弘前城

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弘前城(ひろさきじょう)とは、現在の青森県弘前市大字下白銀町1番地1にかつて存在した日本である。現在は弘前公園(ひろさきこうえん)となっている。

概要[編集]

この城は津軽城(つがるじょう)、高岡城(たかおかじょう)などの別名がある。江戸時代津軽藩を支配した津軽氏居城であった。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐に参加した津軽為信は、秀吉から鼻和郡田舎郡平賀郡の津軽3郡を所領安堵された。為信は居城をそれまでの大浦城から堀越城に移し、津軽と改姓する。そして堀越から高岡に居城を移す計画を立てるが、慶長12年(1607年)に為信は死去した。

為信の跡を継いだ息子の津軽信枚は、亡父の遺志を継承して慶長15年(1610年)6月から築城を開始。この築城は江戸から大工や職人を招くほど大規模なもので、工事自体もかなり急速に進められたようで、慶長16年(1611年)にはほぼ完成し、同年5月に信枚は入城している。この城の規模は史料などから東西が618メートル、南北が956メートル、総面積が49万平方メートルという大規模なもので、三重の堀をめぐらし、本丸・2の丸・3の丸・4の廓、北の郭、西の郭などが設けられていた。天守閣は築城当時は5層だったが、寛永4年(1627年)に落雷によって焼失した。その後、江戸時代後期の文化7年(1810年)になって3層に改められた上で再建している。また、寛永5年(1628年)に高岡から弘前と城名が改称された。以後、弘前城は津軽氏12代の支配を経て、明治維新を迎えている。

明治4年(1871年)に廃藩置県を迎えた後、弘前城は兵部省の管轄下に置かれ、一部を解体された。しかし天守閣・城門・隅櫓・土塁・水堀などは残されて、明治27年(1894年)に公園として一般に開放されて現在に至っている。

天守閣と2の丸の辰巳櫓・未申櫓・丑寅櫓・南門・東門・3の丸追手門・東門・北の郭亀甲門などは、国指定の重要文化財となっている。また、石垣や堀を含む城跡全域と弘前城以前の堀越城跡を合わせて「津軽氏城跡」として国の史跡に指定されている。

なお、現在では城跡の公園にはおよそ5000本の桜が植えられており、弘前市民の憩いの場となっている。また、弘前市立博物館など施設も数多く存在する。

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関連項目 続日本100名城