群書治要(ぐんしょちよう)は631年(貞観5年)に作られた類書である。
経・史・子の六十六種の文献中から、政治の要諦に関する語句だけを収録したものである。
中国では早くから失われており、のちに日本から中国へ逆輸出された。
1616年(元和2年)刊行の駿河版『群書治要』は、同年正月(1月)に徳川家康から本書の出版を命じられた金地院崇伝(崇伝)と林羅山は、京都から職人や校合担当の僧侶を呼び寄せ、不足の銅活字を鋳造させ、駿府城の三の丸で印刷作業に取り掛り、5月下旬に版ができたが、家康は4月に他界したため、見ることはできなかった。