徳川家光
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徳川家光(とくがわ いえみつ、1604年7月17日 - 1651年4月20日没)は、徳川幕府第3代征夷大将軍。
概要[編集]
15代徳川慶喜と共に嫡出の将軍である。
幼少時は弟・国松との後継が争われたが、祖父が長子相続を決断したことで、1627年に伏見城で将軍宣下を受けた。この先、京で将軍宣下を受けたのも慶喜までない。
1632年の父秀忠逝去後は親政を行い、島原の乱といった浪人内乱の解決や海外貿易の管理に腐心した。
幕閣では、就任初期は小姓時代から昵懇の春日局の息子の稲葉正勝、親政後は知恵伊豆こと松平信綱や異母弟の保科正光といった賢臣の援助があり、次代を幼年の家綱が継いでも無難な集団合議体制を確立した。
慶安4年(1651年)4月20日の午後3時頃に江戸城で死去した(『曾我日記』)。享年48。
辞世の句:「悲しまじ、悦びもせじ、とにかくに、終には覚る、夢の世の中」
その他[編集]
女きょうだいとしては、九条家に嫁いだ異父姉1人、同父姉妹は長姉の千姫、次姉の珠姫、三姉の勝姫、四姉の初姫、妹の東福門院和子がいる。
関連項目[編集]
脚注[編集]
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