阪神タイガース

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Baseball Batter.jpg 阪神タイガース Baseball Pitcher.jpg
所属連盟セ・リーグ
運営会社株式会社阪神タイガース
オーナー藤原崇起
監督藤川球児
リーグ優勝回数6回(優勝年:1962,1964,1985,2003,2005,2023)
日本シリーズ優勝回数1回(優勝年:1985)
永久欠番10,11,23
Fan
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チームロゴ

阪神タイガース(はんしんタイガース)とは兵庫県西宮市阪神甲子園球場に本拠を置くセントラル・リーグに属する日本プロ野球チームである。

概要[編集]

黎明期[編集]

1935年に創設される。当初は大阪タイガースという名称だった。1940年、戦争の激化による敵性語排除の流れで阪神軍と改名、当時は優勝4回を誇る常勝軍団だった。

戦後、1949年オフに起きた新球団加盟問題において賛成の立場から反対に鞍替えしたことが毎日オリオンズ(現:千葉ロッテ)の恨みを買い、別当薫などの主力選手を多数引き抜かれ2リーグ制移行後は低迷することとなる。このときタイガースに残留した主力選手の一人が初代ミスタータイガースの藤村富美男である。

「阪神タイガース」誕生[編集]

1961年に現在の名称である阪神タイガースに改名した。「阪神タイガース」は、親会社が「阪神」電鉄であることと、本拠地である甲子園球場兵庫県の定める地域区分において、同県南東部の神戸市大阪府に挟まれた一帯(尼崎市西宮市芦屋市伊丹市川西市宝塚市三田市川辺郡猪名川町の7市1町)を指す「阪神間」に位置していることとの2つの意味を併せ持った球団名である。設立当初は「大阪タイガース」という球団名で大阪市に球団事務所を置いていたが、タイガース以外にも阪急南海大阪都市圏にあったことから略称として「阪神」が使われており、さらに球団事務所を甲子園球場内(=兵庫県)に移転したことに前後して1961年より正式名称を「阪神タイガース」とする。ただし、正式な改称以前にも「阪神タイガース」は通称として使われていた。1950年の開幕前に甲子園球場で開催されたオープン戦「大阪市長杯」で全チームが参加した入場行進の写真に「阪神タイガース」のプラカードが写っているのが確認できる[1]

また、改称以前の1954年に発足したファームの新日本リーグでは、神戸を本拠としたこともあり「大阪」を称するのは不都合とされたため「阪神ジャガース」の名称でチームを組織していた。

1962年・1964年の優勝[編集]

1962年は巨人出身の名将藤本定義を招聘し、小山正明村山実の二本柱の活躍で2リーグ制移行後初優勝し、1964年にはジーン・バッキーや小山とのトレードで移籍してきた山内一弘らの活躍により優勝を果たした。遊撃吉田義男と三塁三宅秀史の伝説の三遊間もこの頃である。

その後は江夏豊田淵幸一藤田平など名選手が揃うが内紛もあり、また巨人V9の時期と重なり21年間優勝することは出来なかった。

初の日本一[編集]

1985年3番バース4番掛布雅之5番岡田彰布の強力クリーンナップを中心とした第二次ダイナマイト打線 (下記参照) の活躍により、序盤からバックスクリーン3連発などで球界をにぎわせ、21年ぶりにリーグ優勝を果たした。日本シリーズでも西武ライオンズを下し初の日本一の栄冠を掴むこととなった。また、バースは球団史上初の三冠王に輝いた。

低迷期[編集]

1985年以降、世代交代の遅れやバースの突然の退団、掛布の引退などでチーム力が低下し87年からは5年連続Bクラス(内最下位4回)、93年から9年連続Bクラス(内最下位6回)と球史に残る低迷期に入る。この低迷期は2002年に中日から星野仙一監督を招聘するまで続くこととなる。

1993年トーマス・オマリーが首位打者になるが、前年最多安打・最多勝利打点だったジム・パチョレックが怪我とこの年入団したバルセロナオリンピック銀メダリスト郭李建夫の入団による外国人枠の兼ね合いを理由に途中退団、前年絶好調だった投手陣も怪我や不振者が続出し崩壊。シーズン4位に終わった。前の年に野田浩司を放出してオリックス・ブルーウェーブから手に入れたばかりの松永浩美は3試合連続先頭打者本塁打の世界記録を樹立したがケガなどでわずか80試合の出場に終わり、オフにはFA福岡ダイエーホークスへ移籍してしまった。また長年チームを支えた岡田は自由契約を言い渡されオリックスに移籍した。

1994年、長打不足改善のためにFAでオリックスから石嶺和彦を獲得し、メジャー通算226本塁打のロブ・ディアーを年俸2億7000万円で獲得。新人の藪恵市がチームトップの9勝を挙げ新人王を獲得。オリックスからトレードで移籍してきた古溝克之が抑えの切り札として活躍。シーズン後半まで首位争いに加わったが、新外国人のディアーは期待はずれで怪我もあり8月に退団。終盤にはチームをそれまで支えていた投手陣が崩壊し7連敗。これが響き2年連続の4位(ヤクルトと同率の4位タイ)。同年オフ、長打力不足などを理由にオマリーを解雇した。

1995年、FAでまたしてもオリックスから山沖之彦を獲得。しかし、一軍登板も無くこの年引退。長打不足を解消するため獲得した新外国人のグレン・デービススコット・クールボーは一定の成績を残し、先発陣も防御率3点台中盤を記録する等安定感があったものの、開幕から和田豊、石嶺、亀山努新庄剛志八木裕といった日本人打者の不振が相次ぎ、先発が好投しても全く勝てず更にリリーフ陣も崩壊。極度な成績低迷が続き、中村勝広監督が7月23日限りで休養(その後、辞任)。藤田平に監督を代行させるも球団ワースト記録となる84敗を喫し、4年ぶりの最下位に終わった。なお、この年は球団創立60周年の記念の年でサンテレビでは「今年の阪神はいつ60勝するか?」と視聴者クイズをしたが、130試合中46勝しか出来なく企画も途中から「チーム60本目の本塁打はいつ出るか」に変更になったが、チーム本塁打は88本で4年連続セ・リーグ最下位である。同年オフ、真弓明信が引退した。代行の藤田がそのまま監督に正式就任。

1996年、怪我の亀山に代わり、前年後半から起用されていた桧山進次郎が飛躍しチームトップの22本塁打を記録。シーズン直前にオリックスからトレードで来た平塚克洋もレギュラーとして活躍。2年目の川尻哲郎が13勝、3年目の藪が初の二桁勝利を挙げるが藪と湯舟敏郎が二年連続でリーグ最多敗戦になるなどチームは開幕から低迷。打撃陣も助っ人外国人がことごとくはずれてしまい一向に浮上できず、5月終了時点で借金15と早々にペナントレースから脱落し、最終的には2年連続最下位となった。新庄をはじめとする主力選手との確執もあって、藤田はシーズン終盤に監督を辞任、後任には、チーフ兼バッテリーコーチの柴田猛が監督を務め、シーズンオフには、吉田義男が3度目の監督に就任。この年85年のリーグ優勝胴上げバッテリーの中西清起木戸克彦が引退。

1997年、湯舟、中込伸が先発で復活、リリーフでは葛西稔田村勤弓長起浩に、横浜からテスト入団した伊藤敦規を加えた投手陣が奮闘、中盤まで上位を狙える位置にいた。だが、打撃陣の主力として期待していた新外国人のマイク・グリーンウェルがわずか数試合で故障・突然退団・帰国。平塚、八木等ベテラン組が一定の成績はあげたものの、新庄・桧山ら他のクリーンナップを務めた選手が不振。和田が開幕戦からの連続安打日本記録を樹立しても打線全体の低迷が響き、2年連続から最下位は脱出できたものの結果5位に終わった。オフに久慈照嘉関川浩一大豊泰昭矢野輝弘との交換トレードで中日に放出。

1998年、新人の坪井智哉と二年目の今岡誠の一番、二番コンビが活躍、さらに5月26日に川尻が対中日戦で矢野とのバッテリーでノーヒットノーランを達成しシーズンも2年ぶりの二桁勝利を記録する。藪も二桁勝利しプロ入りシーズン初の勝ち越しを達成するも、湯舟が開幕早々に怪我で離脱。中日から移籍したアロンゾ・パウエル、大豊ら主力打者が不振。そこへ去年シーズンを支えたリリーフ陣も崩壊。8月には球団ワーストとなる12連敗を記録するなど、2年ぶりの最下位となり、シーズン後に吉田は監督を辞任した。後任はこの年までヤクルトの監督を務めた野村克也が就任。

猛虎復活[編集]

2003年、二年目となる星野政権下で広島東洋カープから金本知憲、メジャーから伊良部秀樹らを補強し、18年ぶりの優勝を果たす。この年、日本中が猛虎フィーバーに沸き、今年の漢字に「虎」が選ばれるほどであった。 2005年、前年に星野から禅譲された岡田彰布が指揮を執りJFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)の勝利の方程式がフル回転し2年ぶりにリーグ制覇を果たした。 しかしこの両年は共に日本シリーズで敗れ日本一を達成することは出来なかった。

なお、2006年10月1日には親会社の阪神電気鉄道 (阪神電車) が阪急ホールディングスの子会社となり、阪神電鉄が阪急阪神東宝グループ傘下の 「阪急阪神ホールディングス」 の一部となった。しかしながら、ホールディングス参入後も阪急サイドからはタイガースの経営に関与しない旨の覚書が交わされている。

真弓監督時代[編集]

岡田彰布退任後、真弓が監督に就任した。2009年、4月は金本知憲が絶好調だったものの、WBCに出場した岩田稔や正捕手の矢野、先発転向した久保田智之が故障で開幕に間に合わなかった。新井貴浩鳥谷敬の打撃不振や、2ちゃんねるで半ば伝説と化したレベルの史上最強のポンコツ新外国人ケビン・メンチの成績不振もあって、巨人や中日に圧倒され前半戦は低迷し、チーム改善の一角として6月にクレイグ・ブラゼルを獲得。ブラゼルの獲得はかなり疑問視された(西武時代に目立った成績を残したわけではなく、むしろ弱点があからさまだったと言われる)がこれが功を奏し後半戦は新井・鳥谷の復調、能見篤史桜井広大の躍進、スコット・アッチソン藤川球児などリリーフ陣の活躍もあり、徐々に調子を上げる。前半大きく負け越していた巨人戦で、球団新記録となる5カード連続の勝ち越しを記録し対戦成績を五分に戻したこともあり、8カード連続で勝ち越しを決めるなど、最終的には東京ヤクルトスワローズと3位争いとなる。しかし、最終戦でヤクルトに連敗し4位に終わり、初めてCS進出を逃す。この年はベストナイン、ゴールデングラブ賞共に受賞者なし、タイトル獲得者もなしで、3つとも受賞者がいないのは1995年以来14年ぶりであり、規定打席数以上で打率3割を超えた打者も2000年以来9年ぶりにいないなど、特に野手陣の不振が目立ったシーズンだった。さらに12球団で唯一5連勝を経験できなかった。オフにシアトル・マリナーズから城島健司コロラド・ロッキーズからマット・マートンなどを獲得する一方で、9年間チームを支え続けた赤星憲広がこの年限りで引退し、藤本敦士がFAでヤクルトに移籍、今岡誠が自由契約となりロッテへ移籍、ジェフ・ウィリアムスらが退団した。また駐米スカウトのオマリーを外国人選手の不振の引責で解任し、アンディ・シーツが後任として就任した。

2010年、城島、マートンなどの新加入選手を加え、新井、鳥谷、平野恵一、ブラゼルなど主力の打棒が威力を発揮。8月には1試合22得点(球団記録更新)挙げるなど、1リーグ時代を除けば球団最高のチーム打率.290、3割打者と90打点以上も5人ずつという記録を残している。鳥谷の遊撃手としてのシーズン104打点はプロ野球記録となった。また若手野手の藤川俊介上本博紀大和を起用し、走塁面でも攻撃力につなげた。しかし開幕前に負傷した主砲の金本はフルイニング出場が途切れ、復帰後も攻守での問題点を見せた。一方、投手陣では久保田、藤川などのリリーフ陣、久保康友ジェイソン・スタンリッジなどの先発陣は好調でも、岩田、能見の怪我離脱や、安藤優也下柳剛福原忍の不調が重なった先発陣のコマ不足に見舞われた。鶴直人西村憲、高卒ルーキーの秋山拓巳などの若手投手を抜擢するも先発・中継ぎは安定感に欠けた。前半戦は巨人との首位争いとなり、後半戦は巨人、中日との首位争いとなり、9月に阪神にも一時的にマジックが点灯したこともあった。しかし、前述の投手陣の不調により最終的には、首位中日と1ゲーム差の2位。初めて甲子園で行われたクライマックスシリーズの第1ステージの対巨人戦は0勝2敗で敗退。オフにはFAで小林宏之藤井彰人を獲得する一方で、長らく正捕手を務めた矢野が引退し、星野仙一シニアディレクターが、楽天の監督に就任するため退団した。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、開幕日が当初の3月25日(神宮球場での対ヤクルト戦)から4月12日の甲子園での対広島戦に変更となり、阪神にとって1993年以来18年ぶりの甲子園開幕戦。これを7-4で制し、40年ぶりの甲子園での開幕戦勝利を挙げた。開幕当初は先発陣の安定した活躍で上々の滑り出しをしたものの、打線が不調に陥り、久保田と小林宏の不振もあり、交流戦半ばで最下位に加えて最大11の借金を抱えた。その直後の6月8日から、代打出場が主だった関本賢太郎をスタメン起用し、負傷した城島に替わり藤井彰人を正捕手として起用し始めたことでチーム状況が好転する。不振だった各打者も復調し、投手では、先発のランディ・メッセンジャーが、能見と並ぶ12勝でチームの勝ち頭になると、中継ぎではベテランの福原、若手の小嶋達也、西村、セットアッパーでは新人の榎田大樹が定着し、徐々に投打が噛み合うようになる。何度か主力選手の離脱もあったが、上本、柴田講平、大和などの若手選手の起用や活躍もあり、月間成績も6月から8月まで連続で勝ち越し、8月終了時には借金を完済し、2位に浮上する。しかし、9月に入るとそれまで好調だった投手陣が安定感を失い、それまでに対戦成績の良かった首位ヤクルト相手に6連敗を喫するなど、球団ワースト記録を更新する6カード連続での勝ち越し無しの記録を作り一気に失速して4位で終わった。クライマックスシリーズ出場を逃した真弓監督は辞任、後任の監督には和田豊コーチが就任した。この年、下柳、桜井、葛城育郎らが退団した。

真弓時代の阪神は、在任中や退任当初こそメディアや後任監督の和田(和田は監督就任後に「まあ去年はね、テレビじゃちょっと言えないような事情のせいで負けましたけど」と発言した。自身もコーチとして入閣していながら、まるで去年の成績が他人事であるかのような発言である。ちなみに「テレビじゃちょっと言えないような事情」は、金本の連続試合出場のことと推測されている)から批判を受けたが、後に「相対的には」ある程度評価されるようになった。関西のマスコミはそんなものである。

近年[編集]

即戦力狙いのドラフト戦略の失敗で世代交代が遅れ、2005年優勝時の主力の引退後は戦力が低下し、再び低迷期に向かうのではないかと危惧されていた。 しかしスカウト陣を入れ替えてドラフト戦略を変更し、補強に本腰を入れると2013年にAクラスに復帰し、2014年には日本シリーズに出場した。時間はかかったがひとまず2005年メンバーからの世代交代は成功したと言える。

大山悠輔中谷将大といった生え抜きの強打者が一本立ちできれば優勝も夢ではない。

2016年[編集]

「超変革」のもとシーズンを開幕した金本阪神は、序盤は1・2番にルーキー高山俊・高卒3年目横田慎太郎を添えるなど、若手を積極的に起用した。しかし波にのることができず、ちぐはぐなレースが5月まで続いた。交流戦に入ると鳥谷敬の不振、藤浪晋太郎の不調が響いてチーム状況は悪化し、4つの負け越し、首位を独走していた広島に大きく差を開けられてしまう。7月になっても状況が改善されない中、不振から抜ききらぬ鳥谷を667試合ぶりにスタメンから外し高卒4年目の北條史也を遊撃手に起用。すると4連勝・3連勝などを記録して、夏場になって息を吹き返した。8月27日の対ヤクルト戦では4回裏に球団新記録の1イニング10打数連続安打を記録し、一挙9得点をマークするほど打撃力が上昇した。しかし、広島・巨人相手には滅法弱く、借金を8つまで減らすのがやっと。さらに巨人相手には甲子園球場で全く勝てず、シーズン初勝利は9月19日までお預けという有様であった。クライマックスシリーズ進出争いが熾烈を極めてきた9月に入ると大失速が始まり、9月17日にCS進出を絶たれる。それでも終盤にきて粘り強さを見せ、9月25日に中日に勝利し最下位は回避した。9月19日の対巨人戦からシーズン最終戦である10月1日の対巨人戦まで今季初の7連勝でシーズンを4位で終えた。

2017年[編集]

開幕から軒並み出塁率の高い打者が打線を引っ張り、粘り強く四死球を獲得し相手投手を崩していく阪神打線を近鉄バファローズの「いてまえ打線」をもじって「歩いてまえ打線」と評するメディアも存在した[2]。7月にはエリック・キャンベルの不調によりジェイソン・ロジャースを獲得。ランディ・メッセンジャーが骨折で帰国、藤浪晋太郎が絶不調で先発が手薄になったため、8月には北海道日本ハムファイターズを退団してウェイバー公示にかけられたルイス・メンドーサを獲得した。最終的にリーグ2位につけるが、クライマックスシリーズでDeNAに敗れている。この年は、桑原謙太朗マルコス・マテオラファエル・ドリス髙橋聡文岩崎優、藤川、石崎剛らリリーフ投手陣の働きが光り、チーム防御率はリーグトップ、12球団中2位の3.39を記録した。桑原、マテオ、ドリス、髙橋、岩崎の5名はそれぞれ60試合以上の登板数を記録、さらに52試合に登板した藤川を加えた6名が50を超える試合に登板したが、これはどちらもプロ野球史上初の出来事であった[3][4]。また桑原、マテオは43HPで最優秀中継ぎ投手の、ドリスは37セーブで最多セーブのタイトルをそれぞれ獲得。

2018年[編集]

序盤は比較的成績が良く、一時リーグ首位に立つことがあったものの、雨天中止が重なり失速。Bクラスに転落し、10月8日のヤクルト戦では2001年以来17年ぶりの最下位が確定した。また、その責任をとって金本監督が辞任したが、宿泊先のホテルにファンが 「金本辞めろ!」 と押しかける騒動に発展した。なお金本監督の後任には、2018年に阪神の二軍を日本一に導いた矢野燿大が就任することになった。

2019年 - 2021年[編集]

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2022年[編集]

シーズン初盤で、矢野監督が今季限りの監督退任を公言。序盤は負けが込んでいたが、中盤以降に盛り返し、最終的には巨人と3位争いをしてクライマックスシリーズ進出を果たした。
クライマックスシリーズでも勢いで1stステージを突破したが、ファイナルステージで敗退し、下剋上は実現しなかった。
ポストシーズン終了後、15年ぶりに岡田彰布が監督に復帰することが発表された。

2023年[編集]

岡田監督復帰1年目は連勝を重ねリーグ戦は絶好調で、リーグを制した。

2024年[編集]

岡田監督復帰2年目はリーグ戦2位となったが、CSで、横浜DeNAの日の出の勢いの前にまさかのファーストステージ敗退を喫した。オフに岡田監督が辞任。

2025年[編集]

藤川球児が新監督に就任。松坂世代の一軍監督就任は平石洋介に次ぐ。

チームの特徴[編集]

数十年の歴史を振り返ると村山実や江夏豊に代表されるように投手力中心のチームであった時期が多い。その一方で強力打線であった時期は少ない。視点を変えると強力打線を構築した時期にのみ優勝または優勝争いをすることができるチームであるといえる。この傾向は投手有利の甲子園球場を本拠としていることが影響しているのではないかと推測される。 また、監督が生え抜きかどうかは重視されることは少なく、監督の平均在任年数が約3年と短い。これはお家騒動が多い球団体質であったことと長期的な視野に欠けた球団上層部がファンや在阪マスコミの声を重視するあまり短期間で監督を交代させる傾向があることが要因である。

セ・リーグ6球団の中では日本一の回数が最も少なく1回だけである。平成時代では広島東洋カープ大阪近鉄バファローズ[注 1]とともに1度も日本一がなかった。また、1985年の日本一においては日本シリーズMVPを獲得したのはランディ・バースであり、セ・パ12球団では唯一日本人選手の日本シリーズMVP獲得者がいない球団である。

クライマックスシリーズにおいて、本拠地開催は、何度かあるものの、未だに、シーズン1位通過を達成していない。つまるところ、ここ10年ほどリーグ優勝していないということである(最後のリーグ優勝はあの2005年)。

3月末から4月上旬におこなわれるプロ野球公式戦開幕戦は、選抜高等学校野球大会の開催時期と重なる場合がある。プロ野球の開幕を本拠地で迎える基準はセ・リーグはAクラスを確保したその年の2年後、パ・リーグはAクラスを確保したその年の3年後となっている[注 2]ため、Aクラスを確保しても本拠地開幕権を放棄するケースが少なくない。

ダイナマイト打線[編集]

  • 強力打線が構築されていた時期はダイナマイト打線と呼ばれる。

第一次ダイナマイト打線[編集]

2リーグ制分裂直前の打線

主なオーダー
1 [中] 後藤次男
2 [左] 金田正泰
3 [右] 別当薫
4 [三] 藤村富美男
5 [捕] 土井垣武
6 [二] 本堂保次
7 [一] 安居玉一
8 [投] 若林忠志
9 [遊] 長谷川善三
  • 1950年のセ・パ分裂騒動の後毎日オリオンズなどの他球団に主力選手を引き抜かれて崩壊した。

第二次ダイナマイト打線(ニューダイナマイト打線)[編集]

1985年日本一前後の打線

主なオーダー
1 [右] 真弓明信
2 [中] 広田澄男
3 [一] ランディ・バース
4 [三] 掛布雅之
5 [二] 岡田彰布
6 [右] 佐野仙好
7 [遊] 平田勝男
8 [捕] 木戸克彦
9 [投] 池田親興
  • バースの退団や掛布の故障による衰えが影響して1980年代後半から急速に弱体化していった。

第三次ダイナマイト打線[編集]

2003年優勝当時の打線

主なオーダー
1 [二] 今岡誠
2 [中] 赤星憲広
3 [左] 金本知憲
4 [右] 桧山進次郎
5 [一] ジョージ・アリアス
6 [三] 片岡篤史
7 [捕] 矢野輝弘
8 [遊] 藤本敦士
9 [投] 井川慶
  • 故障離脱するまでは浜中治が4番だった。

第四次ダイナマイト打線[編集]

2005年優勝当時の打線

主なオーダー
1 [中] 赤星憲広
2 [二] 藤本敦士
3 [一] アンディ・シーツ
4 [左] 金本知憲
5 [三] 今岡誠
6 [右] シェーン・スペンサー
7 [遊] 鳥谷敬
8 [捕] 矢野輝弘
9 [投] 井川慶

第五次ダイナマイト打線[編集]

2010年の打線

主なオーダー
1 [中] マット・マートン
2 [二] 平野恵一
3 [遊] 鳥谷敬
4 [左] 金本知憲
5 [三] 新井貴浩
6 [捕] 城島健司
7 [一] クレイグ・ブラゼル
8 [中] 藤川俊介
9 [投] 能見篤史
  • FAやトレードで加入した外様組が多いのが特徴

第二次岡田政権[編集]

2023年の打線

主なオーダー
1 [中] 近本光司
2 [二] 中野拓夢
3 [右] 森下翔太
4 [一] 大山悠輔
5 [三] 佐藤輝明
6 [左] ノイジー
7 [捕] 坂本誠志郎
8 [遊] 木浪聖也
9 [投] 村上頌樹

投手の偵察メンバー第1号[編集]

偵察メンバーとは、相手チームの先発投手が左腕か右腕か判らない時などに、スターティングオーダーの一つの守備位置にその試合で起用する予定のない自軍の投手(基本は先発投手を用いる)をダミーとして起用し、相手投手が判った際に別の野手と交代させる作戦。現在は公式戦においては予告先発制度が導入されていることから偵察メンバーが用いられることはなくなったが、この作戦をプロ野球で初めて考案したのは藤村富美男[5]、助監督兼内野手だった藤村の助言を受け松木謙治郎監督が初めて試合で使用した[5]1950年4月22日熊本水前寺野球場で行われた対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発が左腕の清水秀雄か、右腕の服部受弘か迷ったため、藤村から「それじゃ、トップに千場を入れておきましょう」と助言を受け[5]、メンバー表の1番に左翼手干場一夫と書いて提出した[5]。服部の先発が分かると干場に代えて左打者の金田正泰を送った。この策は成功し、金田の二塁打を足がかりに阪神が1点を先制したが、試合は7 - 9で敗れた。

死のロード[編集]

ホームグラウンドの阪神甲子園球場は、高校野球の聖地でもある。そのため、夏の高校野球全国大会中、甲子園球場は高校野球優先となるため、タイガースは長期に渡って他の球場でのビジターでの試合、いわゆる死のロードとなる。ここで、例年調子を崩しやすい傾向にあった。昨今はオリックスとの調整[注 3]で、高校野球期間中でも京セラドーム大阪でホームゲームを行うようにしたため、昔と比べて、ロードの過酷さは緩和されつつある。

年度別成績[編集]

  • 通算 5046勝4720敗303分 .517(2015年シーズン終了時現在)
  • 2015年 : 3位 (監督:和田豊)(CS 1stステージ敗退)
  • 2016年 : 4位 (監督:金本知憲)
  • 2017年 : 2位 (監督:金本知憲)(CS 1stステージ敗退)
  • 2018年 : 6位 (監督:金本知憲
  • 2019年 : 2位 (監督:矢野燿大)(CS ファイナルステージ敗退)
  • 2020年 : 2位 (監督:矢野燿大)(CS中止)
  • 2021年 : 2位(監督:矢野燿大)(CS 1stステージ敗退)
  • 2022年 : 3位(監督:矢野燿大)(CS ファイナルステージ敗退)
  • 2023年:優勝 (監督:岡田彰布
  • 2024年 : 2位 (監督:岡田彰布)(CS 1stステージ敗退)

過去の順位[編集]


永久欠番[編集]

  • 10 - 初代「ミスタータイガース」と呼ばれ、チームの黎明期を支えた藤村富美男を讃えて欠番とされている。
  • 11 - 同じく2代目「ミスタータイガース」と呼ばれ、大卒投手で唯一の200勝を達成した村山実を表して欠番とされている。
  • 23 - 華麗な守備で「今牛若丸」の異名を取り、監督としてチーム初の日本シリーズ制覇を果たした吉田義男を讃えて欠番となっている。

こぼれ話[編集]

甲子園・大阪ドームなど近畿圏でのホームゲームで阪神が勝った場合に「ヒーロー賞(マン・オブ・ザ・マッチ相当)」が阪神百貨店協賛で表彰され、当該選手全員に阪神百貨店の商品券(インタビュー中はスポンサーパネルボードの代わりにトラッキー・ラッキーの着ぐるみが目録のプレートをバックに掲げ、そのインタビュー後に目録のプレートを選手に手渡す)が贈呈されている。なお目録パネルは2枚しかないため2名以下なら全員に直接手渡すが、3名以上の場合は複数名で1枚のパネルをもって表彰する。

ファンを公言する有名人[編集]

兵庫県に本拠地があるものの大阪でも人気が高く、関東圏にもファンが多い。大阪周辺では、阪神の他に大手私鉄の近鉄・南海・阪急も過去に球団を持ち[注 4]、現在でもオリックスのみ大阪拠点で続いているが、圧倒的に阪神の人気が高い。大阪の「道頓堀」は、元は南海の、1970年以降近鉄の難波駅の近くで、阪神電車が乗り入れたのは2009年と遅いにもかかわらず、阪神ファンが飛び込む「阪神ファンの聖地」となってしまった。

故人[編集]

中野猛虎会[編集]

関東在住の阪神ファンのタレントが集まっていることで有名。

関連企業[編集]

脚注[編集]

  1. 2004年球界再編によりオリックス・ブルーウェーブに合併され消滅。
  2. 2012年からこの制度になった。
  3. オリックスにしてもブルーウェーブ時代のファン離れ抑止のために、ほっともっとフィールド神戸での公式戦開催を残している。
  4. 京阪のみプロ野球球団を保有したことがない。
出典
  1. 鈴木龍二 『プロ野球と共に五十年』上巻、恒文社〈恒文社新書〉、1984年。ISBN 4770405936口絵。
  2. “歩いてまえ打線”リーグトップの四球で首位走る!スポーツ報知 2017年5月23日
  3. 阪神史上初の5投手がシーズン60試合登板 ドリス、マテオ、岩崎、桑原、高橋デイリースポーツ 2017年9月27日
  4. 金本虎が誇る最強リリーフ陣!60試合登板の五人衆Baseball Crix 2017年10月8日
  5. a b c d 「【内田雅也の追球2012】 "読み"の醍醐味とドラマ性」スポーツニッポン、2012年2月11日3面

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

日本野球機構統括球団(日本プロ野球球団)一覧
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斜体の球団は1リーグ時代から存在。
プロ野球日本シリーズ歴代優勝チーム
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1960年代 1960: 大洋ホエールズ | 1961: 読売ジャイアンツ | 1962: 東映フライヤーズ | 1963: 読売ジャイアンツ | 1964: 南海ホークス | 1965: 読売ジャイアンツ | 1966: 読売ジャイアンツ | 1967: 読売ジャイアンツ | 1968: 読売ジャイアンツ | 1969: 読売ジャイアンツ
1970年代 1970: 読売ジャイアンツ | 1971: 読売ジャイアンツ | 1972: 読売ジャイアンツ | 1973: 読売ジャイアンツ | 1974: ロッテオリオンズ | 1975: 広島東洋カープ | 1976: 阪急ブレーブス | 1977: 阪急ブレーブス | 1978: ヤクルトスワローズ | 1979: 広島東洋カープ
1980年代 1980: 広島東洋カープ | 1981: 読売ジャイアンツ | 1982: 西武ライオンズ | 1983: 西武ライオンズ | 1984: 広島東洋カープ | 1985: 阪神タイガース | 1986: 西武ライオンズ | 1987: 西武ライオンズ | 1988: 西武ライオンズ | 1989: 読売ジャイアンツ
1990年代 1990: 西武ライオンズ | 1991: 西武ライオンズ | 1992: 西武ライオンズ | 1993: ヤクルトスワローズ | 1994: 読売ジャイアンツ | 1995: ヤクルトスワローズ | 1996: オリックス・ブルーウェーブ | 1997: ヤクルトスワローズ | 1998: 横浜ベイスターズ | 1999: 福岡ダイエーホークス
2000年代 2000: 読売ジャイアンツ | 2001: ヤクルトスワローズ | 2002: 読売ジャイアンツ | 2003: 福岡ダイエーホークス | 2004: 西武ライオンズ | 2005: 千葉ロッテマリーンズ | 2006: 北海道日本ハムファイターズ | 2007: 中日ドラゴンズ | 2008: 埼玉西武ライオンズ | 2009: 読売ジャイアンツ
2010年代 2010: 千葉ロッテマリーンズ | 2011: 福岡ソフトバンクホークス | 2012: 読売ジャイアンツ | 2013: 東北楽天ゴールデンイーグルス | 2014: 福岡ソフトバンクホークス | 2015: 福岡ソフトバンクホークス | 2016: 北海道日本ハムファイターズ | 2017: 福岡ソフトバンクホークス | 2018: 福岡ソフトバンクホークス | 2019: 福岡ソフトバンクホークス
2020年代 2020: 福岡ソフトバンクホークス | 2021: 東京ヤクルトスワローズ | 2022: オリックス・バファローズ | 2023: 阪神タイガース | 2024: 横浜DeNAベイスターズ
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