切腹
切腹(せっぷく)とは、人間が腹部を切って死ぬことである。武士の死の中で最高の方法として用いられた。これは日本独自のもので世界に例を見ない死に方であった。
概要[編集]
日本で初めて切腹したのは平安時代末期の嘉応2年(1170年)であるとされる。このときに切腹したのは源為朝という。鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝の叔父である為朝は、保元の乱で敗れて伊豆大島に流罪とされた。ところがここで再度反乱を起こして討伐の軍勢が差し向けられた。しかし為朝の剛勇を知っていた討伐軍は恐ろしくて近づけず、為朝の居館にようやくたどり着いた際には既に腹を切って自害していた為朝の遺体があったという。平安時代末期を代表する豪傑の見事な死に方は、その剛勇伝説と相まって武士の理想の死に様となってゆく。
この切腹が武士に一般的になったのは鎌倉時代末期から室町時代であると見られている。室町時代には武士の殉死の方法としてよく用いられた。
戦国時代になると合戦に敗れて逃げることもできなくなった際、あるいは落城の際に武士は敵に捕らえられる恥辱を恐れて名誉を保つために切腹する例が多かった。
腹の切り方としては、最も称賛される方法として腹を十文字に切って内臓を掻き出す、とされている。ただ、この際の苦しさは尋常ではない。まず、腹を一文字に鳩尾から臍まで切り下げるが、突き刺しただけでかなりの激痛が走ることになる。それを切り下げるのだから地獄の苦しみを味わうことになる。さらにその刀を抜いて横にも一文字に切る。ただし、並の体力や胆力ではとても無理なことで、途中で力尽きる例が多かった。ちなみにそうなると背後にいた介錯人が首を斬り落としてアフターサービスしたという。
しかしそれは介錯人がいた場合のことである。介錯人がいない場合は、つまり最後に腹を切ることになる場合は、腹を切ってもすぐには死ねないから地獄の苦しみを味わうことになる。
ただし、切腹をした場合は「武士の尊厳を認めて処刑した」ということであり、この場合はその一族に連座を適用しないのが通例だった。
外国では切腹というより、割腹(かっぷく)、ハラキリと言われることが多かった。ただしその例はかなり限定的である[注 1]。