和田豊
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県松戸市 |
生年月日 | 1962年9月2日(62歳) |
身長 体重 | 174 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、遊撃手、三塁手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト3位 |
初出場 | 1985年7月11日 |
最終出場 | 2001年10月1日(引退試合) |
和田豊 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
和田 豊 (わだ ゆたか、1962年9月2日 - ) は千葉県松戸市出身の元プロ野球選手・プロ野球監督、現在は阪神タイガースの二軍監督。
経歴[編集]
1984年にドラフト3位指名により阪神に入団、背番号は6。ポジションは二塁手・遊撃手・三塁手。
主な打順は1、2番打者。芸術的な流し打ちや犠打等の小技、安定した守備を誇り、1990年代のタイガース暗黒時代を選手会長としてチームを引っ張った。
2000年6月7日の巨人11回戦(東京ドーム)で、前年までのチームメイトでもあるダレル・メイ投手と対戦した際、打席に入っていた和田がタイムを要求し打席を外したところ、この行為があからさまな遅延行為だと憤慨したメイに頭部へボールをぶつけられそうになった。幸い和田には当たらず野村監督の抗議もなかったため、試合はそのまま続行されたが、メイが故意に和田を狙って投げたことが試合後に分かり、メイは出場停止処分となった。なお、和田はこの打席で二塁打を打ち、乱闘を呼ぶことなく報復を果たした。メイに対しては、後日、和田の方から歩み寄り和解の握手をしたという。なお、スポーツ報知ではメイも謝罪していることになっている。
2000年のオフにトラトラタイガース(関西ローカル)出演の際、上記のメイの件ともうひとつ、8月9日のヤクルト15回戦(神宮)で相手の先発が左の山部太ということもあって2番セカンドで先発出場して6打数5安打と活躍しチームの勝利に貢献したが、翌日先発が右の川崎憲次郎ということもあったが、前日の活躍を無視してのスタメン落ちに非常に悔しかったと番組で告白した。
2001年10月1日をもって現役を引退。この日は、同じ千葉県出身の巨人・長嶋茂雄監督にとっても最後の試合となった。これにより1985年の日本一を知る選手は全員現役を引退した。
これ以降はコーチに就任する。2005年~2007年まで阪神コーチとして同僚だった正田耕三は、学年は異なるものの和田と同じ1962年生まれであり、ロス五輪に共に二塁手として出場し、その翌年に同時にプロ入りした。また、プロ入り後の守備位置も同じである時期(1992年~1998年)が長く、両者の打順は大部分が共に1番あるいは2番であった。2007年には神戸クリニックにて視力矯正手術を受け、右:0.15 左:0.3 だった視力が両眼ともに1.5にまで回復している。
2010年7月のヤクルト戦で、平野恵一のヘッドスライディングに対しアウトが宣告された。その際、平野が地面にヘルメットを投げつけ退場処分となったが、それを訴えた和田も暴力行為で退場処分となった。
2012年シーズンより、真弓明信監督の後を継ぎ、第29代監督に就任。阪神生え抜きで、選手として他球団所属経験のない監督は吉田義男以来[1]。自分がレギュラーを獲得してから現役時代の優勝経験はない。また、1990年代は阪神タイガース暗黒時代で勝ちたくても勝てない日々が苦しかったと語っている。そのため、阪神をまずリーグ優勝に導くのが監督としての大きな夢と語っていた。
2013年シーズンはメジャー帰りの西岡剛と福留孝介を獲得。能見篤史、大物ルーキーの藤浪晋太郎ら投手陣の好調さもあり5月始めには巨人を3タテし首位になるなど前半戦は巨人と互角の首位争いを演じたがオールスター明けから徐々に失速。最終的には2位に食い込むものの巨人に10ゲーム以上の大差をつけられた。甲子園での広島とのクライマックスシリーズでは2連敗し敗退した。なお、シーズン途中にものまねタレントの星奈々と不倫関係にあったことが発覚してワイドショーを賑わせた。
2014年にはリーグ2位からクライマックスシリーズを制覇した。ただし日本シリーズではソフトバンクに1勝4敗で敗退。
2015年に一軍監督を退任。その後はオーナー付シニアアドバイザー、本部付テクニカルアドバイザーを経て、2023年(令和5年)より二軍監督を務める。阪神では初の一軍監督経験者の二軍監督就任となった。
略歴[編集]
プロ時代の戦歴[編集]
通算成績[編集]
- 1713試合 打率.291(5972打数1739安打)29本塁打 403打点 93盗塁
主な記録[編集]
脚注[編集]
- ↑ 岡田彰布はオリックス・ブルーウェーブへの移籍経験があり、真弓明信は太平洋クラブライオンズから阪神に移籍している。また、野村克也・星野仙一は現役時代において阪神での所属歴はない。