1615年
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1615年(せんろっぴゃくじゅうごねん)は、1600年代の15年目のことであり、日本の元号では慶長20年であったが7月13日(グレゴリオ暦9月5日)に改元が行なわれて元和元年となる。日本の天皇は第108代天皇・後水尾天皇である。江戸幕府の征夷大将軍は第2代将軍・徳川秀忠である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 徳川家康が駿府城に帰還する。家康により近江国友村の鍛冶に対して鉄砲製造の命令が出される。
- 2月 - 徳川秀忠が江戸城に帰還する。
- 3月 - 駿府において伊勢踊りが流行したため、家康の命令で禁令が出される。
- 4月 - 家康により大坂攻めが再度発令され、家康が駿府より出陣する(大坂夏の陣)。紀伊の浅野長晟軍と大坂の塙直之の軍勢が衝突し、直之が戦死する。
- 5月 - 大坂方と徳川方による最終決戦が開始されて真田信繁・毛利勝永・木村重成・後藤基次ら大坂方の有力武将が戦死して徳川方が勝利する(ただし徳川方も本多忠朝・小笠原秀政らが戦死)。これにより豊臣秀頼(23歳)、淀殿(49歳)が大坂城において自殺して豊臣氏が滅亡する。
- 6月 - 海北友松が死去(83歳)。古田重然(織部)が江戸幕府の命令により自害する(72歳)。幕命により喫煙・タバコの売買や栽培が禁止される。
- 閏6月 - 徳川家康が諸大名に対して一国一城令を発令する。
- 7月 - 徳川家康が武家諸法度・禁中並公家諸法度・諸宗本山本寺諸法度を制定する。家康が京都三条の鋳物師に梵鐘数十を造らせ、諸寺に寄進する。
- 8月 - 徳川家康が駿府城に、徳川秀忠が江戸城に帰還する。島井宗室が死去(77歳)。
- 不明 - 本阿弥光悦が京都鷹ヶ峰に住居を定めて村を造る。