武田信玄火葬塚

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武田信玄

武田信玄火葬塚(たけだしんげんかそうづか)とは、山梨県甲府市岩窪町にある武田信玄を火葬したとされる場所にある墓である。

概要[編集]

元亀4年4月12日1573年5月13日)に西上作戦の途上、発病して倒れた武田信玄だったが、甲斐に帰国する途上の信濃駒場で病死した。そして甲斐に戻った信玄の遺体を当地で火葬にしたと伝わる場所である。墓は石門と石垣に囲まれた墓壇の中央にあり、三重の台座を持った高さ3メートル余りの石碑で、正面に「法性院大僧正機山信玄之墓」と刻まれている。この石碑は江戸時代後期の安永8年(1779年)に当時この地の代官を務めていた中井清太夫により建てられたものとされ、墓誌は円光院住職による撰文といわれる。

甲陽軍鑑』などによると、武田信玄は遺言で武田勝頼や重臣に対して3年間の間、喪を秘して遺体を密かに信濃から甲斐に運んでこの地に仮埋葬するように遺言したという。信玄の死から3年後、改めて火葬にされて一部を分骨してこの地に残し、大部分は恵林寺に葬られたものと見られている。

アクセス[編集]

  • 甲府駅北口より武田神社行き/積翠寺行きバスで約7分で「護国神社入口」下車。徒歩10分。