皇居
皇居(こうきょ)は、天皇皇后両陛下の住まい(御所)や宮殿、宮内庁庁舎がある場所である。江戸時代は江戸幕府の中枢のある場所であり、「江戸城」と呼ばれた。
概要[編集]
江戸時代末期までは徳川将軍が「江戸城」を居城としていた。慶応4年7月17日(西暦1868年9月3日)7月17日、明治天皇は「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を発し、江戸を東京に、江戸城を東京城に改称した。明治元年10月13日(1868年11月26日)、明治天皇は江戸に行幸した[注 1]。その後、12月に一旦は京都に還幸した後、翌明治2年(1869年)3月28日に再び東京に移り、「東京城西ノ丸ヘ御駐簾、依テ、皇城ト称ス」と発令した。明治天皇は崩御までそのまま東京に居住した。これらの一連の出来事を「東京奠都」という[1]。
1888年(明治21年)から東京城の名称は「宮城」と改称された。1948年(昭和23年)、「宮城」の名称を廃止し、「皇居」とした。
なお、京都市民の中には、「御所」と呼んでいる京都御所を今上天皇の真の行在所と考える人が少なくない。
施設[編集]
吹上仙洞御所[編集]
上皇上皇后両陛下の住居である。
吹上大宮御所[編集]
香淳皇后の住居として使われていた。
桃華楽堂[編集]
皇居東御苑内にある音楽堂である。
宮殿[編集]
天皇が国事行為や皇室行事などの儀式を行う施設である。表御座所棟、正殿棟、千草の間・千鳥の間、豊明殿棟、連翠、長和殿、庭園(中庭,東庭,南庭)などがある。
三の丸尚蔵館[編集]
皇居東御苑内にある皇室に代々受け継がれている絵画・書・工芸品などの美術品類を保存管理し、併せて調査・研究する施設である。
宮内庁[編集]
皇室関係の事務および天皇の国事行為にかかわる事務を行う行政機関である。
宮中三殿[編集]
宮中三殿は吹上御苑の3つの神殿である。賢所、皇霊殿、神殿をいう。宮中祭祀が行われる。
皇居東御苑[編集]
一般公開されている皇居内の庭園である。
紅葉山御養蚕所[編集]
皇居内の養蚕施設である。日本書記・雄略天皇は「后妃に自ら桑を摘ませ、養蚕を勧めようと思い、国内の蚕を集めさせた」とあり、養蚕と皇室は関係が深い。
皇宮警察本部庁舎[編集]
天皇及び皇后陛下、皇太子殿下その他の皇族の護衛、皇居及び御所の警衛を行う行政機関の庁舎である。
宮内庁書陵部庁舎[編集]
皇室関係の史料・文書・資料の管理と陵墓の管理を行う部署の建物である。
宮内庁病院[編集]
宮内庁が管理・運営する国立病院である。
皇居内生物学研究所[編集]
昭和天皇が生物学の研究を行うために造られた。上皇陛下はハゼなどの魚類学の研究に使用した。 昭和天皇は皇居内で稲作を開始し、生物学研究所脇に水田がある[2]。イネの研究、農家の苦労に思いをいたす目的で始めたとされる。
門[編集]
皇居入口となる門には大手門、桜田門、桔梗門、坂下門、平川門、乾門、半蔵門、北桔橋門、田安門、清水門などがある。
皇居に生息する動物[編集]
国立科学博物館の調査により、動物3638種が記録された[3]。[4]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 皇居全体図宮内庁
脚注[編集]
- 注
- ↑ 江戸は東京となったが、京都から東京に遷都するという宣言はなかった。
- 出典
- ↑ 「東京遷都の経緯及びその後の首都機能移転論等」一般財団法人 日本開発構想研究所
- ↑ 即位後初、天皇陛下が田植え時事通信、2019年05月20日
- ↑ 国立科学博物館による皇居の生物相調査について宮内庁
- ↑ 倉持利明、篠原明彦、小野展嗣他(2014)「皇居の生物相 II. 動物相」国立科博専報50、pp.1–7
- ↑ 皇居におけるタヌキの食性とその季節変動宮内庁