1185年
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1185年(せんひゃくはちじゅうごねん)は、1100年代の85年目のことであり、日本の元号では元暦2年であったが8月14日(ユリウス暦9月9日)に改元が行なわれて文治元年となる。平氏政権では寿永4年であった。日本の天皇は第82代天皇・後鳥羽天皇であるが、平氏政権は第81代天皇・安徳天皇を擁しており、3月に平氏政権が滅亡して安徳天皇が自殺するまで両帝の並立が続いていた。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 源範頼が豊後に渡るが、兵糧の不足に苦しむ。
- 2月 - 源義経が阿波から讃岐に侵入し、屋島の平氏軍を破る(屋島の戦い)。源頼朝が伊豆に赴いて伽藍造営料木材の伐採を監督する。鎌倉南御堂造営を始める。
- 3月 - 源義経が壇ノ浦の戦いで平氏軍を滅ぼす(壇ノ浦の戦い)。安徳天皇(8歳)、平経盛(62歳)、平教盛(58歳)、平知盛(34歳)、平教経(26歳)ら平氏一門が相次いで入水自殺し、平氏の総帥である平宗盛は生け捕りにされる。源頼朝が米1万石・砂金1000両・上絹1000疋を東大寺に寄進して造営費に充てる。
- 4月 - 正四位下の源頼朝が従二位に叙せられる。
- 5月 - 平宗盛が鎌倉に入る。源頼朝が22の寺社に平氏討滅を奉賽し、行方不明になっている宝剣の出現を祈願する。京都で疫病(入梅病)が流行する。
- 6月 - 平宗盛が近江篠原で斬首される(39歳)。平重衡が奈良で斬首される(29歳)。
- 7月 - 京都で大地震が発生し、多くの寺社が倒れて死傷者が相次ぎ、余震も続く。
- 8月 - 源頼朝が源行家の追討を命じる。源頼朝が惟宗忠久を九州島津荘の下司職に任命し、忠久は島津氏の祖となる。東大寺大仏開眼供養が行なわれ、後白河法皇が開眼する。
- 10月 - 源頼朝が源義経を誅殺するため、土佐坊昌俊を京都に派遣する。
- 11月 - 源行家・源義経が西国に逃れようとするが、大物浦で遭難して大和に逃走する。北条時政が入京する。源頼朝が諸国に守護・地頭を置いて兵糧米を課することを許可される。京都の市民が白川廃堂の仏像を破壊して薪にする。
- 12月 - 議奏公卿を10人置く。顕昭が『古今集註』を撰進する。
- 月不明 - 『保元物語』『平治物語』が完成する。