1941年
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1941年(せんきゅうひゃくよんじゅういちねん)は、1900年代の41年目のことである。日本の元号では昭和16年である。日本の天皇は昭和天皇である。
日本の出来事[編集]
1月[編集]
- 1月8日 - 東条英機陸軍大臣が戦陣訓を示達。
- 1月16日
- 大日本青少年団発足。
- 大本営陸軍部が大東亜長期戦戦争指導要綱・対支長期作戦指導要綱を策定。
2月[編集]
- 2月1日 - 政府は対仏印泰施策要綱を閣議決定。
3月[編集]
- 3月1日 - 国民学校令公布。
- 3月8日 - 日米交渉開始。
- 3月7日-国防保安法が公布される。
- 3月10日 - 治安維持法が改正される。
- 3月24日-大日本仏教会が発足。
- 3月27日 - 松岡洋右外務大臣がベルリンでアドルフ・ヒトラーと会談。
4月[編集]
5月[編集]
6月[編集]
7月[編集]
- 7月2日 - 御前会議で関東軍の増強と、南方進出を決定。
- 7月16日 - 松岡洋右外務大臣を更迭するため第2次近衛内閣総辞職。
- 7月18日 - 豊田貞次郎を外務大臣にして第3次近衛内閣発足。
- 7月25日 - アメリカが在米日本資産を凍結。
- 7月26日 - イギリスが在英日本資産を凍結。
- 7月27日 - 蘭印が在蘭印日本資産を凍結。
- 7月28日 - 南部仏印に進駐。
8月[編集]
- 8月1日 - アメリカが対日石油輸出を全面禁止。
9月[編集]
10月[編集]
11月[編集]
12月[編集]
- 12月1日 - 御前会議で対米英蘭開戦を決定。
- 12月6日 - 戦艦大和が完成。
- 12月8日
- 12月10日
- 12月12日-支那事変と対米英戦の名称を大東亜戦争とすることを閣議決定。
- 12月20日 - 日本軍がミンダナオ島・ダバオに上陸。
- 12月21日 - タイ王国と日泰攻守同盟を締結。
- 12月23日 - 日本軍がウェーク島を占領。
- 12月25日 - 香港のイギリス軍が降伏し、日本軍が占領。
世界の出来事[編集]
1月[編集]
2月[編集]
3月[編集]
- 3月1日-ブルガリアが日独伊三国同盟に加入。
- 3月11日
- アメリカでレンドリース法が成立。
- タイ王国とフランスの間で国境紛争の調停が成立。
- 3月25日 - ユーゴスラビアが日独伊三国同盟に加入。
- 3月27日 - ユーゴスラビアでクーデターが発生。
4月[編集]
- 4月6日
- ドイツ軍がユーゴスラビア・ギリシャに侵攻。
- イギリス軍がイタリアの支配からエチオピアを解放。
- 4月17日 - ユーゴスラビアが降伏し、枢軸国に分割される。クロアチア独立国が建国。
- 4月30日 - ドイツ軍がギリシャ本土を占領。枢軸国に分割される。
5月[編集]
- 5月9日 - タイと仏印の国境紛争の調停が完了。東京条約締結。
6月[編集]
- 6月1日 - ドイツ軍がクレタ島を占領。
- 6月14日 - アメリカが在米独伊資産を凍結。
- 6月22日 - ドイツは独ソ不可侵条約を破棄しソ連に侵攻。バルバロッサ作戦
- 6月26日 - フィンランドがソ連に宣戦布告。継続戦争
- 6月28日 - ドイツ軍がミンスクを占領。
7月[編集]
- 7月1日 - ドイツ・イタリア両政府が中華民国国民政府(汪兆銘政権)を承認。
- 7月2日 - 中華民国(重慶政府)が独伊と国交断絶。
- 7月12日 - 米ソ相互援助協定締結。
- 7月16日 - ドイツ軍がスモレンスクを占領。