佐倉城

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佐倉城(さくらじょう)は、現在の千葉県佐倉市城内町にかつて存在した日本である。

概要[編集]

佐倉市街の西、鹿島川に面した台地上に存在した平山城である。

歴史[編集]

この城は江戸時代初期の慶長15年(1610年)、佐倉藩主として3万2400石の禄を与えられた土井利勝が入封した。この利勝は徳川家康落胤であると『徳川実紀』に記録されている人物で、政治家として辣腕を振るっていた。利勝は入封翌年から築城工事を開始し、およそ7年をかけて元和2年(1616年)に完成させた。利勝は自然の地形を巧みに利用して築城し、4層の天守閣を築いた。なお、利勝は慶長17年(1612年)に1万2600石、元和元年(1615年)に2万石、寛永2年(1625年)に8万石の加増を受け、合わせて14万5000石の大名にまでなったが、寛永10年(1633年)に下総古河藩に移封された。

以後、佐倉城には松平家信堀田正盛松平乗久大久保忠朝戸田忠昌稲葉正往松平乗邑譜代大名がめまぐるしく代わり、延享3年(1746年)に出羽山形藩から堀田正亮が10万石で入封したことにより、ようやく藩主家が定着し、以後は堀田氏が5代126年間にわたって佐倉城主を務め、幕末に11万石に加増されて明治維新を迎えた。堀田氏の城主で歴史的に著名な人物に、4代目の城主である堀田正睦がいる。正睦は関東で譜代大名では珍しい蘭癖大名として知られ、藩内では藩政改革を着手して天保7年(1836年10月藩校成徳書院を設立する。天保9年(1838年4月には藩医鏑木仙安江戸の蘭学医・箕作阮甫に入門させ、さらに洋学を学ぶために過信を江戸に派遣したりするなど、当時としては珍しい進歩派で、阿部正弘亡き後は井伊直弼が政権を掌握するまで国政を担当していた人物である。

明治6年(1873年)に廃城となった。

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