飫肥城

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飫肥城(おびじょう)とは、現在の宮崎県日南市飫肥大手に存在した日本である。

概要[編集]

日南市街の北側、酒谷川山川に臨む海抜60メートル前後の丘の上に存在した城である。

築城年代に関しては不明だが、記録上では室町時代中期の長禄2年(1458年)に薩摩国島津忠国が、都於郡城主の伊東祐国に備えて一門の新納忠続を飫肥城に入れたのが確認できるので、この頃には既に存在していたことは明らかである。文明16年(1484年)に祐国は飫肥城を大軍をもって攻撃し、以後何度もこの城をめぐって伊東氏島津氏両家の争いが繰り返されている。

永禄11年(1568年)に当時の伊東氏の当主・伊東義祐は当時飫肥城を守備していた島津忠親を降して飫肥を奪った。そして次男の伊東祐兵を城主に任命したが、天正5年(1577年)に島津義久の侵攻を受けて伊東義祐・祐兵親子は日向国を追われてしまう。これにより飫肥城は再度、島津氏の支配下に入るが、祐兵は中央に出て豊臣秀吉を頼り、天正15年(1587年)に秀吉の九州征伐に参戦して功績を挙げたことから、戦後に5万7000石の知行を与えられて飫肥城主として復帰を許された。祐兵は飫肥城を大々的に改修して近世城郭としての構えを整える。以後、伊東氏の歴代当主が城主を務めて明治維新に至った。

この城は規模が広大で、周囲が約2.5キロ、城内は本丸・中の丸・松尾・今城・西の丸・小城・中の城など11の区画に分かれるなど、5万7000石の城主としては余りに大きい城であった。飫肥杉が茂る城跡には城門・大手前の広い石段や、苔むした壮大な石垣が遺存しており、往時の面影を伝えている。また、書院造飫肥城歴史資料館があり、城主の伊東氏ゆかりの書画や武具などおよそ100点を展示している。また、飫肥城下にも藩校振徳堂勝目氏庭園(宮崎県指定の名勝)、伊東家庭園、武家屋敷などの旧構を留めており、江戸時代の姿を忍ばせている。なお、伊東氏のもとで繁栄した飫肥城とその城下町は「九州の小京都」とまで呼ばれており、国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。

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