伯耆国
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伯耆国(ほうきのくに、ほうきこく)は、山陰道に属する令制国の一つである。現在の倉吉・米子など鳥取県中西部に相当する。伯州とも呼ばれる。
地理[編集]
日本海側に位置する。
河川[編集]
- 日野川
- 天神川
海洋[編集]
- 日本海
歴史[編集]
中世[編集]
南北朝時代には名和氏の領土で、室町時代に、山名氏の領土となった。その後、出雲の尼子経久の勢力が東に広がり、1524年には尼子氏の支配下となった。その後、毛利氏が尼子氏を凌駕する様になり、1565年に毛利氏の支配下に入った。その後、毛利氏と織田氏の勢力争いに巻き込まれるが、1585年に毛利氏が豊臣秀吉配下となったことにより、西半分のみが毛利氏領として残った。
近世[編集]
関ヶ原戦後の領地処分で中村一氏に伯耆国が与えられたが、中村氏は嫡男の一忠で無嗣改易となり、その後の江戸時代は池田氏(因幡池田氏)の支配となり、1617年頃から全域が鳥取藩領となり、城代家老の荒尾氏が米子城、荒尾氏の別家が倉吉陣屋を本拠に支配し、そのまま明治維新を迎えた。
近代以降[編集]
廃藩置県の過程で鳥取県域となった。一時島根県に併合されるも、再度置県された。旧伯耆国内は日野郡以外に5郡があったが、1896年に、河村、久米、八橋の各郡は東伯郡、汗入、会見の各郡は西伯郡に再編されて現在に至る。