甲府市
甲府市(こうふし)は、山梨県の中央部に位置する同県の県庁所在地である。山梨県の政治・経済の中心地であり、甲斐国の守護大名であった武田氏の本拠地として歴史的な建築物も多く存在する。なお、甲府駅前には有名な武田信玄像も存在する。
概要[編集]
甲府市街は甲府盆地の中央部に位置し、中心部の高度は361メートル、気温の年隔差は24度、年の降水量は900ミリから1300ミリであり、夏は蒸し暑く冬は厳寒の内陸盆地機構の代表的な土地である。市域の東部は甲州葡萄の名で知られる山梨県内第2の葡萄栽培地で、葡萄酒醸造工場もあり、ワインも甲府市の特産品となっている。
また武田信玄など歴史に恵まれていることから観光資源が豊富であり、湯村や積翠寺の温泉や自然美の昇仙峡、武田家にちなむ古社寺などがある。甲府市街は富士・昇仙峡・湯村方面へのバスルートの要地になっている。
中央本線で新宿駅から約125km(特急約1時間30分)、中央自動車道で高井戸ICまで約110kmなど、東京との間では北関東の各県庁所在地と似た距離感に位置する。
そのため東の関東地方への志向性が強い。南の静岡県方面へも身延線が通じているが、静岡駅から甲府への距離が新宿駅から甲府への距離とさほど違わないにも関わらず、特急でも2時間15分を超して、中央本線ほど高速ではないので、関東方面ほど志向は強くない。
武田信玄を礎とする街[編集]
甲府市は「武田信玄」というひとりの英雄が現在まで色濃く息づいている街である[1]。(山梨県内では武田信玄公と呼ばれ現在でも親しまれている。)甲府駅を出た正面右手にその像があるのは勿論、甲斐を長年悩ませてきた釜無川の氾濫を懸命な治水対策で治めたことでも知られている[1]。
また、信玄は領国経営発展のために商工業者の奨励にも努めており、金山開発の副産物としての水晶加工は宝石・研磨業として現在まで受け継がれ、平成28年(2016年)時点では日本全国のジュエリー出荷額の約3割が甲府産[2]であり、公立のジュエリー専門学校も置かれている。
人口・面積[編集]
政治[編集]
2013年の区割り変更により、現在の山梨県第1区は、甲府市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、中央市、西八代郡、南巨摩郡、中巨摩郡をその区域とする。
歴史[編集]
明治以前[編集]
甲府市が都市としての機能を持ち出したのは、永正16年(1519年)に当時の守護である武田信虎が居城を石和から躑躅ヶ崎に移して居館を置いたことから始まる。城下町は上府中(古府中)と呼ばれ、このことから甲斐の「甲」と「府」をとって甲府と呼ばれるようになった。府とは「都」を意味[注 1]し、その名の通り「甲斐の都」として甲府は京都を模したように城下町が建設されていったという。しかし甲斐武田氏は武田信玄の死後、跡を継いだ4男・勝頼の時代に長篠の戦いで織田信長・徳川家康連合軍に大敗してから急速に衰退し、天正10年(1582年)3月の両雄による武田征伐で滅亡する。甲府は信長の家臣・河尻秀隆に与えられて居城は下府中(新府中)に移されて甲府城の築城も始まったが、わずか3か月後の本能寺の変で信長が死去すると、秀隆も武田家旧臣による反乱によって殺害され、甲府は徳川家康の所領となった。一時的に豊臣秀吉の家臣・加藤光泰や秀吉の養子である豊臣秀勝、秀吉の縁戚である浅野長政・幸長父子の支配下に入ったが、江戸時代になると再度、徳川家康の所領となった。
家康は江戸城を居城としたが、この江戸の防衛のために甲府は重要視され、譜代大名である柳沢吉保・吉里父子を除いては全て徳川氏の近親者の属領か本拠として支配下に置かれるか、あるいは天領として幕府直属の甲府勤番が置かれることになった。また甲州街道の整備により、同地は宿駅や周辺農村の商業の中心地として繁栄した。町の数は江戸時代前期に古府中26町、新府中23町と定まって以来、変化は無かったが、戸口は新府中に集中する[1]。また、商業街は新府中のうちの柳、八日、三日、竪近習、上連雀、下連雀、魚の各町が繁華で、職人町として古府中に新紺屋、細工、大工、畳の4町が、新府中に工、鍛冶、桶屋の3町があった。江戸時代中期になると煙草、木綿、紙、茶など周辺の農村の特産物の取引も盛んになるが、幕末に至って日本が開国すると生糸の生産が目立つようになった[1]。
明治以降[編集]
明治時代に入ると、中部養蚕地域の中心地のひとつとして甲州生糸生産地の名を高めた。また山梨水晶として知られる研磨工業は天保年間から始まる古い歴史を持ち、現在も市の代表的な工業となっている。
政治的に見ると、明治時代に甲府城の追手門前御役所跡に山梨県庁が設置され、城の南に隣接する旧武家屋敷跡に官公庁や師範学校などの学校が設置された[2]。
明治22年(1889年)7月に市制を施行して甲府市が誕生する。この時の人口は3万1000人であったと言われている[2]。明治36年(1903年)にJR中央線甲府駅が開業し、明治42年(1909年)には歩兵49連隊が設置されたため、甲府市街は西部から北西部へ繁栄を移すようになった[2]。大正14年(1925年)には山梨大学工学部の前身の旧制山梨高等工業学校が開校した。
昭和12年(1937年)に相川村・里垣村・中巨摩郡国母村・貢川村の4村を編入した。昭和17年(1942年)に西山梨郡千塚村・大宮村の2村を編入する。しかし太平洋戦争で日本の敗色が色濃くなると、米軍による空襲を受けるようになり、そのため甲府市の7割が焼失することになった[2]。
戦後の昭和24年(1949年)に中巨摩郡池田村と西山梨郡の住吉村の一部を編入する。昭和29年(1954年)10月に西山梨郡甲運村・能泉村・千代田村・山城村・住吉村・朝井村・玉諸村・中巨摩郡大鎌田村・二川村・宮本村の10村を編入した。
平成の大合併においては広域合併に消極的で、周辺で甲斐市、笛吹市、南アルプス市、中央市などが誕生。わずかに平成18年(2006年)3月1日、東八代郡中道町および西八代郡上九一色村の北部(大字古関・梯)を編入した。
産業[編集]
農業[編集]
太平洋戦争後、甲府の農村部では養蚕から果樹栽培に切り替えが行なわれたため、その結果として甲府市は果樹王国として生まれ変わった。JR中央本線からは山麓の美しい葡萄畑が眺望でき、中央高速道路沿いは春になると南部の扇状地一帯が桃畑のピンクに染まっている[2]。
甲府市の特産品[編集]
報道・マスコミ[編集]
県内には、NNN系列のYBSとJNN系列のUTYしか系列所属民放TV局が無いため、系列局を持たないテレビ朝日(ANN系列)がテレビ朝日甲府支局、フジテレビ(FNN/FNS系列)がフジテレビ甲府支局を山梨県の報道取材のためにそれぞれ甲府市内に置いている。
甲府市南部、中央市、笛吹市等で受信可能なFMラジオ局[編集]
- FM-FUJI (独立FM局)
- 川崎FM (コミュニティFM局)
- FM長野 (JapanFMNetwork系)
- TOKYOFM (JapanFmNetwork系)
- J-WAVE(JAPAN FM LEAGUE系)
- bayfm (独立FM局)
- NACK5 (独立FM局)
※NACK5は受信できる場所にばらつきがある ※車のラジオなどで受信できる程度。 ※interfmだが甲府市近隣では、FM甲府(76.3MHz)があるため混信する場合がある。
交通[編集]
県外との航空交通[編集]
山梨県内には空港がないので、現状では甲府市との往来に定期航空便を利用する場合は近隣都県にある空港を利用する。甲府駅から公共交通機関を用いた場合、空港連絡バスが直通する羽田空港と成田空港、直通する交通機関こそないものの鉄道から空港連絡バスの1回の乗り継ぎで行くことが出来る信州まつもと空港や富士山静岡空港を利用することになる。東京都にある米軍横田飛行場(東京都福生市他・甲府駅との直線距離約71km)の軍民共用化が現在検討されており、実現すれば、甲府市から最も近い公共用飛行場となる。
空港名 | 所在地 | 直線距離 | 所要時間 |
---|---|---|---|
信州まつもと空港[注 2] | 長野県松本市、塩尻市 | 約80km | あずさ+路線バスで約1時間半 |
羽田空港 | 東京都大田区 | 約110km | あずさ+山手線+京急で約2時間30分 リムジンバスで約3時間 |
成田空港 | 千葉県成田市 | 約165km | あずさ+成田エクスプレスで約3時間 リムジンバスで約3時間40分 |
富士山静岡空港 | 静岡県牧之原市 | 約110km | 新静岡駅で高速バスを乗り継ぎ。 |
市内交通[編集]
1961年の山梨交通電車線廃止以降、山梨交通の路線バスが市内交通を担っている。
出身有名人[編集]
- 松村弾正左衛門(上小川原村出身。『甲斐国志』の編纂者)
- 村岡花子(翻訳者、児童文学者。NHKドラマ(2014年4月-9月放送)「花子とアン」の主人公)
- 今村都南雄(行政学者)
- 宮田律(国際政治学者、現代イスラム研究)
- 古今亭寿輔(落語家)
- 堀内恒夫(元読売ジャイアンツ監督、元参議院議員)
- 宮沢由佳(参議院議員)
- 久慈照嘉(元プロ野球選手)
- 梶本隆夫(元プロ野球選手、元阪急ブレーブス監督、元解説者)
- 辻俊哉(元プロ野球選手)
- 寄特直人(サッカー選手)
- 桐畑和繁(サッカー選手)
- 中田英寿(元サッカー選手)
- 堀米勇輝(サッカー選手)
- 金丸義信(プロレスラー)
- 内藤香菜子(バレーボール選手/NECレッドロケッツ)
- 辻知恵(バレーボール選手/茂原アルカス)
- 富士櫻栄守(元関脇、元・中村親方)
- 富士錦猛光(元小結、元・高砂親方、プロレスラー一宮章一の父)
- 小栗克裕(作曲家)
- 武内直子(漫画家)
- 萩原英雄(版画家)
- 赤羽博(テレビディレクター、演出家)
- 宮沢和史(ミュージシャン、俳優宮沢氷魚の父)
- 柏原崇(俳優)
- 柏原収史(俳優)
- 藍沢美香(タレント)
- 田原俊彦(歌手)
- 砂田和俊(ミュージシャン)
- 銀河万丈(声優)
- 高森奈津美(声優)
- 中川久美(福島中央テレビアナウンサー)
- 保坂正紀(元テレビ朝日社員、アナウンサー)
- 小宮山重四郎(政治家)
- K.A.Z(ミュージシャン)
- 羽中田昌(サッカー指導者、東京23フットボールクラブ監督/エッセイスト)
- 長谷川順一(トリノパラリンピック選手)
- Qwai(ロックバンド(メンバー全員が甲府市出身))
- 奥山眞佐子(女優)
- 中村誠一 - マヤ文明考古学者。
- 岡村真美子(ピアニスト、気象予報士)
- 平野忠彦(俳優、オペラ歌手)
- 若尾真一郎(イラストレーター、東京工芸大学学長)
- 岩崎正吾(作家)
- 鈴ノ木ユウ(漫画家)
- 金子文六(元中央大学理事長、元全日本大学野球連盟会長)
- 望月たけし(俳人、新俳句人連盟副会長)
- 吉田紀子(脚本家)
甲府市の見どころ[編集]
祭事・催事[編集]
天津司舞は小瀬町に伝わる民俗芸能で、毎年4月第一日曜日に天津司差社から下鍛冶屋町まで御幸し、9体の人形を操り田楽舞を行うもので、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。また、黒平能三番は黒平町に伝わる民俗芸能で、県指定無形民俗文化財。信玄公祭りは、観光客誘致など県と市のPRを目的に戦後にはじめれた都市祭礼で、武田騎馬軍団を模した時代行列である「甲州軍団出陣」を主眼とする市の一大イベント。
甲府市の年中行事[編集]
- 大神宮節分会(2月3日)
- 厄除地蔵尊祭り(2月13日 - 2月14日。塩沢寺)
- 天津司舞(4月10日)
- 信玄公祭り(4月12日とその前後の土曜日・日曜日)
- 正之木祭り(5月2日 - 5月5日。稲積神社)
- 住吉神社の田植祭り(7月16日。住吉神社)
- 甲府恵比寿講まつり(11月21日・11月23日)
不祥事[編集]
2004年に下水道局の料金徴収担当者が2000年から2002年の3年にわたり新規登録者の登録を怠り、4億5千万円の下水道料金が未徴収であることが発覚した。この作業は担当者が1人で行なっており、担当部長も仕事をしていると思っていたなど管理の甘さが指摘された。職務怠慢の担当者は懲戒免職になったほか、宮島市長や担当部長などが減給などの懲戒処分を受けている。
2007年には観光開発課の担当主任が信玄公祭りなどの公金を着服し、借金返済にまわしていたことが発覚した。公金管理は主任が1人で担当していたため市職員の誰もが着服に気づかず、支払われていないことに疑問を持ったイベント業者の通報によりようやく気づくなど、前回同様管理面で問題が発生している。担当主任は懲戒免職および刑事告発となったほか、宮島市長をはじめとする管理責任者も懲戒処分を受けている。
これ以外にも医療費助成金の二重払いが発生するなど、管理面における不祥事が多発している。
参考文献[編集]
外部リンク[編集]
- 行政
- 観光
脚注[編集]
- 注
- 出典