三河安城駅
三河安城駅 | |
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みかわあんじょう Mikawa-Anjō | |
所在地 | 愛知県安城市三河安城町一丁目17番地1 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
電報略号 | ミワ |
駅構造 |
高架駅(新幹線) 地上駅(橋上駅)(在来線) |
ホーム |
2面2線(新幹線) 2面2線(在来線) |
乗車人員 -統計年度- |
8,001人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1988年(昭和63年)3月13日[1] |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■東海道新幹線 |
キロ程 | 336.3km(東京起点) |
◄豊橋 (42.7km) (29.7km) 名古屋► | |
所属路線 | CA 東海道本線(名古屋地区) |
駅番号 | CA55 |
キロ程 | 336.3km(東京起点) |
◄CA54 安城 (2.6km) (1.8km) 東刈谷 CA56► | |
備考 |
新幹線:直営駅 JR全線きっぷうりば 有 在来線:駅員無配置駅(自動券売機 有) 集中旅客サービスシステム導入駅 |
三河安城駅(みかわあんじょうえき)は、愛知県安城市にある東海旅客鉄道の駅である。
東京方面から来た芸能人が名古屋駅で降りる準備をするのにちょうど良い場所にある鉄道駅。
東海道新幹線と東海道本線(在来線。普通列車のみ停車)の駅で、利用者は7500人/日ほどである。かつては東海道新幹線の駅で唯一N700系が営業列車として停車しない駅であったが、2011年(平成23年)3月12日のダイヤ改正でこだま630号にN700系が充当されることになり、当駅にもN700系が停車するようになった。
歴史[編集]
東海道新幹線の豊橋~名古屋間に新駅の設置を求める声はかねてからあり、三河9市6町によって新駅期成同盟が結成されていた。駅の仮称は「三河」として、候補地には安城市二本木町、同市古井町、岡崎市正名町、額田郡幸田町の4箇所が挙がり、各市町が誘致合戦を繰り広げていた。当時、東海道新幹線沿線の他地域でも相模や掛川などが誘致に名乗りを上げており、地元の一本化が三河新駅実現に不可欠と判断した愛知県が候補地の一本化に向けて動き出した。
愛知県が民間コンサルティング会社に調査を依頼したところ、岡崎市の候補地は勾配がほとんどないため建設費が145億円だが、在来線と連絡していないため3,896人の利用しか見込めないとした。そして、幸田町は東海道本線の幸田駅と連絡できるために5,407人が利用するが、勾配がきつく補正する必要があることから240億円の建設費が掛かると試算された[2]。 一方、安城市内の二箇所については、二本木町は建設費170億円、予想乗降客数は4,880人と予想されたものの、交差する東海道本線に連絡駅を建設すれば6,047人に増えるとされた。一方、古井町は勾配がある程度あるが建設費150億円程度で済み、名鉄西尾線・碧海古井駅と連絡することで5,801人が利用すると見られた。後述の開業後の乗降実績と比べると、連絡駅の利用については見込み違いであるものの、ほぼ妥当な調査結果と言える。
1984年1月5日、愛知県は候補地を安城市二本木町に決定[3]。同年2月2日に期成同盟は全会一致で県の決定を承認した[4]。当初は国鉄の動きは鈍かったものの国鉄や運輸省への陳情が功を奏し、8月23日に二本木町を視察した細田吉蔵運輸相が三河新駅を「候補地としては最優等生」と語り、急速に有力視されることとなった[5]。10月18日には国鉄が三河新駅を予定地に決定し[6]、12月18日には愛知県と安城市が受け入れを表明した[7]。1985年3月19日、国鉄が正式に新駅の建設を決定し、同年7月29日に着工した。建設費135億円のうち、55億円を安城市が、3分の1の45億円を愛知県が負担し、残りの35億円を周辺自治体と地元企業から仰ぐこととなった[8]。
1988年3月13日に新富士・掛川・新尾道・東広島とともに東海道・山陽新幹線の新駅として開業。新幹線駅の一日乗降客数6,900人を見込んで開業したものの、当駅の利用圏にありながら、民営化後の快速列車の充実等で、名古屋、豊橋への流出が見込み以上にあった[注釈 1]ため、開業後1ヶ月間の1日平均乗降客数は約3,000人と予測を大きく下回る結果となった[9]。
開業時には、新幹線ホームの下で愛知県道48号岡崎刈谷線(通称・岡刈線)と交差しており、駅前開発に着手できない状態が続いたが、約4年の歳月を要して迂回路が建設され、マイカー客の誘致を狙って駅前広場が整備された。
年表[編集]
- 1974年(昭和49年)11月16日:東海道新幹線駅新設期成同盟会を結成。
- 1979年(昭和54年)7月3日:期成同盟会が新駅候補地の一本化を愛知県に一任。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)9月3日:東海道本線三河駅(仮称、在来線)起工式。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1998年(平成10年)2月12日:新幹線改札口に自動改札機を導入[11]。
- 2006年(平成18年)11月25日:在来線でICカード「TOICA」の利用が可能となる。
- 2008年(平成20年)4月1日:管轄が新幹線鉄道事業本部へ変更。
- 2013年(平成25年)1月24日:新幹線の改札・ホームにおける発車標が反転フラップ式案内表示機からフルカラーLEDディスプレイに更新。この更新をもって、反転フラップ式案内表示機が新幹線の駅からなくなった。
- 2020年(令和2年)12月:在来線改札口が集中旅客サービスシステムの使用開始に伴い終日無人化[12]。
人々の印象[編集]
不便な駅[編集]
1988年 (昭和63年)3月13日、新富士駅・掛川駅・新尾道駅・東広島駅とともに東海道新幹線の新駅として開業。新駅開設に有利になるように東海道本線の駅が同時併設されたが、東海道本線は本駅を通過する区間快速・快速・新快速・特別快速で、名古屋市内や豊橋駅に周辺駅から速達できるのと、南北の交通流となる名鉄三河線や西尾線は2回以上の乗換を伴うため、鉄道乗換駅としてはあまり機能していない。また当駅は「こだま」のみの停車であるため、西三河地方の住民の利用率は低いままである。特に遠方に出かける場合にはJR在来線や名鉄線で名古屋駅まで出て「のぞみ」などを利用するケースが圧倒的に多い。元々、田園地帯であった当駅周辺は、開業後に田畑からの土地転用が進み、急速に市街地形成がなされたが、利用者数状況に見られる通り、駅本来の機能は高いとは言えず、名古屋駅の隣駅であるため、今後の新幹線の停車増も多くは期待できない。一方、駅駐車場は広く、西三河地域のマイカーとの結接点となっている。
地味な駅[編集]
下り「のぞみ」が当駅を通過する際、車掌から「ただ今三河安城駅を定刻通り(何分遅れて)通過しました。あと10分ほどで名古屋に到着します。」とアナウンスがある。これにより、名古屋駅で降りる客の乗り越しを防ぐと共に、列車遅延の度合いも分かる。2009年6月4日にフジテレビ系列で放送された「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングで、ゲストのみうらじゅんが「いつも気になっていた三河安城駅につい最近初めて降りた。」と発言した。ゲストの発言を受け司会のタモリも当駅通過時の車掌アナウンスを「名古屋で降りる準備をするのにちょうど良いタイミング」と証言した。みうらはコーナーの100分の1アンケートでも「三河安城駅に降りたことがある人」で見事に1人を当て、タモリの携帯ストラップを獲得した。
バス路線[編集]
安城市のコミュニティバス「あんくるバス」が駅前に発着する。
開業時には、広域連絡として新豊田駅(JR東海バス)や碧南駅(名鉄バス)へのバス路線があり、国鉄バスから続くJR東海バスの安城線(安城〜刈谷)も利用できたが、いずれも集客不振で短期間で廃止された。北西に隣接する知立市への直通バスは開業時から設定されたことがなく、現在も刈谷駅(名鉄三河線)もしくは東刈谷駅(知立市ミニバス)での乗り換えが必要である。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ “新駅その後③ 東海道新幹線三河安城駅”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年1月6日)
- ↑ 『日本経済新聞』(1983年10月19日 名古屋朝刊・社会面21頁)
- ↑ 『日本経済新聞』(1984年1月6日 名古屋朝刊・社会面21頁)
- ↑ 『日本経済新聞』(1984年2月3日 名古屋朝刊・社会面21頁)
- ↑ 『日本経済新聞』(1984年8月24日 名古屋朝刊・社会面21頁)
- ↑ 『日本経済新聞』(1984年10月18日 夕刊1頁)
- ↑ 『日本経済新聞』(1984年12月19日 名古屋朝刊・社会面21頁)
- ↑ 『日本経済新聞』(1985年7月16日 地方経済面・中部7頁)
- ↑ 『中日新聞』(1988年4月16日 県内版16頁)
- ↑ 『中日新聞』1987年5月28日付夕刊、2面、「新駅名称は『三河安城』 期成同盟会決める」。
- ↑ “NEWS SUMMARY 1998年2月”. 鉄道友の会 名古屋支部. 2017年5月31日確認。
- ↑ “集中旅客サービスシステムの導入駅拡大について” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 東海旅客鉄道, (2019年11月13日), オリジナルの2019年12月16日時点によるアーカイブ。 2020年2月4日閲覧。