多賀城

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多賀城(たがじょう)とは、現在の宮城県多賀城市市川字城前にかつて存在した日本である。

概要[編集]

塩竈街道に続く丘陵にあった城で、奈良時代神亀元年(724年)に大野東人によって奥州支配を目的に築城された。城は標高4メートルから52メートルの丘陵から低湿地をまたぐような形で築かれていたと見られており、一辺がおよそ900メートルの歪な四角形をした土地に囲まれていたようである。城の周囲は加瀬沼砂押川などが流れており、さらに幅3メートル、高さ5メートルほどの土塀も築かれていたようである。

政庁は城の中心部にあったとされ、およそ100メートル四方の築地で囲まれ、国府の中心施設として重要な儀式や饗応が行われたと見られている。また、政庁以外でも実際に行政をつかさどっていたのではないかと見られる建物群、竪穴式住居が城内の各所から発見されている。

昭和38年(1963年8月、発掘調査が行われた結果、殿・後殿・中門などの規模が明らかとなった。また、城と言われるが実際は行政府としての色彩が色濃かったのではないかと見られている。昭和41年(1966年4月多賀城廃寺跡と共に国の特別史跡に指定された。

なお、多賀城南門跡から城内に入ったすぐ右手の覆堂に多賀城碑が納められて建立されている。この多賀城碑は群馬県多胡碑栃木県那須国造碑と共に日本三古碑の1つに数えられており、「壺碑」(つぼのいしぶみ)とも言われて古くから歌枕としても知られている。碑の高さはおよそ2メートル、幅およそ1メートルの砂岩で築かれ、碑面の額部に「西」とあり、その下の界線に囲まれて西の字が刻まれ、各国からの距離、神亀元年(724年)に大野東人により多賀城が創建されたこと、天平宝字6年(762年)に恵美朝狩による多賀城の修築を記録している。この碑はもともと、偽物ではないかと見られていたのだが、発掘調査などから事実と見られるようになった。

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