浜松城

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浜松城(はままつじょう)とは、現在の静岡県浜松市中区元城町100-2に存在した日本である。若い頃の徳川家康居城であり、江戸時代には出世城(しゅっせじょう)の異名をとった。石垣城(いしがきじょう)とも言われている。

概要[編集]

浜松駅の西、およそ1キロの三方ヶ原台地の南東端に存在した城である。

かつて今川義元人質であった徳川家康は、義元が桶狭間の戦い戦死すると独立し、永禄11年(1568年)には義元の死で衰退していた今川氏を攻めて引馬城(ひくまじょう)を奪取した。この引馬城こそ浜松城の前身であり、家康はこの城地を大きく拡大して浜松城を築城した。そして元亀元年(1570年)にそれまでの居城である岡崎城から浜松城に拠点を移し、武田信玄と対抗する。元亀3年(1572年)には西上作戦を開始した信玄に攻められ、浜松城近辺の三方ヶ原の戦いで信玄に大敗し、家康は命からがら浜松城に逃げ込んだ。しかし、浜松城の堅固さを知る信玄は浜松城を攻撃せずに三河国に進んだという。その後、天正14年(1586年)に家康が居城を駿府城に移すまでの16年間、この城は徳川氏の拠点として機能し、城下町の拡大も図られた。

天正18年(1590年)に家康が豊臣秀吉の命令で関東に移ると、浜松城には秀吉の家臣・堀尾吉晴が入る。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで堀尾氏は東軍に属したため、戦後に出雲国松江藩に移封され、代わって徳川氏の譜代大名が入ることになる。以後、浜松城は譜代大名12家が5万石前後で入封を繰り返した。なお、この城は家康が青年期を過ごして大きく勢力を拡大して天下取りという出世の足掛かりとなったこと、さらに江戸時代には幕閣に出世するためにはこの城の城主(浜松藩主)になることが登竜門のひとつに数えられていたことから、浜松城は出世城との異名をとった。ちなみに江戸時代後期に天保の改革を行なったことで知られる老中水野忠邦も、浜松城主になってから老中にまで出世している。しかし忠邦は天保の改革で失敗して出羽国山形藩に左遷された。

井上正直の時に明治維新を迎え、浜松城の歴史が終焉した。

城郭は南北およそ500メートル、東西およそ450メートルにわたり、三方ヶ原台地の斜面に沿って天守閣、2の丸、3の丸があったとされている。明治維新後に城郭は破却されて廃城となったが、昭和33年(1958年)に浜松市民の手によって天守閣が復元されている。天守閣は3層3階、地下1階の鉄筋コンクリート造りで、最上階の展望台に上ると浜松市街は勿論、遠州灘から渥美半島方面まで見渡せることができる。また、荒々しい野づら積みの石垣が残る一帯は城跡公園として整備されており、浜松市美術館や若い頃の家康像などもあって市民の憩いの場となっている。

アクセス[編集]

  • 浜松駅からバスで5分(市役所前下車)

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