バックスクリーン3連発

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バックスクリーン3連発 (バックスクリーンさんれんぱつ) は、1985年4月17日阪神甲子園球場で行われた阪神タイガース vs 読売ジャイアンツ戦で、阪神のクリーンアップであるランディ・バース掛布雅之岡田彰布が3人続けてバックスクリーン方向へ打ったホームランを指す。対する巨人の投手は槙原寛己

概要[編集]

この年のセントラルリーグ4月13日に開幕、両チームとも開幕4試合目にしてこのカードの2回戦であった。なお前日は阪神が10対2で逆転勝利している。

経過[編集]

7回表終了時点で巨人が1対3でリードしていた。またバースが打席に入るまでに2人のランナーがいた。

まずは3番打者のバース。この年は開幕戦で3打席連続三振を喫し、この日も初回に四球で出塁した後2打席凡退するなど、直前の打席までは通算15打数2安打で打率.133、本塁打0はなかった。しかしこの打席で槙原が投じた初球の143km/hのシュートをセンター方向に打ち返すと、打球は低い弧を描きながらバックスクリーンに飛び込び3ランホームランとなり、阪神は4-3と逆転。普段は本塁打を打った直後にさほど大げさに喜びを表さないバースが、この時には珍しくガッツポーズを見せた。

続いて打席に入った4番打者の掛布は、打率こそ.273だったが、前日にシーズン初本塁打を打っていた[1]。掛布は打つ気なく初球の内角カーブ(ストライク)、2球目の外角ストレート(ボール)を見送ったが、3球目の144km/hのインハイのストレートを打ち返すと打球はバックスクリーン左翼側の観客席に飛び込む技ありの本塁打となった[2]

さらにに5番打者の岡田は打率.333、この日も既に適時打を含む3打数2安打とクリーンナップ三人の中で最も打撃好調であった。ただ開幕からこの打席までホームランはなかった。初球のストレートを見送り、1ストライク後の2球目の129km/hのスライダーを狙い打ち。バックスクリーン左翼寄り中段に叩き込んだ。こうして「バックスクリーン3連発」は完成した。そして7回裏終了時点で阪神が6対3と一気に3点差をつけて逆転した。

この3連続ホームランによる逆転劇に、阪神側応援席は狂喜乱舞、一方の巨人側応援席からは罵声が飛び、空き缶などが投げ込まれた[3]

その後試合は9回表に巨人が2点を返したが、6対5で阪神の勝利で終わった。

その後[編集]

この年は阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグで優勝し、同年の日本シリーズでも西武ライオンズを4勝2敗で下し、念願の日本シリーズ初優勝に輝いた。個人成績ではバースが首位打者 (打率.350) ・本塁打王 (54本) ・打点王 (134打点) の三冠王に輝き、安打数も174安打でリーグ最高だった (ただしこの当時は最多安打がタイトルとして表彰されていなかった) 。またバースがシーズンMVPに輝いた。バースは翌年にも三冠を達成した。

しかしチームは翌年3位に終わり、1985年から2023年まで日本一は1度もなく、リーグ優勝も18年後の2003年となった。

脚注[編集]

  1. このホームランが逆転勝利の一因となった。
  2. このため、厳密には3人の打球すべてがバックスクリーンに入ったわけではない。しかしながら、広い甲子園で3人とも同じ方向、かつ最も飛距離が必要なバックスクリーンへ、しかもクリーンアップの3人による3連発というのは他に無い
  3. もともと阪神と巨人は球界で一番のライバル関係であり、古くから2チームの直接対決は「伝統の一戦」と呼ばれていた。