ゆうづる (列車)

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ゆうづる
YŪZURU
JNR EF81 84 EF81 90 yuzuru ueno.jpg
EF81牽引のゆうづるが顔を並べる
種別特急
運行事業者国鉄
東日本旅客鉄道
走行路線常磐線東北本線
起点駅上野
終着駅青森
両数12両
使用車両20系 → 24系 / 583系
運行開始年1959年9月 (急行「北斗」として)
種別変更年1965年10月1日
廃止年1993年12月 (定期運行終了)

ゆうづるは、国鉄JR東日本が、常磐東北本線で運行していた寝台列車である。

概要[編集]

はくつる」より1年遅れで常磐線経由で設定された寝台特急。新設前は寝台急行「北斗」の愛称だった。
当初より20系客車が使われたブルートレインで、設定時非電化だった平(現・いわき)以北でC62蒸気機関車が牽引していた。
「はくつる」は、福島駅以南で奥羽・磐越西・上信越夜行で満杯の環境で1往復で横ばいだったが、岩手県・青森県南部だけをターゲットにすればよい「ゆうづる」は増発を重ね、最盛期は北海道速達も担う電車3往復・客車4往復を数え、座席車を連結する急行「十和田」(最盛期、定期・季節5往復)と共に、常磐線経由での上野〜東北・北海道連絡を担った。
1976年には客車編成が九州ブルトレで短期間の使用だった24系客車に統一された。
1980年10月ダイヤ改正から削減が始まり、定期5往復・季節2往復に削減。1982年東北新幹線が開業すると、1往復の「はくつる」立て替えを含め、5往復に削減。急行「十和田」も1往復に削減された。
1985年東北新幹線上野開業で、電車1往復、客車2往復まで削減され、「十和田」の定期運行も終了した。1987年に翌年に開設される北海道直通寝台の予行も兼ね、個室寝台が連結されるが、1988年青函トンネル開通によるダイヤ改正で、常磐線経由北海道直通特急の設定は無く、電車特急1往復に削減。

そして、1993年12月、「ゆうづる」はついに定期運行を終了した。

関連項目[編集]

その他[編集]

横綱隆の里若乃花幹士 (2代)がこの列車の国鉄ナロネ21形客車に乗せられて (拉致されて?)上京した。

☆彡夜行列車☆彡
車両
国鉄型車両 旧型客車 - 国鉄20系客車 - 国鉄583系電車 - 国鉄14系客車 - 国鉄24系客車
JR車両 JR東日本E26系客車 - JR西日本・東海285系電車
東京口
特急
東京対九州・山陽 富士 - さくら - みずほ - はやぶさ - あさかぜ
東京対四国・山陰 紀伊 - サンライズ出雲 - 出雲 - いなば - サンライズ瀬戸 - 瀬戸
上野対東北・北海道 北斗星 - カシオペア - はくつる - 北星 - ゆうづる - あけぼの - 出羽 - 鳥海
上野対北陸 北陸
臨時 サンライズゆめ - 谷川岳山開き
急行
東京対大阪・九州 銀河 - 桜島・高千穂
上野対東北 天の川 - 新星 - 十和田 - 八甲田 - 津軽 - いわて - あづまばんだい
上野対信州・北陸 越前 - 能登 - 妙高
上野対新潟 佐渡
新宿対甲信 アルプス
臨時 シュプール - 尾瀬
快速・普通
東京対大垣 ムーンライトながら - 大垣夜行
新宿対甲信越 ムーンライト信州 - ムーンライトえちご - 山岳夜行 - 上越夜行
京阪・岡山口
特急
京阪・岡山対九州 あかつき - 安芸 - 月光 - なは - 彗星 - 明星
京阪対北陸・北海道 日本海 - トワイライトエクスプレス - つるぎ
急行
京阪対山陰 だいせん
京阪対北陸・長野 きたぐに - 立山 - ちくま
京阪対山陽・九州 雲仙 - 西海 - くにさき - 天草 - 屋久島 - 音戸
京阪神対四国連絡 鷲羽
臨時 シュプール - くろよん - アルペン
快速・普通
大阪対紀伊・名古屋 はやたま
京都対山陰 山陰
臨時 ムーンライト九州 - ムーンライト山陽 - ムーンライト八重垣
名古屋口
特急
名古屋対九州 金星
急行
名古屋対九州 阿蘇
名古屋対信州 きそ
名古屋対高山・北陸 のりくら
名古屋発紀伊方面 紀州
臨時 シュプール
快速
臨時 名古屋発紀伊方面 スターライト
陰陽連絡急行 ちどり
四国内急行 うわじま/いよ
九州口
特急・急行 さんべ - かいもん - ドリームつばめ - 日南 - ドリームにちりん
快速・普通 ながさき
北海道
特急・急行 はまなす - まりも - 利尻 - 大雪
快速・普通 からまつ - ミッドナイト