稗貫郡
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稗貫郡(ひえぬきぐん)とは、弘仁2年(811年)から平成17年(2005年)12月31日まで日本の陸奥・陸中国に存在した郡である。現在の岩手県南部、花巻市のあたりに存在した。
概要[編集]
この郡は平安時代初期の弘仁2年(811年)に設置された。『日本書紀』によると和賀郡(和我郡)、斯波郡(紫波郡)と共に設置されたとされており、当時は稗縫と書かれていたようである。この郡は現在の花巻市を中心とするエリアにあり、明治時代の郡区町村編成法の施行により、郡役所は里川口村に置かれている。明治22年(1889年)以降、花巻川口町と称する花巻町とは連続した市街地であったにも関わらず、別の地方自治体として扱われた。繁華街として一時期は繁栄したが、昭和4年(1929年)に花巻町の一部となる。
昭和29年(1954年)、昭和の大合併により花巻は市となり、この際に花巻町・湯口村・湯本村ほか3村などが合併して誕生した。湯のつく2村は花巻の西側の山間にあたり、細面の電車が道路の端をゆっくり走る独特な姿でファンに人気のあった花巻電鉄鉛線が走っていたのが湯口村、もうひとつの花巻温泉線の終点である花巻温泉の所在地が湯本村であった。
昭和30年(1955年)に石鳥谷町と大迫町がそれぞれ隣接した3村を合併して、同じ町名を存続させた。これにより稗貫郡内の8町村が2町のみとなった。
平成18年(2006年)、平成の大合併により、石鳥谷町と大迫町は和賀郡の東和町と共に花巻市に合併となり消滅し、これにより稗貫郡は完全に消滅することになった。
現在はかつての郡内に流れる稗貫川がその名を残しているのみである。