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赤星憲広

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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Baseball Pitcher.jpg 赤星憲広 Baseball Batter.jpg
基本情報
国籍 日本国旗.png日本
出身地 愛知県刈谷市
生年月日 1976年4月10日(48歳)
身長
体重
170 cm
66 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 中堅手
プロ入り 2000年 ドラフト4位
初出場 2001年3月30日
最終出場 2009年9月12日
Wikipedia-logo.png 赤星憲広
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

赤星 憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日 - )とは阪神タイガースに所属していた愛知県刈谷市出身の元プロ野球選手である。

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

小学生の頃、地元の少年野球のコーチをしていた父親が自分がコーチをしている間はチームに入れないという方針に反発してサッカーを始める。サッカーでも県代表に選ばれるなど才能の片鱗を見せたが、その後父親がコーチを辞めたため野球も始めた。野球とサッカーの掛け持ち状態は小5まで続けたが野球チームのキャプテンに選ばれた小6の時サッカーを辞めることとなった。
中学では野球部に入り三塁のレギュラーとなった。高校受験の際複数の野球強豪校から誘いを受けるが断り、県立の大府高校に進学する[注 1]。入学後監督が赤星の脚力に着目し、「左で打つならならすぐにベンチに入れる」と言われ左打者に転向。内野安打や盗塁を持ち味とする赤星のプレイスタイルが生まれるきっかけとなった。
その後1993年、1994年の選抜甲子園に出場し、プロのスカウトにも注目されたが、あるスカウトに「進学して体作りをしたほうが良い」と勧められ、またプロで活躍できるか不安に思っていたこともあり亜細亜大学に進学する。大学野球の強豪である亜大での練習は厳しかったがその練習の甲斐あって東都大学野球リーグでは首位打者に輝いた。
卒業後は社会人野球のJR東日本に入団する。JR東日本での一年目にシドニーオリンピック日本代表に選ばれ、代表キャンプで阪神タイガース監督の野村克也に才能を認められたことが念願のプロ入りのきっかけとなった。

プロ時代[編集]

2000年のドラフトで阪神タイガースに4位指名され入団する。背番号は53。小柄で非力なタイプだということが不安視されて代走要員程度の活躍がせいぜいと見られていたが、前年まで中堅手レギュラーの新庄剛志がメジャーリーグに移籍したことが話題となる中、「新庄さんの穴は僕が埋めます」と入団会見で宣言したことでファンの注目を集める。ファンの期待の中プロ一年目から盗塁王を獲得し、新人王にも選ばれて見事期待に応えた。
その後2006年まで5年連続盗塁王に輝き、2003年と2005年のチームの優勝に貢献。しかし活躍の中で赤星の全力プレーの表れであったスライディングキャッチやヘッドスライディングは確実に赤星の体にダメージを与えていった。
2009年9月12日の横浜戦でダイビングキャッチを試みた際、それまでも度々痛めていた頸部を損傷。これが最後の出場となった。 離脱直後は復帰を目指してリハビリをしていたが、医師から「中心性脊髄損傷」と診断され命に関わる状態であることがわかる。12月2日、この年限りでの引退を発表した。

現役引退後[編集]

現役引退後は野球評論家やタレントとして活躍。コーチ復帰はしていない。2022年にタレントの徳原絵里と結婚した。

プレイスタイル[編集]

一塁へのヘッドスライディングや守備のダイビングキャッチが特徴的。しかし同じ俊足タイプで「世界の盗塁王」と呼ばれた元阪急福本豊に怪我の危険性を指摘されており、怪我が原因で引退という彼の懸念は現実のものとなってしまった。盗塁技術の高さは他に類を見ず5度に渡って盗塁王を獲得している。また、彼のような俊足巧打タイプの選手では珍しく選球眼も優れており、高い出塁率が特徴である。盗塁技術と出塁率の高さから数字以上に存在感がある1番打者と評する関係者も多い。

人柄[編集]

現役時代から盗塁数と同じ数の車イスを贈る活動を続けている。このことは2011年にACジャパンのテレビCMで取り上げられ、東日本大震災による通常のCM自粛時に流れたため知る人も多いだろう。

その一方で激昂しやすい一面もあり、チームメイトに「チャッカマン」のあだ名で呼ばれたこともある。

通算成績[編集]

年数 出場試合数 通算打率 通算打数 安打数 本塁打数 打点数 得点数 三振数 盗塁数 四球数 死球数
9年 1127 .295 4964 1276 3 215 198 664 381 426 62

[1]

その他の記録

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. 元巨人投手の槙原寛己の出身校。尾張地域の公立高だが赤星の住む刈谷市から隣接特例で進学できた。
出典