足利義詮
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足利義詮(あしかがよしあきら)は、室町時代の2代目征夷大将軍である。足利尊氏の子、北条長時の玄孫(孫の久時の孫)。
概要[編集]
1330年、現在の鎌倉市にて出生。新田義貞による元弘の乱に参加し鎌倉幕府を滅ぼした。その後は足利直義(叔父、尊氏の弟)と下国経営に携わる。後醍醐天皇による政権崩壊後、北畑顕家により鎌倉を追われるが助かる。そして関東を足利市の拠点にした。直義が高師直との対立から幕府を追われる(観応の擾乱)と京に呼び戻され、代わりに同母弟の基氏が鎌倉へ赴く。
1358年に尊氏が死去するとその跡を継いで2代目将軍となる。1362年に斯波義将を執事に任命し、晩年に細川頼之をスカウトして足利義満の教育係にあたらせた。1367年、病に倒れ死去。享年38。
関連項目[編集]
系譜[編集]
義詮の偏諱を受けた人物[編集]
- 「義」の字
- 「詮」の字
足利義詮が登場する作品[編集]
- テレビドラマ
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