埼玉西武ライオンズ
所属連盟 | パ・リーグ |
---|---|
運営会社 | 株式会社西武ライオンズ |
オーナー | 後藤高志 |
監督 | 松井稼頭央 |
リーグ優勝回数 | 22回 |
日本シリーズ優勝回数 | 13回 |
埼玉西武ライオンズ (さいたませいぶライオンズ) とはパシフィックリーグに所属する日本のプロ野球チーム。
埼玉県をフランチャイズとし、所沢市にある西武ドーム (メットライフドーム) を一軍の本拠地としている。
プロフィール[編集]
- 会社名 - 株式会社西武ライオンズ
- 球団名 - 埼玉西武ライオンズ
- 親会社 - 西武鉄道(2008年までは国土計画→コクド→プリンスホテル)
- 創設年度 - 1950年
- オーナー - 後藤高志
- 球団歌 - 地平を駈ける獅子を見た
- リーグ優勝 - 23回(直近:2019年)
- 日本一 - 13回
- マスコットキャラクター - レオ、ライナ
日本一13回達成等、ソフトバンクと並んで強豪球団である。
概要[編集]
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球団名[編集]
地域密着を目的とし、2008年に現在の 「埼玉西武ライオンズ」 の球団名になった。以前は 「西武ライオンズ」 を所沢移転の1979年から名乗っていた。だたしラッキー7で流される応援歌 「吠えろライオンズ」 では、今も歌詞が 「西武ライオンズ」 のままである[注 1]。
1978年以前の球団名変遷[編集]
- 1936年 - 1941年:名古屋金鯱軍
- 1941年 - 1943年:大洋軍
- 1943年:西鉄軍
(中絶)
- 1950年:西鉄クリッパーズ、西日本パイレーツ
- 1951年 - 1972年:西鉄ライオンズ
- 1973年 - 1976年:太平洋クラブライオンズ (運営会社:福岡野球株式会社)
- 1977年 - 1978年:クラウンライターライオンズ (同上)
チームの特徴[編集]
- 2008年のオーナー会議で 「西武鉄道株式会社」 への経営権の異動が認められ、2009年からは西武鉄道が直接の親会社になると共に、鉄道沿線や埼玉県全域との地域密着を強めている。また、親会社変更前は消極的だった大宮での公式戦を毎年実施している。
- 宣伝広告やチケットなど長らく自軍は「ライオンズ」、相手は企業名で表記するケース(例:「ライオンズ対ロッテ」)が多かった。
- 西武鉄道の駅においては、試合のスコア速報を掲示板にて示している。かつては上記のように自軍表記は「ライオンズ」、相手は企業名であったが、近年は球団ロゴを使用する形となっている。
- 西武鉄道の車内中吊りや駅では勝利試合や入団会見などの写真(基本的に白黒写真)を「ライオンズニュース」の名で掲示していた。特に勝利した試合の写真は、翌日には車内に掲示されるようになっていた。
- 北海道日本ハムファイターズが2004年から札幌ドームに本拠地を移転してからは、それまで日本ハムが本拠地としていた東京ドームで日本ハム以外のパ・リーグのチームも公式戦で主催ゲームを開催することが増えたが、2017年まで西武は唯一主催ゲームが開催されたことがなかった。ただし、2008年のアジアシリーズでは本拠地扱いでアジア各国の代表球団との対戦経験がある。2018年には東京ドームで初めて主催ゲームを開催する。
- 所沢移転前は後述のように経営難で、エアコン完備の西武球場のベンチに入った選手は異様に驚いたという。
- 球団名が 「西武ライオンズ」 になった1978年以降、2005年まで実際の親会社は西武グループのデベロッパーである 「株式会社コクド(旧・国土計画)」 だった。 「西武」 は 「西武グループ」 の意味合いが強く、長野オリンピックスタジアムやコクドの肝いりで建設した札幌ドームなど埼玉県外の試合に力を入れていた[注 2]。しかし2004年に発覚した、西武鉄道グループの証券取引法違反事件によりコクドは解散。以降、2006年から2008年まではコクドを吸収した 「株式会社プリンスホテル」 が直接の親会社になっていた。
- 2003年までのホーム用で使用されていたユニフォームによる白地に緑・青・赤のストライプを配した塗装は「ライオンズカラー」と呼ばれ、ユニフォームの変わった現在でも西武4000系電車・西武8500系電車や西武グループに所属する西武バス・伊豆箱根鉄道・近江鉄道のバスなど様々な場所で使用されている。このユニフォームは2009年の「ライオンズ・クラシック2009」企画で再び着用された。
年度別成績[編集]
1982年に西武として初のリーグ優勝及び日本一を達成して以来、2006年まで日本プロ野球新記録となる25年連続Aクラス入りを達成した。それ以前、西武として3年目だった1981年までBクラスで、根本・広岡・森監督期に大型トレードを敢行し、黄金時代を作り上げた。
2017年は、球団OBで中日コーチだった辻発彦が新監督に就任。夏に13連勝を記録[1]、最終成績は2位だったが、クライマックスシリーズで楽天に敗れ、日本シリーズ出場とはならなかった。
2018年は、27年ぶりに開幕8連勝を記録[2]。また、本拠地・西武ドームでも開幕12連勝を記録した[3]。その後9月17日には10年ぶりパ・リーグ優勝にむけマジック11が点灯。そして9月30日、日本ハムとの試合では1対4で負けたものの、マジック対象のソフトバンクがロッテに1対9で敗れたため、10年ぶり22回目のパ・リーグ優勝が決定した[4]。ただしクライマックスシリーズではソフトバンクに (アドバンテージを含め) 2勝4敗で敗退[5]。シーズン終了をもって松井稼頭央・藤原良平・坂田遼・福倉健太郎が現役を引退。また菊池雄星がシアトル・マリナーズに、浅村栄斗がFA権行使で東北楽天ゴールデンイーグルスに、炭谷銀仁朗が同じくFA権行使で読売ジャイアンツに移籍。また、炭谷のFA移籍による人的補償で内海哲也が巨人から移籍してくることになった。
- 2019年以降の記録
- 2019年 - リーグ優勝 (監督:辻発彦、クライマックスシリーズファイナルステージ敗退)
- 2020年 - 4位(監督:辻発彦)
- 2021年 - 6位(監督:辻発彦)
- 2022年 - 3位(監督:辻発彦、クライマックスシリーズ1stステージ敗退)
- ポストシーズン終了後、辻監督は辞意を表明した。
- 2023年 - (監督:松井稼頭央)
節目の年での成績[編集]
1988年以降、本拠地が所沢に移転してからの節目の年には必ずリーグ優勝している。
年 | 結果 |
---|---|
1988年 (10周年) |
リーグ優勝、日本一 |
1998年 (20周年) |
リーグ優勝 (日本シリーズでは敗退) |
2008年 (30周年) |
リーグ優勝、日本一 |
2018年 (40周年) |
リーグ優勝 (CSファイナルステージ敗退) |
日本シリーズの成績[編集]
日本シリーズでは、1998年に横浜と対戦して以降、唯一セ・リーグ6球団すべてと対戦経験がある球団であった。しかし2018年にソフトバンクが日本シリーズに出場して広島東洋カープと対戦したこよにより、現在パ・リーグでは西武とソフトバンクの2球団が、セ・リーグ全球団との対戦経験がある。
- 対戦記録
球団 | 対戦年 (対戦回数) (太字は西武が優勝した年) |
シリーズ戦績 (カッコ内は試合の勝敗数) |
---|---|---|
巨人 | 1956・1957・1958・1963 1983・1987・1990・1994 2002・2008 |
10回中7勝3敗 (58試合中32勝25敗1分) |
ヤクルト | 1992・1993・1997 | 3回中1勝2敗 (18試合中7勝11敗) |
横浜 | 1998 | 1回中0勝1敗 (6試合中2勝4敗) |
中日 | 1954・1982・1988・2004 | 4回中3勝1敗 (25試合中15勝10敗) |
阪神 | 1985 | 1回中0勝1敗 (6試合中2勝4敗) |
広島 | 1986・1991 | 2回中2勝0敗 (15試合中8勝6敗1分) |
- 合計 21回中13勝8敗 (128試合中66勝60敗2分)
福岡本拠地時代の特徴[編集]
- 西鉄黄金期の三原時代はトレードに消極的で(ただし、広島に移籍した大和田明や近鉄に移籍した大津守のように、このままチームにいても出場機会に恵まれないと思われる選手を他球団に移籍させることはあった)、後年の西武黄金期と対照的な手法である。
- 戦時中の1943年に職業野球に参加していた西鉄軍は、親会社こそ同一企業(西鉄)だがチームとして直接の繋がりはなく、西鉄クリッパースは戦後一から作り直した球団である。
- 西日本パイレーツの吸収合併に伴い1951年より採用した「ライオンズ」はライオン(獅子)から取ったもので、やはり公募による。西鉄時代から変わることなくニックネームとして定着している。ちなみに西日本パイレーツと合併した時には「ターザン」が流行していたため、愛称の最終選考には「ターザンズ」も残っていたという。
- 西鉄が球団を手放した後、ロッテのオーナーだった中村長芳が受け皿会社「福岡野球株式会社」を創設し、スポンサー(太平洋クラブ、クラウンライター)を募って球団運営を行った。
- 1953年には中西太が平和台野球場のセンターバックスクリーンを越える、推定160メートルとされる大ホームランを放った。この他にも中西は多くの逸話を残しており、「野武士軍団」西鉄ライオンズの看板選手たる人物だった。
- 西鉄全盛期というと「宿舎での女湯のぞきは当たり前、無断で他の選手のビールをスポーツ新聞の記者におごったり、博多どんたくの前日に仮装行列で繁華街を練り歩いたり……」といった数々の武勇伝が語り継がれているが、選手同士の仲は良いというよりも逆に悪すぎる(言い換えれば、馴れ合いが決してない)ほどで、たとえレギュラーであっても細かいミスを犯した選手に対しては容赦なく味方ベンチから罵声が飛んだ、大事な試合でエラーを犯した高倉照幸が、試合後全選手の前で土下座した(次の試合で高倉は名誉挽回の活躍をする)、全く試合に起用されない選手が、冴えないプレーをしたレギュラー陣に「俺の代わりに試合に出ていることを解っているのか」と説教したなど、エピソードには事欠かない。豊田泰光は「三原のオヤジの采配もさることながら、この雰囲気があったからこそ、3年連続日本一を達成できた」と述懐している。
- 黒い霧事件が発生する前の1968年から西武身売りまでの11年間でAクラスに入ったのは太平洋時代における1975年の1回(3位)しかなかったほど成績も低迷し、経営も追い詰められていた[注 3]。特に太平洋からクラウン時代は練習用のボールが足りず、相手チームの打撃練習中にスタンドや球場外に飛んだファールボールを拾ってきては返却せず、汚れを消しゴムで消して使い回すという有様だった。1976年に巨人から太平洋に移籍してきた関本四十四は当時を振り返り「若手選手の使っているバスタオルが余りにボロボロなので、自分の持っているタオルをあげると皆喜んでいた」と述懐している。
脚注[編集]
- 注
- ↑ 似たような事例は横浜DeNAベイスターズでもある。ベイスターズが得点を決めた際、応援団により球団歌 「熱き星たちよ」 が演奏されるが、このときの歌詞は現在でも 「横浜ベイスターズ」 である。ただし、球団が製作した 「熱き星たちよ」 は2012年以降 「横浜ベイスターズ」 の部分が 「DeNAベイスターズ」 に直されている。
- ↑ もっとも、日本ハムとビジターで対戦することで、北海道での試合数は過去より増えている。
- ↑ 経営悪化の要因として、岸信介の政策秘書出身の中村長芳オーナー(当時)が福岡市との関係構築に冷淡で、そのために平和台球場使用料が7倍近くに引き上げられたことが挙げられる。なお、福岡市は球団事務所を平和台球場に置かせないなど、嫌がらせはエスカレートしたが、これに対して地元は対抗策を持っているわけでは無かった。
- 出典
- ↑ “西武止まらない13連勝 58年西鉄以来59年ぶり”. 日刊スポーツ. (2018年8月5日)
- ↑ “西武開幕連勝が「8」で止まり64年ぶり記録ならずも辻監督が笑顔だった理由”. THE PAGE. (2018年4月11日)
- ↑ “球団新記録ずくめ!西武、開幕本拠地12連勝&栗山309二塁打&4月終了時貯金「14」”. サンケイスポーツ. (2018年5月1日)
- ↑ “西武、10年ぶりリーグ制覇 辻監督、就任2年目で頂点”. 中日新聞. (2018年9月30日) 2018年9月30日閲覧。
- ↑ “ソフトバンクが日本シリーズ進出 2年連続18度目の出場”. 中日新聞. (2018年10月21日) 2018年9月30日閲覧。
関連項目[編集]
- プロ野球
- 文化放送 - 平日に「ライオンズナイター」を放送。
- NACK5 - 土休日にライオンズホームゲームを中継。
- テレ玉 - 「ライオンズ・アワー」を放送。かつては西武系会社のあるびわ湖放送へもネット。