あさかぜ (列車)
Asakaze
寝台特急あさかぜ(1988年) | |
種別 | 特急(寝台) |
運行事業者 | 国鉄→ JR東日本 JR東海 JR西日本 JR九州 |
走行路線 | 東海道本線 山陽本線など |
起点駅 | 東京 |
終着駅 | 下関・博多 |
使用車両 | 10系 20系 24系25形 14系15形(臨時) |
運行開始年 | 1956年 |
廃止年 | 2005年 |
あさかぜは国鉄〜JR東日本・東海・西日本・九州が、東京〜下関・博多間の在来線で運行していた寝台列車。
概要[編集]
運行の経緯[編集]
1950年代になると、戦後の荒廃から国鉄は復旧し始め、東京〜大阪間で「つばめ」、「はと」、京都〜博多間で「かもめ」の2つの特急が運行されていた。
続いて、戦前の第一級列車「富士」、大衆特急「櫻」の復活が検討されたが、「富士」や「櫻」の東海道本線昼行・山陽本線夜行運行は、時期尚早と判断され、とりあえず、東海道では夜行列車群の先頭、山陽路では夜行列車群のしんがりで運行する戦前からすると「常識破り」の夜行列車を運行することとなった。
ダイヤ設定[編集]
夜行列車新設に当たり、運転試行は行わず、「つばめ」と「かもめ」の所要時間を足した運行ダイヤが設定されて、東京発夕方、博多着朝(上りは逆)と設定された。途中大阪が深夜通過となったことに大鉄局が疑問を呈したが、1956年運行は強行された。
旧型客車での登場[編集]
第一級の車両は「富士」まで温存となり、いわゆる「旧客の寄せ集め」で「あさかぜ」はスタートした。当時は山陽本線は西明石以東と関門トンネルのみの電化だったため、非電化区間を含む大阪以西は蒸気機関車が牽引した。
旧型客車の寄せ集めではあったが、それまでの東京 - 九州間急行より速達だったこともあり、たちまち人気列車となり、翌1957年に「さちかぜ」が増発されるまでになった。編成にはスハニ32、ナハ10、ナハネ10、マシ35、スロ54、マロネ40、マロネフ29が連結された。
走るホテル登場[編集]
1958年には「はやぶさ」が増発されることになり、「はやぶさ」に編成捻出のため、「あさかぜ」には新機軸の固定客車編成20系が新規投入され「走るホテル」の異名を持った。
牽引機関車も1960年の倉敷以東、1961年の三原以東への電化延伸で電気機関車の牽引区間が延びた。
新幹線開業後[編集]
東海道新幹線が開業すると、それまで座席車の設定もあった九州方面夜行特急は寝台専用列車となった。
1968年10月には2往復に増発、1970年には急行「安芸」格上げ名目で下関折り返し1往復が増発され、3往復になった。
山陽新幹線博多開業後は、1往復が臨時列車に格下げ[注 1]され、定期列車は博多発着、下関発着各1往復となった。
24系25形客車登場[編集]
1977年には下関発着便、1978年には博多発着便が25形客車になった。
B寝台は2段寝台化され、A寝台は下関発着便からは無くなり、博多発着便は「はやぶさ」、「富士」と共通の個室寝台となった。
JR化前後[編集]
国鉄分割民営化前、本数は1970年代後半と特に変化は無かった。JR発足直前、博多発着便はグレードアップが行われた。
分民化後は、博多発着便がJR東日本持ち、下関発着便が「瀬戸」と共通のJR西日本持ちとなった。
しかし、博多発着便は1994年に臨時化され、最終的に下関発着便のみ残ったが、2005年3月に廃止された。
主要駅時刻表[編集]
昭和57年11月改正[編集]
脚注[編集]
- 注
- 出典
外部リンク[編集]
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