パウロなどの布教の結果、信者数は次第に増大し、3世紀末には当時のローマ帝国の人口の約4割がキリスト教徒だったとも言われ、教えは周辺のアルメニア王国やペルシャ帝国などにも広がって行く事になる。しかしその勢力を恐れたローマ皇帝による弾圧は地域的な物も含めて増加して行き、またその結果による異端の出現などが問題になって行く。
弾圧の終焉[編集]
他国に比べキリスト教徒の人口に占める割合が特に多かったアルメニア王国では国王ティリダテス3世が弾圧しようと試みるも、最終的に301年に聖グレゴリウスの働きによってキリスト教が公認され、世界で初めてのキリスト教国家が誕生する。その後ローマ帝国では303年に皇帝ディオクレティアヌスがかつて無い規模の弾圧に乗り出すも、信者数は一向に減らず、遂に後継者のガレリウスが311年、寛容令を布告し、2年後にはミラノ勅令が出されローマ帝国におけるキリスト教弾圧が終焉を迎える。
宗教改革[編集]
宗教改革が起きたことで16世紀にカトリック教会から独立した宗派プロテスタントが派生。この宗教改革は、フランスやイギリスなどのヨーロッパにおいて政教分離という考え方が広まるきっかけとなった。
カトリック教会[編集]
現在にいたるまでカトリック教会において、司祭の結婚は認められていない。司祭による性事件が勃発するなどしていることもあって、この制度の批判がある。また、避妊、妊娠中絶、同性愛、離婚を認めていないことも批判の対象になっている。
日本とキリスト教[編集]
安土桃山時代[編集]
フランシスコ・ザビエルによって伝来される。
江戸時代[編集]
キリスト教は禁止され、司教は日本にこなくなる。島原の乱をキリスト教徒による反乱だと決めつけた徳川幕府は鎖国をし、ポルトガル人を追放した。キリスト教徒に対する迫害が行われたが、信者は地下に潜伏し、隠れキリシタンとして存続した。
明治維新[編集]
明治維新によってキリスト教徒を名乗り出た信徒が出ても、当初は従来と同じようにキリスト教徒を弾圧。しかし、ヨーロッパ諸国からの強い抗議を受けたことで方針を転換して、キリスト教を認めることとなり、大日本帝国憲法で信教の自由が認められた。
第二次世界大戦[編集]
1930年代に入ると、思想統制によってキリスト教が弾圧される。1941年にはプロテスタントの諸教会が日本基督教団を組織はしたものの、監視の目はひどかった。
第二次世界大戦後[編集]
第二次世界大戦が終わると、思想の自由が認められる。これによって、様々なキリスト教の団体が生まれて普及していく。
現在、日本のキリスト教徒は120万人程度と推定されているが、この数字にはキリスト教系のカルト集団の信者がどの程度含まれているか不明である。また、どの教派をカルトと見なすかに付いても見解は別れる。教派によって信徒数の数え方はまちまちである。ほぼ毎週礼拝に出席している教会員だけを信徒としてカウントしている教会。教会に来なくなってしまった消息不明の教会員も信徒としてカウントしている教会。礼拝に一度でも出席した者は信徒としてカウントしてしまう教会。引っ越して遠い町の教会に行っている者が、双方の教会から二重にカウントされている場合。70年前に洗礼を受けた消息不明の者を信徒としてカウントしている教会などもあるからである。
キリスト教の見分け方[編集]
- イエス・キリスト自身が次のように述べたとされている。
わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。 — ヨハネによる福音書(口語訳)13章34節と35節
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 — ヨハネによる福音書(口語訳)15章13節
- パウロは愛の定義を以下のように綴った。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。 — コリント人への第一の手紙(口語訳)13章4節から8節
備考[編集]
- キリスト教は「予定説」や「セカンドチャンス」などの後付の理論があり、キリスト教の各派閥間において一致していない面がある。一致していないゆえに各宗派に別れている訳で、各宗派に分かれている理由は一致できない理由があるから、と考えられる。
脚注[編集]
- ↑ この時点でイエス自身が新しい宗教を創始しようとしていた訳では無い事に注意。
- ↑ “テモテへの第一の手紙(口語訳)2章5節”. ウィキソース (2018年3月8日). 2018年11月13日確認。