広島城
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広島城(ひろしまじょう)は、広島県広島市中区にある城。日本100名城のひとつ。鯉城の別名がある。
歴史[編集]
建造[編集]
1589年4月より毛利輝元が、太田川の中州群のうち最大だった広島に築城を開始。聚楽第や大阪城を参考にして建てたと伝わる。1591年3月、おおむね天守閣が完成した為100年130年以上毛利氏の居城であった吉田郡山城から広島城へと居城を移したが、関ヶ原の戦い後の減封で広島を追い出された。
江戸時代[編集]
1600年、福島正則が広島城の石垣を改ざんした事が原因で処分され、信州高井野へ懲罰減封された。この時改ざんされた石垣は「福島正則の破却石垣」と呼ばれ親しまれている。
福島正則改易後は、浅野幸長の長弟の長晟が紀州から転封され、幕末まで続いた。
近代以降[編集]
日清戦争では山陽鉄道が広島駅までしか到達していなかったことから大本営が設置された。1924年、国宝に指定される(旧国宝)。太平洋戦争末期の1945年8月6日、原子爆弾がアメリカにより投下された事で広島城は倒壊した。この時倒壊した原因は一階部分が潰れた事により連鎖的に潰れていき最終的には潰れる間に爆風で吹き飛ばされたと考えられている。これにより広島城は建造物もろとも破壊され、石垣だけが残った。この石垣は原子爆弾投下の生き証人となった。1951年に2代目天守、そして1959年に市民により再建され3代目天守となり、博物館となった。
関連項目[編集]