首里城

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首里城(しゅりじょう)は沖縄県那覇市首里に存在していた琉球王朝の王城である。年間約280万人の観光客がある。

概要[編集]

発掘調査から14世紀中葉から後半にかけて築城と判明した。創建年代は明らかではないが、察度王(在位:1350年から1396年)によって築城されたと推定されている。

海外貿易の拠点である那覇港を見下ろす丘の上にあり、地形を利用して築城されている。三山鼎立時に中山王の居城であったが、1429年琉球王国の成立後は、1879年に最後の国王である尚泰が明治政府に明け渡すまで約450年間に渡り、琉球王国居城として王国の政治経済文化の中心地として繁栄した。

太平洋戦争中の沖縄戦において1945年5月27日アメリカ軍艦ミシシッピなどの砲撃を受け焼失した。宝物庫は戦災を免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪された。戦後、アメリカ軍によって城跡には琉球大学が創立されたが、1972年5月15日に沖縄県が日本に本土復帰されると同時に国の史跡に指定された。その後、琉球大学は西原町に移転したため、跡地利用が検討され、その結果として1985年に国営沖縄記念公園首里城地区として整備されることが決まった。

城は外郭と内郭があり、正殿や南殿、北殿などの中心的建物群は内郭にある。正殿は琉球独特の宮殿建築であり、戦前は国宝に指定されていた。御庭(広場)に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物がある。内郭に瑞泉門、漏刻門など9つの門があり、外郭には歓会門、久慶門など4つのアーチ門がある。

1992年に沖縄復帰20周年を記念して主要施設が復元される。また同年11月3日に一部が首里城公園として一般に公開された。2000年九州・沖縄サミットでは北殿が首脳の夕食会場となった。同年、首里城跡が世界遺産登録され、さらに城門の一つである守礼門は2000円札の図柄になった。

国営公園内にあり、2019年2月、主要地区の管理が国から沖縄県に移管されている。

諸元[編集]

  • 名称:首里城、首里城公園
  • 廃城:1879年(明治12年)
  • 指定:世界遺産、日本100名城、国指定史跡
  • 入場料金:(有料地区)正殿・奉神門・南殿・番所・書院・鎖之間・黄金御殿・寄満・近習詰所・奥書院・北殿・世誇殿・東のアザナ
    • 一般(20名未満)830円 、中人 (高校生)630円、小人 (小・中学生)310円
  • 所在地:(正殿)沖縄県那覇市首里当蔵町3丁目1
  • 交通:「ゆいレール」首里駅下車。 徒歩約15分で守礼門に到着。

復元工事[編集]

1980年代末から復元工事が行われ、1992年平成4年)に正殿などが復元された。首里城の復元にかかった総事業費は1986年2018年度の33年間で約240億円である。

世界遺産[編集]

2000年(平成12年)に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された[1]。復元された建物や城壁は世界遺産に含まれない。グスクは城の意味である。

世界遺産に含まれるものは次の通り。首里城域以外のものも含まれている。

なお、世界遺産に登録されているのは「首里城跡」であるから、正式発表はないが、元ユネスコ事務局長の見解では世界遺産登録が抹消されることは無いとされている[2]

火災[編集]

2019年令和元年)10月31日午前2時35分ごろ首里城の正殿や北殿、南殿など計7棟が焼失した。鎮火は11時間後の同日午後1時半であった[3]。収蔵されていた美術品約1,500点のうち、耐火性の収蔵庫に保管されていなかった約420点が焼失したという[4]。消防は正殿内部が出火元とみて調べている。

焼失したのは次の7棟である。そのほか一部被災建物がある[3]

正殿の外に設置されていた「放水銃」消火設備5基のうち1基を、2013年12月までに国が撤去していたことが琉球新報により報道された[5]。今回の火災は、スプリンクラーなどの消火設備の不足が大規模な延焼につながったと専門家らが指摘している。

火災発生時、正殿の軒下に設置されていた「ドレンチャー」消火設備のみが作動し、放水銃4基は火災による熱で近づけなかったため、使用できなかったという。しかし、そのような状況とすると「放水銃」がもう1基あっても使えなかったと考えられる。

焼失した首里城で作業していた業者は、舞台で使う音響や照明機具・やぐらなどを設置する作業をしていたが、作業終了時に電源を二重チェックしたという。出火元とみられている正殿からも配線などを引いておらず「イベント設備が火災原因とは考えにくい」と話した[6]

火元とみられる正殿1階の北側の焼け跡から焦げた分電盤が見つかっていたと報道された(2019年11月3日NHK報道)。警察は、分電盤の鑑定を進め、今回の火災 との関連を調べる。

2019年11月7日那覇市消防局は焼けた正殿北東の「分電盤」につながる延長コードに「溶融痕」が30カ所以上あったと発表した。この延長コードは常時、電流が入っており、正殿内のLED照明器具の電源として使われていた。溶融痕があるため、非常に有力な火災原因の特定につながるものと重視していると説明された[7][8]。「沖縄美ら島財団」は10月30日21時半ごろに正殿の電源は自動的に落ちたと説明されていたが、実際は常時通電状態となっていたことが判明した。消防局は「短絡痕」である可能性の検討を行いつつも、延長コードと分電盤への引き込み線のいずれかが出火原因となった可能性が高いとみている。延長コードは正殿北側にある分電盤側面のコンセントにつながっており、このコンセントは分電盤から常時電気が供給されるように配線工事されていた。

再建への動き[編集]

2019年10月31日、自民党公明党両党の国会議員らは国土交通省を訪れ、復元工事に早期に着手するよう赤羽一嘉国土交通大臣に要請した[9]

再建に向けたクラウドファンディングの支援金が2019年11月8日に4億円を超えた。寄付した人は延べ2万9000人となっている[10]

しかし、再建にはいったとしても首里城の特徴の一つである屋根の赤瓦の調達が難しいとされている[11]。赤瓦の主原料は「クチャ」と言われる黒っぽい灰色の泥岩であるが、ブレンド方法が失われ職人の後継者がいないためである。また、瓦ふき職人も不足している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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関連項目 続日本100名城