千葉ロッテマリーンズ
所属連盟 | パ・リーグ |
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運営会社 | 株式会社千葉ロッテマリーンズ |
オーナー | 重光昭夫 |
監督 | 吉井理人 |
リーグ優勝回数 | 5回(優勝年:1950 1960 1970 1974 2005) |
日本シリーズ優勝回数 | 4回(優勝年:1950 1974 2005 2010) |
永久欠番 | 26 |
千葉ロッテマリーンズ (ちばロッテマリーンズ、英語:Chiba Lotte Marines) はパシフィックリーグに所属する日本のプロ野球チーム。
千葉県をフランチャイズとし、千葉市美浜区にある千葉マリンスタジアム (ZOZOマリンスタジアム) を一軍の本拠地としている。二軍の本拠地は埼玉県さいたま市南区にあるロッテ浦和球場。
プロフィール[編集]
概要[編集]
歴史[編集]
戦前からの球団である金星スターズを大映が買収した大映スターズが起源。1957年に高橋ユニオンズ、1958年には毎日オリオンズを合併したが、1960年をもって毎日新聞社は球団から役員を全員引き上げ、経営から事実上撤退。大映社長の永田雅一が球団経営を掌握する事になる。
毎日・大毎時代の1950年の優勝以後、西鉄と南海に水をあけられていた。1950年代後半には、西日本に本拠を置く両チームがリーグの覇権を握り、関東の球団で集客を期待されたオリオンズが優勝できないことがパ・リーグの不人気の原因であるとする指摘が複数なされるほどだった[1]。1950年のパシフィック・リーグ誕生時には、毎日新聞は「リーグの広報」役を期待されていた[2]。毎日の撤退は、その戦略が潰えたことを意味した[注 1]。毎日新聞社史『毎日新聞百年史』(1972年)ではオリオンズについての記述が著しく少ないという指摘がある[3]。
毎日オリオンズ時代のユニフォームはホーム用がニューヨーク・ヤンキースタイプで、ビジター用がロサンゼルス・ドジャースタイプだった。また、ユニフォームの左袖には日本シリーズ初代チャンピオンのエンブレム(月桂冠付き従来の青・白・赤のエンブレムに「1950」と年号)がついていたが、上述の平和台事件をきっかけに取り外された[注 2]。
1972年から2020年1月の逝去までロッテ創業者の重光武雄がオーナー職に就いていた。
特徴[編集]
千葉移転後、チバテレがホームゲームを全面中継することになり、地元ファンの開拓がなされた。かつては、RFラジオ日本でジャイアンツ戦非中継日に「マリーンズナイター」を放送したことがある。
日本シリーズでは、2005年 (対阪神タイガース) ではシリーズを通しての得点がロ 33 - 4 神、のいわゆる33-4を記録したり、2010年 (対中日ドラゴンズ) にはリーグ3位から優勝したり、とさまざまな記録を残している。日本シリーズじゃなくても26-0をやったり1イニング15得点をやったり、得点記録に事欠かない。
FAによる選手の補強にはやや消極的である。これまで、他球団からFAでロッテに移籍したのは、1995年オフの仲田幸司(前阪神)、2011年オフのサブロー(前巨人。シーズン中に当時の無能フロントが追い出していたものをサブロー様が畏れ多くも自ら出戻っていただいたものであり、厳密には古巣に復帰)、2013年オフの涌井秀章(前西武)のみ。かつては、所属選手でFA宣言した選手とは再契約をしない方針をとっていたが(例外は1998年オフの初芝清と堀幸一)、2017年オフの涌井以降は再契約を認めるようになっている。2018年オフに丸佳浩(前広島)がFA宣言した際には、地元・千葉県出身ということもあり獲得に動いた[4](丸は最終的に巨人に移籍)。
応援以外では地味な印象があるが、これは打線の非力さによるところが大きい。とりわけ2017年はキャプテンの鈴木大地が孤軍奮闘し3割を維持するも、鈴木以外の打者はほとんど1割という異常事態。低迷の要因とも言えるのが打撃コーチの堀幸一と山下徳人だが、5月の野球中継のベンチリポートで堀に話を聞くと「チーム全体でのミーティングはしない。それぞれで計画を立ててほしい」という耳を疑う発言をした。また、この年には不振にあえいでいたジミー・パラデスがウィリー・モー・ペーニャの助言を受けた途端息を吹き返したが、堀の指導でまた冷温停止したこともある。現役時代こそ長く中心選手として活躍した堀だが、このエピソードに代表されるように指導者としてはひどく無能であるとの烙印を押されており、ファンの視線も非常に厳しい。もっとも、これは現場の責任だけではない。この打線の丁重ぶりを踏まえて球団が新外国人補強に着手した際、伊東はじめ、現場は大砲の補強を希望していたが、5月下旬に獲得したのは走り打ちが武器のロエル・サントスだった[5]。6月に入ってようやく日本球界での実績があるペーニャを獲得したが、遅きに失した。
- 2018年以降の記録
- 2018年 - 5位(監督:井口資仁)
- 井口は引退直後の新監督就任。リーグ全球団に負け越し。
- 2019年 - 4位 (監督:井口資仁)
- シーズン終了後、ドラフトで佐々木郎希を競合の末獲得。
- 2020年 - 2位(監督:井口資仁、クライマックスシリーズファイナルステージ敗退)
- 2021年 - 2位(監督:井口資仁、クライマックスシリーズファイナルステージ敗退)
- 2022年 - 5位(監督:井口資仁)
- シーズン終了後、井口監督は辞意を表明した。
- 2023年 - (監督:吉井理人)
キーワード[編集]
ゴールデンイヤー[編集]
21世紀に入ってからの千葉ロッテは、2005年と2010年の2回、下位からポストシーズンを勝ち上がり最終的に日本一に輝いたことで、西暦年下一桁が0ないしは5の年に、5年周期で日本一になるというジンクスが生まれた。これは「ゴールデンイヤー」と称されており、里崎智也が2014年9月に自身の引退セレモニーにおいて「来年(2015年)は21世紀に入ってロッテが最も輝く、5年に1度のゴールデンイヤーの周期が来る」と発言して以降ファンの間で定着した[6]。そのため、「ゴールデンイヤー」の命名者は里崎とされている[6]。
また20世紀においても、初優勝となった1950年を含めて西暦年下一桁が0か5の年に度々Aクラス入りを果たしており[注 3]、これも5年周期説を裏付けているとの見方もある[7]。
ただし、所属選手やコーチの中にこのジンクスを気にしている者は2015年当時1人もおらず[8]、中でも荻野貴司は「5年周期説は聞いたことがあるが、気にしたことはない。大体、5年に1回の優勝じゃダメ。我々は毎年優勝を目指している」[7]、井口資仁は「ゴールデンイヤーと言われるが、それではいけない。本当は5年に1度では恥ずかしいこと」とまで言い切っているため[9]、あくまで見る側だけが頼るジンクスとされる[8]。
プロ野球首都圏5球団合同企画[編集]
2015年から千葉ロッテマリーンズ・埼玉西武ライオンズ・読売ジャイアンツ・東京ヤクルトスワローズ・横浜DeNAベイスターズとの合同でキャッチボールを通じて遊べる空間づくりを推進する『公園キャッチボールプロジェクト』と女性向けに特化した『野球女子“倍増”プロジェクト』を相次いで立ち上げ、『公園キャッチボール』では首都圏の公園に野球道具を寄贈し公園側で貸し出しの実施や育成部(マリーンズベースボールアカデミーのコーチが担当し、千葉県内の公園で実施)による親子キャッチボール教室を行っている。『野球女子“倍増”』ではフリーペーパー「野球女子ノススメ」の発行や2019年までにファンクラブの女性会員数を7万人(TEAM26有料会員・無料会員問わず5球団合計で35万人)にすることを目標に掲げ女性向けのイベントを実施する。
弁当に関するジンクス[編集]
弁当を作るとよくないことが起きるとされる。
詳細は「弁当の呪い」を参照
関連項目[編集]
- 東京スタジアム (野球場):「ジプシーロッテ」以前の本拠地。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 井上章一 2001, p. 164。ここでは1958年に『週刊サンケイ』に載った中澤不二雄の意見と、1959年の『週刊読売』の記事が紹介されている。
- ↑ 井上章一 2001, p. 163および永井良和 &橋爪紳也 2003, p. 155。
- ↑ 井上章一 2001, p. 166および永井良和&橋爪紳也 2003, p. 155。
- ↑ “ロッテ、丸に6年25億超!3つの期待で必要性訴え”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2018年11月23日) 2018年12月27日閲覧。
- ↑ “激弱”ロッテ、フロントVS伊東監督ついに表面化!大砲めぐってストーブリーグ前哨戦勃発
- ↑ a b “CS決めた!ロッテ、5年周期「ゴールデンイヤー」で下克上日本一だ(3/3ページ)”. サンケイスポーツ. (2015年10月5日) 2016年6月4日閲覧。
- ↑ a b “今年も健在!?ロッテ「5年周期説」に選手たちの反応は?(3/4ページ)”. Sportiva. (2015年9月9日) 2016年6月4日閲覧。
- ↑ a b “今年も健在!?ロッテ「5年周期説」に選手たちの反応は?(4/4ページ)”. Sportiva. (2015年9月9日) 2016年6月4日閲覧。
- ↑ “ロッテ井口1月ぶり決勝6号 CSへ1差離れん”. 日刊スポーツ. (2015年9月23日) 2016年6月4日閲覧。