大八車

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが大八車の項目をおカタく解説しています。

大八車(だいはちぐるま)とは江戸時代から太平洋戦争後間もなくまで日本国内で製造された人力で引く大型の二輪の木製荷車である。

名称[編集]

長さが八尺 (二四三八ミリメートル)であることから、八人分の仕事をすることから、あるいは発明した人の名前から、さらに、初めて作られたところの地名など、様々な説があるが、定かではない。

概要[編集]

木製の台枠の下に木製の車軸があり、木製のスポークのついた車輪がある。また、平軸受けで定期的な注油が必要である。このため、転がり抵抗が大きく、未舗装道路での使用には大きな力が必要である。台枠には柵がないので荷崩れしないよう、縄でしっかり荷造りする必要がある。また、制動装置がないので下り坂では止めることもできず、事故を起こす危険性もあった。

歴史[編集]

江戸時代に考案されたが、大きい町の中だけしか使用が認められなかった。それ以外のところでは使用が許可がされず、それ以前に使用に耐えうる道路がなかった。明治時代に入ると各地で使用が解禁され、使用に耐えうる道路も次々建設された。大阪府では車台の長さが八尺(約二四三八ミリメートル)のものを大八車、七尺のものを大七車と呼び、鑑札と引き換えに課税した。富山県氷見郡氷見町では、1885年に大八車、大七車がそれぞれ三台ずつあった。郵便物輸送のために人車郵便線路としても用いられた。 1950年代まで鉄道駅にも常駐し、運送会社でも使われたが[1]、値段が高い、重心が高い、木製でメンテナンスが高価といった理由で現在はリヤカーに置き換えられた。車輪をゴムタイヤに置き換えたものはさらに後年まで使われた[2]。現在はほとんど使われていないが、時代劇や、戦前の世の中を描いたドラマでは欠かすことの出来ない脇役である。荷物の運搬以外に犯罪者の取り押さえに使っている場面もあるが、実際にそのように使われたのかは確認できていない。

短所[編集]

リヤカーと異なり、車軸の上に台枠があるので重心が高く、バランスが悪い。荷物を載せるときは前後のバランスを考えて荷物を積み、荒縄で固定する必要がある。また、平軸受けでサスペンションがないことから、転がり抵抗・騒音・振動が激しく、引き出すのに大きな力が必要であり、荷痛みが発生することもある。さらに重量が大きいと一人で引くことが難しくなり、複数人で引くことになり、人件費が大きくなる。また、鍵がついてないので盗難の恐れがある。

メディア[編集]

大八車を取り扱うことはほとんどない。専用の雑誌も、日本最大のインターネット掲示板のサイトである2ちゃんねるにも該当するカテゴリスレッドは存在しない。また、世界最大のインターネット百科事典であるWikipediaの記載も詳しく書かれてはいない。

クラブ活動等[編集]

大八車を扱ったクラブ活動の存在は確認できていない。日本各地にある大学のクラブ活動には、鉄道研究会、自転車部、自動車部、航空研究会、ヨット競技部、単車部といった乗り物関係のクラブ活動があるが、「大八車部」の存在は確認できていない。

また、若者の就労も多い人力車夫と違い、インバウンド向けの観光目玉に大八車が活用される事例も僅少である。

保存車[編集]

貨物鉄道博物館(三岐鉄道)[3]

模型[編集]

大八車模型というジャンルは確立されていない。鉄道模型Nゲージにはいくつかのガレージメーカーから大八車の模型が製品化されている。

道路標識[編集]

自転車以外の軽車両通行止めの標識には、描画がしやすくわかりやすい大八車が描かれることが多い。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

貨物鉄道博物館

その他[編集]

日本全国各地で記されている郷土史、鉄道会社の社史の、昭和初期までの写真には大八車が掲載されていることが多い。

脚注[編集]

  1. 高岡市史
  2. 『昭和の終着駅北陸・信越編』pp68、pp69。交通新聞社
  3. 1949年