師範学校
師範学校(しはんがっこう)は教員養成を行う学校である。本ページでは大日本帝国下で1947年3月以前の旧学制下で存在した狭義とも言える小学校(国民学校)訓導養成の学校を記述し、広義の教員養成の学校として分類されることもある青年師範学校、高等師範学校、女子高等師範学校については当該項目を参照。
概要[編集]
明治初期の官立師範学校が東京のみに再編されて以降、小学校教員養成所などを母体に、各道府県に1校以上設置され、小学校(国民学校)の訓導(現在でいう教諭)養成の役割を果たしていた。
本科は高等小学校(国民学校高等科)卒業を入学資格とした5年制の1部と旧制中学校、旧制高等女学校卒業を入学資格とした短期課程の2部があった。
学資は無料であったので経済的に余裕のない家庭の有力な進学先となった。代わりに一定期間の奉職義務があり、また、徴兵猶予もされた[注 1]。
地方において旧制中学、旧制高女格の学校として機能し[注 2]、後述の官立移管まで中等学校野球など中等学校のスポーツ大会にも師範学校が参加した。
1943年(昭和18年)に官立学校となり、同時に専門学校格の学校に昇格して、3年制の本科の入学資格は中等学校卒業となったが、2年制の予科を設けて国民学校高等科からの進学も引き続き確保された。
戦後[編集]
戦後の1947年の中学校発足で予科、1949年の新制大学発足で本科を募集停止し、官立専門学校格ということもあって、新制大学の学芸学部(教育学部[注 3])の母体として包摂された。
学制改革当初は、師範学校教育と無関係とした、学芸学部〇〇科[注 4]の組織構成だった。また、低学年時で全学の教養教育を担当した大学もあったが、1966年までに教育学部教員養成課程に転換された。この経緯により国立大学教育学部の前身校として扱われ、同窓会組織も継承されている。
なお、師範学校が複数あった地域では、愛知県のように新制大学の本部誘致争いがあり、キャンパス統合まで旧制師範学校毎の学閥が温存されて人事を左右したところもあった。
師範学校を前身とする単科教育大学[編集]
- 北海道教育大学(旧・北海道学芸大学)
- 宮城教育大学(東北大学教育学部から分離)
- 東京学芸大学
- 愛知教育大学(旧・愛知学芸大学)
- 奈良教育大学(旧・奈良学芸大学)
- 京都教育大学(旧・京都学芸大学)
- 大阪教育大学(旧・大阪学芸大学)
- 鳴門教育大学(徳島大学教育学部から実質分離)
- 福岡教育大学(旧・福岡学芸大学)
その他[編集]
- 師範学校組織としては1校でも、男子部と女子部が別の箇所にあった県もあった。戦後の学制改革直後は分校として残された大学も多かったが、徐々に本部のある地に統合。附属学校設置でかつての所在の名残を止めることが多い。
- 師範学校の校地は分校も含め新制大学の学芸(教育)学部校地となったが、1960年代以降の蛸足大学解消で徐々に統合され、旧校地を引き継いでいるのは、例えば、北教大旭川・函館校や信州大教育学部である。
- 師範学校が複数校あった県で静岡県と新潟県は国立単科教育大学にならなかったが、新潟県は上越教育大学新設で実質取り返した格好になった。
師範学校を卒業した著名人[編集]
- 国内
- 日本国外