1184年
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1184年(せんひゃくはちじゅうよねん)は、1100年代の84年目のことであり、日本の元号では寿永3年であったが4月16日(ユリウス暦5月27日)に改元が行なわれて元暦元年となる。ただし平氏政権側ではこの元号は使用されず引き続き寿永3年が用いられた。日本の天皇は第81代天皇・安徳天皇と第82代天皇・後鳥羽天皇が京都と西国に並び立っていた。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 源義仲が征夷大将軍に任命される。源頼朝に派遣された源範頼・源義経の軍勢が京都に迫り、源義仲は敗れて栗津で敗死する(31歳)。平宗盛が安徳天皇を奉じて福原まで戻り、一の谷に城郭を構える。
- 2月 - 一の谷の戦いにおいて平氏軍が源範頼・義経の軍勢に大敗する。平通盛・平忠度(41歳)・平知章(16歳)・平敦盛(16歳)ら主だった平氏一門の多くがこの戦いで敗死し、平重衡は捕虜となる。平宗盛は屋島に敗走する。源頼朝が後白河法皇に対して5か条の意見を上奏する。
- 3月 - 平維盛が那智の海において投身自殺を遂げる(27歳)。源義経が京都における武士の乱暴を禁止する措置をとる。
- 4月 - 崇徳天皇の廟を建立することを白河天皇・鳥羽天皇・侍賢門院の3陵に対して奉告する。
- 6月 - 運慶が法華経の書写を終える(運慶願経)。源範頼が三河守に任命される。後白河法皇が22の寺社に対して神器の戻ることを祈願する。
- 7月 - 京都で盗賊の横行が激しくなる。
- 8月 - 源義経が左衛門少尉・検非違使に任命される。
- 10月 - 源義経が昇殿を許される。
- 12月 - 平行盛率いる平氏軍が備中児島の戦いにおいて佐々木盛綱軍に敗れる。
- 月不明 - 『元暦校本万葉集』が完成する。阿波雲辺寺の毘沙門天像が完成する。運基が『長生療養記』を著す。