彦根城
彦根城(ひこねじょう)とは、現在の滋賀県彦根市金亀町1-1に存在した日本の城である。彦根藩主・井伊氏の居城であった。城地種類は平山城。別名を金亀城(こんきじょう)。
概要[編集]
歴史[編集]
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍の主導者となった石田三成は戦後に斬首となり、石田氏は滅んだ。勝者となった徳川家康は石田氏の旧領に徳川四天王の1人で信任する井伊直政を入れ、豊臣氏に対する備えとした。直政は当初は佐和山城に入ったが三成の旧城であったことから再建を考え、琵琶湖湖畔の磯山の地に新たな城を築こうと計画する。しかし、慶長7年(1602年)に直政が急死したため、築城計画は一旦停止された。
直政の跡を継いだ嫡男・井伊直継は父の遺志を継いで、金亀山を彦根山と改めるとここを城地に定めて、慶長9年(1604年)から築城工事を開始する。慶長12年(1607年)には天守閣など、主要部分を完成させた。家康は彦根城の築城を重要視し、全面的に支援して諸国の大名に天下普請を命じた上、佐和山城や大津城など近隣の廃城から用材や石垣を集めて急ピッチで行なわせた。しかし、彦根城ほどの規模の城を最終的に完成させるには、家康の死後、さらに直継が病弱を理由に廃されて実弟の井伊直孝が跡を継いだ時代、すなわち築城から20年余りの歳月を必要とした。
この彦根城は3重3階、華麗な装飾を施した天守閣を特徴とする。幕末には著名な大老の井伊直弼が城主になったことでも知られている。
明治維新後、明治政府が発令した廃城令も対象外とされ、戊辰戦争などでも戦災を免れてこの城は旧国宝保存法による城郭国宝の第1号に指定された。
現在[編集]
滋賀大学経済学部が設置されている。平成5年(1993年)から3年かけて天守および西の丸3重櫓の屋根などの保存修理が行なわれ、平成14年(2002年)から2年かけて表門橋の改修が行われている。
アクセス[編集]
外部リンク[編集]
- 彦根城 - 彦根観光協会
- 国宝・彦根城築城410年祭
- 玄宮園・楽々園について - 滋賀県立大学人間文化学部